2010年09月08日

中小企業・「町工場」への無知と偏見を怒る

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どんな小さい企業であれモノづくりには誇りを持っている(桐生の繊維会社)

先月末にある新聞に掲載された某民主党衆議院議員の発言に対して、投書欄に怒りの声が寄せられていました。国家公務員の給与水準の引き下げを巡って、民主党の公務員制度改革プロジェクトチームの議員が、「国家公務員の賃金水準を町工場並みにして、優秀な人材が集まるか」との発言に反論したものです。

京都のある印刷会社に働く57歳の女性ですが、こう言います。「この発言の背景には、『国家公務員の方が町工場で働く人間より優秀である』『町工場は賃金が低いので、優秀な人材は集まらない』という認識があるのであろう。その無知と偏見にあぜんとする」と。

彼女が働いている印刷会社は、従業員約40人の典型的な町工場です。例の「男はつらいよ」に出てくる、タコ社長の印刷工場をちょっとだけ大きくしたような会社でしょうか。社長以下、懸命の努力ににもかかわらず、ここ何年はボーナスはないそうです。給料の額も公務員にはとても及ばないだろうと言います。

しかし「同僚はそれぞれ技能に優れ、モノづくりに誇りを持って勤勉である」と称えます。あるパソコンのエキスパートは出張先のアメリカでも、パソコン操作の巧みさが現地技術者から感嘆されるほどだとし、英語や中国語が堪能な社員もいるそうです。

彼女は最後に「くだんの議員の社会認識は、町工場の労働者からすれば笑止である!」と喝破します。まさに正論です。当方も、業種こそ違え似通った規模の会社を運営していますが、社員の多くはここ数年の低賃金にもかかわらず真面目に働き、また彼女が言うように色んな優れたスキルを持っています。

1年前、弱者救済、脱官僚などを掲げて政権をとった民主党。この議員のように早くも「驕れる者」です。そうでなくても多くの中小企業はいま、円高や消費不振で悲鳴を上げています。お山の大将争いに血道を上げ、「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と叫ぶ人のところに、モノづくり現場の声なき声は届いているのでしょうか。
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2010年09月07日

靭公園にある梶井基次郎「檸檬」の文学碑

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写真右から文学碑、日時計と母娘の像。木陰では少しだけ過ごしやすくなりました

「びいどろと云ふ色硝子で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。またそれを嘗めて見るのが私にとって何ともいへない享楽だったのだ。あのびいどろの味程幽かな涼しい味があるものか」―大阪西区の靭公園内の一角に、梶井基次郎の短編小説「檸檬」(れもん)の文学碑があります。
晴れ

梶井基次郎は1901年(明治34年)に、靭公園から程近い現在の土佐堀3丁目で生まれました。貿易会社で軍需品輸送の仕事に就いていた父の転勤の関係から、少年時代は東京や三重県で転居を繰り返します。大阪に帰って旧制北野中学校(現大阪府立北野高校)を卒業、旧制三高(京大の前身)在学中に肺結核にかかります。荒廃した生活の中、5年がかりで高校を終え東京帝大に進学。しかし中退して文学に専念するも、1932年(昭和7年)に肺結核のため31歳の若さでこの世を去ります。

志賀直哉の影響を受けたとされ、簡潔な描写と詩情豊かな小品を残すものの、生前はそれほど大きな評価は受けていません。評価が高まったのは死後で、昭和初期を代表する近代日本文学者の位置にあり、命日の3月24日は「檸檬忌」(れもんき)と呼ばれています。代表作となった「檸檬」は、肺を病んだ私が、京都寺町の果実店で手に入れた美しいカリフォルニア産のレモンを時限爆弾に見たて、近くの洋書店・丸善の書棚に置き去って爆破される様を空想して一人興奮する筋立てです。

病人の心情や若者の誰もが抱くちょっとしたいたずら心を描写した短編小説で、かつて学生時代に近くを通りかかった際、ここがあの果物店や丸善(5年ほど前に閉店するまで三条にありました)かと、空想した思い出があります。ちなみに小説発表後、丸善にはたびたびレモンの置き去りがあったそうです。

文学碑のすぐ近くにある日時計は、正午過ぎを指しています。昼食後の散歩、日向はまだ直射日光で大変ですが、木の陰に入ると多少は安らぎます。たまにはベンチに座り、「檸檬」を読み直すのも一興かなと考えています。
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2010年09月06日

民主党代表選、勝っても負けても小沢氏「勝利」?

