1月26日付と27日付の2回、古代史研究家の奈良屋嘉兵衛さんに桜井茶臼山古墳をテーマに「古代史の楽しみ方」を投稿していただきました。今回は桜井茶臼山古墳のもう一つの大きな特徴である「前方部の形状」について、宮崎県の西都原(さいとばる)古墳群との絡みなどと合わせて詳しくご紹介していただきます。
《前方後円墳の前方部の形状》
桜井茶臼山古墳の前方部は、主体部(主な被葬者の埋葬施設)がある後円部(径110メートル、高さ24メートル)よりかなり低く、また幅が狭くて長い長方形状である。このような形状の前方後円墳は、柄鏡(えかがみ)式前方後円墳と呼ばれ前期古墳の主な形状の一つだが、畿内では類例は少ない。
前期古墳で最も典型的な形状は箸墓古墳(奈良県桜井市)や椿井大塚山古墳(京都府木津川市)に代表される、前方部の先の方が三味線の撥(ばち)のように広がる撥形前方部を持つものである。
同じ吉備でも東域に当たる備前地区の代表的前期古墳である浦間茶臼山古墳(岡山市浦間、全長138メートル)も撥形の前方部を持ち、箸墓古墳のほぼ2分の1の大きさの相似形と推測される。また椿井茶臼山古墳は、箸墓古墳のほぼ3分の2の相似形と推定されている。
前期後半から中期になると、台形状の前方部の幅が広く高くなり、中期前半の吉備の造山古墳(岡山市北区、全長360メートル)や中期後半の河内の誉田山古墳(大阪府羽曳野市、全長419メートル)、大山陵古墳(大阪府堺市、全長486メートル)などの巨大古墳に代表される典型的な前方後円墳の形状となる。
さらにあまり数は多くないが、台形状の前方部の長さが短い形状の前方後円墳もみられる。これは帆立貝式前方後円墳と呼ばれる。
《日向の柄鏡式前方後円墳》
前期前半(3世紀半ばから4世紀初め)の早い時期に築造された箸墓古墳に続く時期に築かれた桜井茶臼山古墳は、畿内では特殊な柄鏡式前方後円墳であったわけだが、この柄鏡式前方後円墳が最も多く見られるのが日向(現在の宮崎県一帯)地域である。
宮崎市の中心部からバスで約1時間、北方向に走った場所に位置する西都原(宮崎県西都市)古墳群では、30基の前方後円墳のうち11基が柄鏡式である。
この西都原古墳群は東西2.6キロ、南北4.2キロ、高さ70メートルの広大な高台にあり、ここに前方後円墳、円墳、方墳、地下式横穴墓など計300数十基の古墳、横穴墓が築造されている。
日向の古墳や古代史については、昨年他界された西都原古墳研究所(現西都原考古博物館)元所長の日高正晴氏の名著、「古代日向の国」(NHKブックス)に詳細が記述されている。
ちなみに宮崎県には、古墳群では最大の西都原古墳群以外に持田古墳群(児湯郡高鍋町)、川南古墳群(同川南町)、新田原古墳群(同新富町)、百塚原古墳群(西都市)、児屋根塚古墳群(西都市)、下北方古墳群(宮崎市下北方町)など、そして大淀川沿いの生目古墳群(宮崎市跡江地区)、本庄古墳群(東諸県郡国富町)などがあり、それらの多くに柄鏡式前方後円墳が含まれている。