2010年10月13日

「松の木は残った」

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写真右から、5年前に植樹する故西田団長(手前)と、その5年後の成長した「白皮松」(いずれも済南植物園)

今から5年前の2005年10月17日から22日まで、中国山東省政府の招きで日中経済貿易センターに加入する企業を中心に、150人の関西経済人が山東省を訪問しました。一行は中国から関空に送られたチャーター便に乗って、省都の済南を皮切りに3班に分かれて煙台、臨沂(りんぎ)、濰坊(いぼう)など主要6都市を回り、最後は青島で合流。この間各都市との交流などによって山東省についての理解を深めました。山東省は中国の東海岸に面し、黄河下流に位置します。気候は温暖で農作物と水産物の生産・漁獲は中国第一位です。
飛行機

そして山東省訪問の際、日本側代表団から「白皮松」を済南の植物園に寄贈し、17日に団長の故西田健一・日中経済貿易センター副会長(丸紅専務などを歴任)らが植樹しました。白皮松はシロマツとも呼ばれ、中国中部から北西部が原産で日本にはほとんど生息しない松です。世界各地でも珍重され、聖木として扱われています。

その松の木がある植物園を、ほぼ5年振りとなるこの9月末に訪れました。当時と比べて山東省の経済成長は沿海部中心に目覚ましく発展し、日系企業も食品、繊維、電気機械などで着実に業績を上げています。今年初から、週2回ですが関空―済南空港間に定期便が飛びだしました。しかし一方で、日中間にはいろんな問題があり、しかも地方都市植物園の中、果たしてどうなっているのかやや不安を持って探しました。不安は杞憂に終わり、写真のように「松の木は残った」どころか、立派に成長していたのです。下草も丁寧に刈られ、しっかり管理されているようで安心しました。

山本周五郎の作品に、仙台藩のお家騒動を舞台にした「樅の木は残った」という小説があります。主人公の家老、原田甲斐が周囲から孤立する中で、自宅の庭にある樅の巨木に孤高を語るくだりがあります。「私はこの木が好きだ。この木は何も語らない。だから私はこの木が好きだ」。甲斐は樅の木に己の生き様を重ね合わせたのでしょうが、白皮松は孤高とは反対の、関西と山東省との経済交流のシンボルになっているように感じました。

ところで05年にも、今回の尖閣事件と同じように日中間は険悪なムードでした。その年の春に当時の小泉首相が靖国神社に参拝するとともに、日本が国連安保理の常任理事国入りを表明しました。これに対して中国が反発し、北京、上海、広州などで反日デモの嵐が吹き荒れました。それからわずか5カ月後でしたから、訪中団にも中国メディアから色々厳しい取材があった記憶があります。

ただ5年前は、感情論に煽られて反日デモで騒然としましたが、政府を始め中国関係者は対日関係の修復に早く動き、経済交流や民間交流への影響は比較的少なくて済み、早期に回復しました。しかし5年経った今回の要因は、あくまで領土問題です。

しかも5年前は、まだ日本企業が中国から撤退すると中国側にも相当なリスクが予想されたのに対し、今や世界第2位の経済大国を狙う中国だけにその影響度は比較になりません。またこの5年間で、中国のインターネット人口は飛躍的に拡大しており、政府が少しでも弱腰を見せると、それを非難する世論の声は瞬く間に全中国に広がります。

日中友好の松の木も確かにしっかり根を張っていますが、一方で日中間の諸矛盾の根もひと筋縄ではいかない、深いものとなりそうです。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記