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大阪港に入港するコンテナ船を見ながらの早朝海辺散歩。吹く風は秋の気配を漂わせ、海面にはサバやアジなどの魚群が湧いています

「序盤の情勢は菅氏優勢」(産経新聞)、「地方議員票は菅氏が65%」(共同通信)、「競る国会議員、党員・サポーターは菅氏リード」(読売新聞)、「新人議員は菅90対小沢50」(テレビ朝日)、「小沢氏一歩リード」(毎日新聞)等々、連日メディアは民主党代表戦を予想しています。

 国政選挙などでは各メディアが実施する世論調査でほぼ似通った結果が出ますが、こと代表戦に関してはあまりはっきりしません。代表選の有権者総数は1224票で、うち全国約34万2500人の党員・サポーターが300票、約2400人の地方議員は100票、残る約3分の2が国会議員となります。そこには当然、それぞれの権益などがあり各自が旗幟を鮮明にしませんから、メディア各社もなかなか本心を聞き出すことはできません。一般的には菅氏優勢の流れにありますが、意外と小沢氏の勝ちとする見方も少なくありません。

 「代表戦は公職選挙法の対象外。そこには実弾(カネ)、恫喝、空手形(ポストの口約束)など何でもありの世界だ」とする、ある小沢グループの国会議員の談話が雑誌に紹介されていました。確かに国民の根強い小沢アレルギーを反映して、党員・サポーターの大半は菅陣営です。しかし側近が「小沢政権は支持率3%でスタートしてもいい」と公言するように、党員・サポーターの苦戦は織り込み済みです。逆に国会議員は明らかに小沢陣営に流れ、地方議員も何でもありの作戦が生きると小沢陣営は読んでいます。しかも党員・サポーターや地方議員票も、都市部は圧倒的に菅氏ですが、地方に出向いて地べたを這いながら実行力を訴える小沢氏への支持も無視できません。

 「小沢氏の求心力はカネと恐怖心」といわれてきました。カネが最も効果を発揮するのは選挙で、小沢氏はこれまで絶妙のタイミングで軍資金を渡すなど、選挙戦での面倒見のよさでは右に出るものがないとされています。一方で恐怖心とは、これまで側近といわれた議員たちが次々と切り捨てられてきました。それもある日突然、電話がつながらないなど音信不通になるのです。小沢氏は、その要因など自らの心情を饒舌に吐露しませんから、結局、周囲は小沢氏の意向を「忖度」(そんたく=他人の気持ちをおしはかる)しかないのです。メディアもそうです。みな一様に斟酌した「思い・考え」を想像で記事にするだけで、結局は小沢ペースに陥ってしまいます。

 あるテレビで評論家が話していました。「どちらが勝つにしても小差の勝負になるだろう。しかし小沢さんにとっては勝っても、負けても、“勝ち”なんだ」と。つまり、小沢氏が勝てば当然ですが、たとえ負けても菅政権は選挙後、「挙党体制」を旗印に政務三役など多くを入れ替えてポストを配分します。当然、小沢氏にとって目の上のたんこぶとされる仙石官房長官や枝野幹事長の去就は危ういものとなるからです。まさに小沢氏の戦略は、「見事」というほかありません。

 民主党政権が誕生して1年が経ちました。不況にあえぐ国民や円高・株安に悲鳴をあげる産業界を放置して、政局も政策もつくれず、統治もできない、ないないづくし。駄目なら首相を替える自民党末期と同じです。国民不在の権力闘争を繰り返す余裕は、今の日本にはありません。
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2010年09月05日

電話をかける時、十中八九の人が「もしもし」と言います

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見かけなくなった公衆電話。特にこの夏は汗だくだくでしょう

 早朝、電話がかかってきました。「もしもし、悪いけどちょっと来てほしいの」「もしもし、どちら様ですか」「もしもし、ちょっと来てや」「もしもし、どちらにおかけでしょうか」。明らかに間違い電話ですが、ちょっとボケて耳の悪いお婆さんと家人のやり取りを横で聞きながら、どうして日本では電話で「もしもし」「はいはい」と言うのか疑問に思いました。中にはいきなり「俺だ」とか「私よ」なんて名乗る人がいますが、十中八九「もしもし」です。英語では「ハロー」、中国語では「ニイハオ」「ウエイ」、韓国語では「ヨボセヨ」が一般的ですが。
電話

 実は、これから何か言いますよの気持ちで、「申します、申します」と言ったのが一般化し、後に言いにくいので「もしもし」に省略したそうです。「申す、申す」が転じたとの説もあります。ただこの「もしもし」が、電話が日本でスタートした時からの相手への呼びかけ語だったかというと、そうでもないのです。

 東京で電話交換が始まったのは明治23年(1890年)12月ですが、それに先立ち電話交換の公開実験がありました。当時の模様を、新聞はこう書いています。「ここにおいて需要者は聴音器を両耳にあて、器機の中央に突出する筒先を口にあて、まず『オイオイ』と呼びて用意を問い合わせ、(交換手につないでもらって、相手が出ると)『オイオイ』の声を発して注意し、先方より承諾の挨拶あるを聴音器にて聞き取り、それより商談に入るなり」。

 開通当初は、「もしもし」ではなく「オイオイ」だったのです。随分と威張って乱暴な呼びかけですが、なにしろ当時電話を持っていたのは高級官僚や実業家など、いわゆるお偉いさんばかりでしたから、当然といえば当然です。ちなみに大隈重信は177番でした。今でも時々「オイオイ、ワシじゃ」とかける人がいます。いえいえ、当方はめったにやりませんが…。

 ところで、この「オイオイ」に対する受け手の応答はというと、「ハイ、ヨウゴザンス」だったそうですから、これまたびっくりです。もっともこの「オイオイ」「ハイ、ヨウゴザンス」が、いつのころから「もしもし」「はいはい」に変わったか定かではありません。それにしても公衆電話が少なくなりましたねえ。携帯を持たない人はどうしているのでしょう。
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2010年09月04日

和食器が5個セットなど「奇数」を重んじる風習は?

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NHK朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」では、仕事が減って妖怪はどこに消えたんだろうとややスランプに陥っていたお父ちゃんこと茂さんですが、再び妖怪と巡り合ってまた活気を取り戻しそうです。ところで夏といえば昔から怪談話ですが、例の「番町皿屋敷」でお菊さんが割ったのは10枚組の皿だったように、どうして和食器は5個や10個など奇数セットなのでしょうか。洋食器は大概が6個や12個の偶数セットです。

資料で調べてみると、日本にある昔から奇数を重んじる風習は、中国の陰陽思想の影響だそうです。和食器もそうですが、祝儀を包む際に偶数を避けたり、5月5日や7月7日が節句になっているのも奇数を尊重する思想からです。そしていつの間にか、5や10が“きりのいい”数字として広まったのです。

また女権論者が聞いたら、目をむくような話も背景にあります。日本の古い家長制度のもとでは、お客さんがきたときにはたいてい、奥さんは裏方で食事の仕事や雑用に追われ、一緒に食卓を囲むことはありません。つまりたとえ4人のお客が来ても、奥さんの器は不要で、ご主人の分を合わせて5個で済むのです。

これに対して欧米の物の数え方の基本は12進法のダースですから、洋食器の正式セットは12個です。ただ一般家庭ではその半分の半ダース6個に落ち着いています。何しろカップル社会の国々ですから、夫婦そろってお客様をもてなします。招かれる方もカップル単位が多く、必然的に偶数個数の食器セットとなったわけです。このように食器のセットひとつとっても、洋の東西で文化の違いがあります。

ところで7月7日に続き、来週木曜日の9月9日は五節句のひとつで最も重要とされる「重陽」です。いうまでもなく九は陽数(奇数)の九を重ねるために重陽や重九とされ、古くは菊の節句と呼ばれました。中国では「登高」と称して丘などの高い場所に上り、長寿を祈って菊の花を浮かべたお酒を飲んだそうです。ある日本料理店からの案内葉書に一句、「人心しづかに菊の節句かな」。
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2010年09月03日

池袋発・CFF「中国繊維企業が日本企業との協力体制に積極的」

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写真左から商談風景、会見する王副総裁、劉さん、主催者との晩餐会

「水を飲めば、その水源を思わなければならない」―中国の古いことわざです。1日から東京・池袋のサンシャインシティで開かれている中国のアパレル展示会第15回チャイナファッショフェア(CFF)で、主催する中国中紡集団公司の王文徳副総裁は、日本側の協力者に対しこう感謝の意を表明しました。

考えてみれば8年前の2003年12月に大阪・天満橋のOMMで初めて開かれたCFFは、2,000平方bの展示面積にわずか60数社が出展し、来場者も3日間で1,600人ほどでした。その後、毎年春には大阪、秋に東京でそれぞれ開催して15回目を迎えたのですが、この春に大阪・中央区のマイドーム大阪で開いた14回展の展示面積は6,000平方bに拡大し出展者も288社。3日間で5,000人強が来場しました。また今回の東京展も展示面積は前回の東京展の2倍の6,000平方bで、出展者は前回の187社を大きく上回る242社と東京展では過去最大規模となっています。

日本市場に出回るアパレル製品のうち、数量では1割が国産で9割が輸入品です。その輸入品の9割が中国製ですから、私たちが日常的に身に付けている衣料のほぼ8割がメイドイン中国なのです。金額ベースで、中国のアパレル製品の対日輸出総額は年間約200億米ドルです。今回出展した242社の対日貿易総額は21億米ドルですから、日本からのテキスタイルなどの輸入分を差し引いても日本向けアパレルのほぼ1割をまかなう中国アパレルが来日していることになります。

もちろん世界的にも有名なヤンガーや杉杉集団などの超大手は、日本にグループ会社を持つなど単独で活動しています。しかし242社のうち8割近くが5年以上の対日貿易経験を持ち、9割が日本語でビジネスが可能です。また40社ほどが独自のブランドを持ち、10数社が日本に事務所や代理店を設置しています。しかもうち45社が年間の対日貿易額1,000万米jといいますから、中国アパレルの中堅から大手が出展していることになります。しかも242社のうち約6割がリピーター出展ですから、かなり日本市場に定着したアパレルが出てきています。

8年前の第1回展の時などは、ブースに行ってもほとんど日本語が通じず、椅子に座ったままで訪問者をチラッと見るだけ。昼になるとブースの中で弁当をパクパク食べる始末です。しかし回を重ねるごとに洗練され、今ではブースの前を通った来場者を「こんにちは」「いらっしゃいませ」と流暢な日本語で誘い込んで、展示商品の説明や企業紹介を熱心にやります。もちろん主催者も出展者用の簡易食堂を設けるなどしており、ブース内での食事はほとんど見られなくなりました。連れて展示商品も、色柄、デザイン、素材など日本人好みの製品を提案しています。考えてみれば、日本市場に出回るアパレルの8割までが中国製ですから、マッチするのも当たり前です。

第1回展から今回まで、CFFには延べ約2,000社の中国アパレルが出展していますが、うち江蘇省南通市のWEIFUという企業は初回から15回連続の出展です。同社は貿易商社で傘下に60の部があり、それぞれが独立採算でアパレルの製造販売に取り組んでいます。今回も30人強のスタッフが来日し日本の取引先との商談に取り組んでいます。6年前の第3回展から毎回来ているという同社の劉朝暉副総経理(日本の副社長)は、日本向けの輸出が6年間で1.8倍の年間5,000万米ドルまで拡大したといいます。その功績で、6年前の部門長から副社長に昇格しました。今年38歳の劉さん「東京にも大阪にも大勢の友達がいます」と流暢な日本語で語ります。

ただこの間、着実に拡大してきた中国のアパレルもいま、大きな転換期にあります。人件費の高騰、人手不足、環境対策など構造的な問題に加え、原材料の高騰や欧米向けを中心とした輸出不振です。このため、かつては仕事を確保して工場をフル稼働させることが最大のテーマでしたが、いまでは「何とか受注できても、生産するスペースがない」(王副総裁)という悩みに直面しています。

しかし中国サイドでは、目先的には納期の弾力的対応などを納入先に求める一方で、構造的問題には「単なる日本や欧米の生産・加工業としてではなく、中国のアパレルをトータルインダストリーと位置づける」(王氏)動きを強めています。その具体化のひとつが、日本からのブランド力やデザイン力、素材、生産管理などの積極導入です。今回出展した企業のうち108社が日本とのコラボレーションを希望するとアンケートに回答しており、従来の「中国で生産して日本で売る」ということから、「日中共同で、日本でも中国でもさらに第三国にも売る」という意欲をみせています。

厳しい日本の消費市場にあって、日本のアパレルは途端の苦しみを味わっています。しかし今後も先細りは必至です。それだけに中国を始めアジア市場も「日本の市場」と発想転換し、積極的に中国市場に出掛けることなどが課題となっています。考えてみれば13億人を抱える中国大陸、発展する沿海部を除けばいくらでも需要はあります。最近中国奥地に薬草の研究で行った知人が言いました。「着たきりすずめ以前の状態だよ。それが個人ではなく、町や村全体の傾向だ」と。

初日の夜、主催者といつものように晩餐会を開きました。王副総裁も「日本のブランドは、欧米ほどまだ影響力はないが、あくまで一時的。日本のブランドが中国市場に浸透するのも時間の問題だ」と期待を込めて激励してくれましたが、どうも日本のアパレルに「一歩の勇気」が少ないのが気になります。

それは別として、来年4月19〜21日に大阪で開かれる第16回CFFの時にゴルフをやろうと約束してしまったのです。後で中方にこっそり王氏の腕前を聞いてみると、ドライバーの平均飛距離は270ヤード、シングルの腕前だそうです。「しまった」と思いましたが、後の祭りでした。
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2010年09月02日

「葬式と結婚式の風景を変えたのは誰か」A結婚式を変えたのは団塊ジュニア世代

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 二百十日の声を待っていたかのように、台風が日本列島を襲い始めました。さて木津川計氏の講演による「葬式と結婚式の風景を変えたのは誰か」の第二弾、結婚式の風景を変えたのは誰かです。葬式の変化同様、結婚式も変わってきました。都市部のあるシティホテルによると、99%が仲人がいません。この10年間で、仲人を立てない結婚式が一般化しています。仲人がいなくても司会者が新郎新婦をを紹介する友達婚になります。バブルの頃の「ハデ婚」から「ジミ婚」になっています。葬式も「ハデ葬」が「ジミ葬」になったように、やはり景気と連動しています。

 例えば今の結婚式は、新郎新婦が正面に座りますが、新郎の横に新郎の両親、新婦の横には新婦の両親が座ります。新郎新婦がケーキカットに入ると、同じように双方の両親の前にも小ぶりのケーキが用意されるのです。以前は両親は式場の隅っこで小さくなっていましたが正面に座るようになり、また仲人夫人が新婦に付き添っていましたが、現在は新婦の母親、式場の係、友達が付き添います。

 この頃結婚する若者の75%が、両親からの経済的援助を受けて結婚式の費用をまかなっているからです。しかも彼らの中の一定部分は、結婚しても親に経済的援助を求めなければなりません。結婚式で親にハレの思いをしてもらい、良い思いをする代わりに、「うまくいけば毎月、経済的援助がしてもらえる」との魂胆があればこそでしょうか。

 このように結婚式の風景を変えたのは、「団塊ジュニア世代」です。同世代は、1971〜74年の4年間に生まれた世代が一般的で、団塊世代が3年間800万人に対しジュニア世代は4年間で800万人です。この世代が結婚式の風景を変えたのは、日経平均株価がどんどん下がり、企業はバブル崩壊後の失われた10年に入っていき、不良債権をたくさん抱え、消費が冷え込んでいくという時代でした。

 そして1995〜2005年に「ロストジェネレーション」といわれる世代が生み出されます。1972年生まれの団塊ジュニアが30歳のとき2002年です。葬式の例でも指摘しましたが、小泉構造内閣による新しい改革路線が貧しい若者たちを生み出します。その直撃を受けたのも団塊ジュニアです。団塊世代はバブル崩壊後の経済困難下で親世代の葬式に直面しましたが、団塊ジュニアは自分たちの結婚式をハデ婚からジミ婚にせざるを得ず、親も応援するだけの資力がありませんでした。

 団塊世代と同ジュニア世代が葬式と結婚式の風景を変えたのですが、変わったのは葬式と結婚式だけではありません。例えば、20〜30年前には町中や住んでいた地域に結納品屋さんがありましたが、今では店を閉じて姿を消しています。現在の若者は結納をしませんから結納屋さんが成り立ちません。当然、持参金もありません。仲人を立てませんから、そのような関連産業も振るわなくなったのです。

 ただいくら自由恋愛で恋愛結婚をするからといっても、百組が百組とも恋愛結婚とはなりません。結納品屋のおじさん、おばさんは仲人の役割も務めていました。常時、年頃の男性と女性各50人ほどのリストを持っており、「家柄が釣り合うから、ここのお嬢ちゃんと坊ちゃんはを一緒に」と判断して見合い、結婚させていたのです。つまり結納品屋さんはそのような社会的機能、役割も帯びていました。

 結び付けてくれる人がいなくなった今日、その役目を担っているのが「婚活ビジネス」です。中には20回も30回も行って婚活でヘトヘトに疲れているとの話も聞きますが、婚活ビジネスはチェーン化し、どんどん広がっています。このように結婚式の風景が変わるということは仲人制度、家と家との釣り合いをうまく判断していたそのような機能も失われます。「私(木津川氏)は、家と家とが釣り合ってこそ良いとは言いませんが、悪いことばかりではありません」。

 ところで木津川氏は、日本の笑いを変えたのも団塊ジュニア世代だと分析します。しゃべくり漫才とコント風の笑いに二分したのは団塊ジュニア世代からです。1980年代から始まった漫才ブームは1984年まで続きました。彼らは「強いものは弱いものを笑っていい」というような残酷な笑いを肥大化し、社会化しました。東京ではビートたけし、大阪では島田神助です。2人ともテレビ番組のチャンピオンで、今も大活躍しています。弱者が強者を笑ってこそ喝采を浴びるのに、「強者が弱者を笑う」という笑いのパターンを生み出したのです。

 その洗礼を3、4年受けて漫才ブームが終わると、ブームを支えた十代が学校で弱いものを探し始めたのです。「テレビでもラジオでもやっているやないか。弱いヤツを笑てるやないか。いてまえ、いてまえ」。これがいじめです。いじめが校内暴力と相連動します。このように、日本の笑いも変えたのも団塊ジュニア世代だったのです。
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2010年09月01日

東京・池袋で開かれている中国アパレル展

DSC01255.JPG きょう1日から3日まで、東京・池袋のサンシャインシティで開かれている第15回チャイナファッションフェア(CFF)に来ています。8年前に大阪で第1回が開催され、その後春は大阪、秋は東京で半年ごとに開かれてきました。今回中国各地から242社のアパレルが出展し、日本で開催される中国単独の繊維関連見本市では質量共にトップです。
 
 15回目ともなるとCFFというブランドは完全に日本に定着しています。出展242社のうち約6割がリピーターという点にも証明されています。8年前の第1回展からいろいろお手伝いしている関係で、今回も多くの「老朋友」(ラオポンユウ=古い友人)たちと再会し、これから今夜は酒を酌み交わします。詳細はまた後日報告します。
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「葬式と結婚式の風景を変えたのは誰か」@葬式を変えたのは団塊世代?

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 きょうから9月です。東京に来ていますが、大阪以上に東京は暑いですねえ。考えてみれば人も車も建物も圧倒的に東京が上ですから、暑いのも当たり前でしょう。熱いといえば、本人たちだけが燃えている民主党の代表選、やはり菅VS小沢のガチンコ対決となりました。8月末日には株価が今年最安値となり、円も再び1j=83円目前になっています。国民の苦しみをどう考えているのでしょうか。

 さて「上方芸能」の発行人で和歌山大学の客員教授を務める木津川計氏による「葬式と結婚式の風景を変えたのは誰か」と題した講演を以前、聞きました。ちょっと面白い話です。講演内容が文章化されたのを機に、そのエキスを紹介します。葬式の変化などは宗教学者が論じるのが通例ですが、木津川氏は「文化の視座」から葬式と結婚式の変化を捉えています。
 
まず葬式の変化ですが、第一に香典の問題があります。最近、都市部の8〜9割で香典をとらなくなりました。その流れは15年ほど前から始まったそうです。香典は葬儀費用の援助で、言ってみればお金を持たない人々の相互扶助です。とにかく日本は葬儀費用がかかり、宗教学者島田裕巳氏の書物によると日本の平均は231万円だそうです。米国が44万円、韓国37万円、英国12万円ですから、日本が突出しています。しかも231万円はあくまで平均で、高いところでは500万円、それ以上もあり天井知らずです。
 
それに香典は「半返し」が常識です。20人や30人への半返しは簡単ですが、500人、1000人になると手間がかかります。費用も大変ですから、お金持ちから徐々に香典を取らなくなったのです。結婚式は子供のためにしますが葬式は子がします。もし遺族が香典をもらったりしたら、「そうとう生活が詰まっている」なんて噂される恐れがあるほど、香典は少なくなりました。昨年10月に亡くなった財務大臣などを歴任して例の“モーロー”発言で有名になった中川昭一氏の哀悼の会の案内状には、わざわざ「ご厚志につきましては、謹んで拝受させていただきます」と書いてあったそうです。

さて葬式の形体ですが、都市部の5割は大きな葬式はなく「家族葬」で行われています。「○○さんが亡くなられて、今夜お通夜で明日告別式」との通知が来るような伝統的な葬式はいま2割ほどです。「何月何日に○○が亡くなりました。家族葬で葬儀を執り行いました。生前のご厚誼、ありがとうございました」の死後通知で済みます。

 そして、いまどんどん増えているのが「直葬」(ちょくそう)です。「じきそう」とも言われます。病院で亡くなると24時間は火葬できず、病院に安置されます。24時間経ってから火葬場へ遺体を運び、火葬します。お寺さんも呼びません。お骨は家族で拾います。 いま都市部の3割がこういった直葬です。

 1983年には寺院での葬式が一番多く、他には教会、斎場、式場、集会所、自宅でそれぞれ行いました。2008年には寺院が減って、自宅が増えました。問題は03年から増えた「その他」で、これが直葬で3割です。東京では4割になるといわれています。

 お墓をこしらえない人も増えています。例えば木の根元にお骨を埋葬する「樹木葬」です。都市部では新たに墓地を作る土地がないからです。東京都内の場合、需要に対する供給土地は3割にとどまっており、後の7割は土地がないのでお墓が作れません。そこで1本の木を植えて、その根元に間隔を取って10人、15人のお骨を納める樹木葬が増えています。土地を有効に使えて緑化も進むということで樹木葬の公園墓地が広がりつつあるそうです。

 葬式の風景変化として、お寺さんを呼ばず゙、必然的に「戒名」を付けなくなっています。なぜ死後までランク付けをしなければならないのかと、戒名に対する拒否感、拒絶感が若い人に広がっています。信士、居士、さらに院号がつけば50万円、100万円と金額が跳ね上がります。「もったいない」という考えと共に、“葬式仏教”への反抗・反発も顕在化し、戒名を付けず、お墓を作らず、お寺さんを呼ばない葬式が増え続けているのです。

 お墓がないということでは、「片時も離れたくない」「身に付けておきたい」との気持ちから、手元供養も広がっています。お骨をペンダントにしたり、ダイヤモンドのように磨いて輝いたお骨で指輪を作るのです。

 このように葬式の風景を変えたのは誰かですが、結論から言えば「団塊の世代」です。1947年から49年生まれの3年間で約800万人います。真ん中の48年生まれの人が45歳の時、父親は75歳前後で1993年です。このあたりから葬式が変わり始めたのです。1991〜1992年にバブルが崩壊し、株価は大暴落して日本の“失われた10年”が始まります。

 一方で2001年からスタートした5年間の小泉内閣によって、市場原理主義の広がりや大幅な規制緩和が行われ、労働力の自由化がどんどん進みます。並行して非正規の派遣社員など「ワーキングプア」が生み出されます。結果的に、勤労者が貧しくなり年間所得が減り続けました。リストラも進み、多くの家計が生活防衛型となったのです。

 ですから親が「派手な葬式を出してくれ」といっても、生活不安感を抱く子供たちは「何を考えている。そんな無駄なことをする余裕はない」として、葬式が変わっていったのです。9割といわれた総中流現象も崩壊し、貧困層はますます拡大しています。結局、今日の葬式の激変事態は、経済状況と無関係ではないといえます。

最後に木津氏はこう結びます。100人居れば30人がその運命となる直葬、「それだけはしてほしくない」と。当方もしかりです。「直葬だけはやらないでくれ」と遺言を残したいですねえ。
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2010年08月31日

どこまで続くのか国民不在の民主党ドタバタ劇

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講演する毎日新聞主筆の岸井成格氏(写真左)と夕刊専門紙の見出し

夕刊専門紙に「手打ちも」の超特大見出しが躍っています。民主党総裁選で菅VS小沢のガチンコ対決を避けるための動きです。昼時、そば屋で食事をしていると中年のOLたちが「あの人嫌いやけど、小沢さんが総理大臣になると景気はよくなるらしいよ」なんて、政治論議をやっていました。一体全体この国はどうなっているのでしょうか。

日経新聞のあるコラム子が日本経済の現状を、こう表現していました。「身を寄せる木や小屋もない草原で、激しい雷雨に見舞われているようなものだろう。一時、1j=83円台まで進んだ円高に直面する日本企業の姿だ」と。つまり、この異常な円高で中国や韓国、台湾などと競合する日本企業は注文を一気に失いかねない深刻な事態に直面しています。

米国のオバマ大統領は11月の中間選挙を控えて、世界各国に対して内需拡大や貿易自由化の圧力を強めています。中国は日本の低迷を反面教師にして、巨額の外貨準備を上手く運用して経済運営しています。ところが日本の企業が頼りとする政治の方は、一番大事なこの時期に、お山の大将争いです。遅ればせながら昨日、日本銀行が追加の金融緩和を決め、政府も追加経済対策の基本方針を策定してきょう閣議決定するなどで、多少の円安・株高に動いています。

しかし肝心かなめの経済産業省や財務省などの幹部の動きは、極めて鈍くなっています。そうでしょう、マニュフェストの見直しや予算編成に対する考えがまったく異なる菅氏と小沢氏ですから、いくら政府が緊急経済対策を打ち出しても、9月14日の代表選投開票で大勢が決まるまでは、官僚としても動くに動かれないというのが本音だと思います。このように政治社会での責任不在の現実が、日本経済の低迷に拍車をかけているのです。

ことほど左様に、今の民主党の血みどろの戦いは日本の経済などには「犯罪的」ですが、ある面国民不在で実に滑稽です。今月初めに毎日新聞の主筆で、テレビなどにもよく登場する岸井成格氏の講演を聞きました。その際岸井氏は、日本のメディアはこれ以上日本の総理大臣が交代すると世界から完全に信用を失うという理由だけで、参院選で惨敗した菅総理の責任を追及しなかったと説明。関連して今回の代表選に、小沢氏は九分九厘出馬しないと断言していました。

その点だけはどうやら岸井氏の予想外れでしたが、一方で岸井氏は最近毎晩のように永田町周辺で怪情報、それも「裏」が取りにくい情報が流布されていると指摘していました。このため多くの政治家が疑心暗鬼で浮足立っているとも語ります。現在表面化している、朝日新聞だけが29日朝刊1面トップで報じた「仙石氏の政治資金、長男側に」や、28日の夕刊フジと30日発売の「週刊現代」に載った小沢氏が幹事長時代に資金担当をしていた小宮山洋子財務委員長に絡んで、当時の帳簿が流出された情報などは、その代表例といえます。

前者の場合、仙石官房長官は菅内閣の「影の宰相」とされ、小沢氏の不倶戴天の敵です。どうやら小沢派に近い筋から、当の仙石氏はもとより菅支持を打ち出している前原、岡田、枝野氏など、さらには菅氏に対し「いつでもこの程度のことはやれる」とのおどしも含まれた新聞社へのリーク説が聞かれます。

まあ、ここまでくれば変なTVドラマや映画よりよほど面白いドキュメントドラマといえます。各メディアが実施した世論調査では「70%前後が菅首相の再選を支持」という結果です。しかしそこには、とてつもない但し書きがあります。菅支持理由の7割強が「小沢氏が支持できない」からと「首相が短期間で代わるのはよくない」という極めて消極論なのです。残る2割強を人柄への信頼、清潔であるが占め、指導力があるはごく一部です。裏返せば、小沢氏という敵役がいなかったら菅総理は何の取り柄もないことを証明する世論調査といえます。

ちなみに、わずか16%前後の小沢支持の圧倒的理由が「指導力が期待できる」となっています。冒頭紹介した、そば屋での中年OLの話もそうですが、現在の政治と経済との乖離(かいり)が異常なだけに、小沢氏に期待するのかもしれません。小沢氏は確かに自民党時代に若手幹事長などで剛腕をふるった経験はありますが、あくまでナンバー2、3で首相として手腕を発揮した経験はゼロです。ある面、「怖いもの見たさ」での期待があるのかもしれません。

この先9月14日まで、ガチンコ勝負が続いて菅総理続投―小沢陣営離党による民主党分裂になるのか、小沢勝利―仙石・前原など菅支持派一掃―最低の内閣支持率になるのか、それともやくざまがいの「手打ち」が成功するのか。一寸先が読めない魑魅魍魎の世界です。ただ国民生活の不安と日本経済の混迷はまだまだ続きそうです。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記