2010年09月30日

どうなる尖閣問題の後始末

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あいさつする鄭祥林総領事(写真右)。シャープの町田会長や総領事を交えてしばし懇談。

中国も面白い国です。フジタの社員、3人だけ釈放されてあの船長のようにひとりだけはまだ拘束されています。しかしそのひとりも、釈放までの時間は遅くないと思います。

 東京は大使館主催でしたが、昨夜大阪でも総領事館が主催して「中国建国61年周年」式典が北区のホテルで開かれました。例年出席している橋下知事、平松市長を始め地元自治体の首長や現職国会議員の姿はありませんでしたが、多くの自治体の議長・副議長は出席していました。また経済関係者も昨年ほどではないにしても、各社トップがそこそこ顔を出していました。

 鄭祥林総領事のあいさつを注意深く聞いていましたが、「尖閣」にかかわる話はもちろん、それに近い匂いすら一切なく、逆に正論をすごい迫力でとうとうとしゃべっていました。この迫力については他の人も感じたらしく、雑談をした大阪府の木村副知事も「鄭さん、すごい迫力でしたね」と感想を漏らしていました。

 後で「鄭総領事、フジタ社員を含め尖閣後遺症は?」と耳打ちすると、「現状を放置すると中日ともに不幸。中国は10月1日から長期休みに入りますからねえ・・・」と、微妙な返事でした。冒頭の3人釈放、当然予め総領事クラスの耳には入っていたのでしょう。それと連休明けの11日頃までには、日中トップ会談などもっと進んだ展開があるかもしれませんね。

 ところで会場の話題を拾うと、もちろん尖閣問題一色。さすがに中国関係者には直接言いませんが、共通するのは中国の理不尽な態度が第一。併行して菅首相、前原外相、仙石官房長官を始めとする政府の「外交音痴」と中国人脈のなさ。3つ目が、外務省チルドレンに包囲されてしまって身動きが取れない丹羽中国大使への同情でした。

 中国も一度振り上げてしまった手のおきどころに困り始めたようで、なんとか大型連休という緩衝材を利用して収拾を図ろうとしているようです。ただ日本の政府がどういう形で対応できるか、そのほうが心配です。例の尖閣漁船のビデオ公開がひとつのポイントとなりそうですが、テレビである評論家が言ってました。「中国は日本の検察のFD改ざんなどを、しっかり勉強している。必ず尖閣のビデオも、改ざんだとついてくるはずだ」と。確かにそうかもしれません。

 明日から10月。からっとした秋晴れが待ち遠しいですね。
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2010年09月29日

「小林桂樹の時代」

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東宝映画1963年2月号より

15日付けのブログで、急逝した谷啓さんの思い出を綴ってくれたITジャーナリストの四方直己氏が、今度は先々週に亡くなった俳優小林桂樹さんの追悼文を寄せてくれました。小林桂樹さんはサラリーマンの悲喜劇から社会派ドラマまで合計253本の映画に出演するとともに、テレビでも活躍するオールラウンダーでしたが、16日に86歳の生涯を閉じました。以下、紹介します
映画

 小林桂樹についてはその昔、一度だけ間近に見かけたことがある。父親が映画会社で働いていたことから、子供の頃は会社に時々遊びに行った。当時は大らかな時代で、子供が親の職場に行っても、一緒に働いている人達は嫌な顔一つせず和やかに受け入れてくれたものだ。自分がそう思っているだけかも知れないが。

 会社の1Fにはテレビ喫茶なるものがあって、店内のどこからも見えるように中央にテレビが4台据え付けられていた。テレビが一般家庭に普及する前は、そこでテレビを見ながらミルクセーキを飲み、ホットケーキを食べるのが至福の時であった。客層は主に社内の人達だったが、そこにある日突然、加山雄三と小林桂樹が現れた。

 デビュー時から注目を集めていた加山雄三を女子社員が見逃すはずもなく、「あっ、加山さんや!」ということで、たちまち女子社員達が集まってきた。加山雄三と小林桂樹の2人がいることは遠目にもすぐに分かったが、女子社員の関心はもっぱら加山雄三。小林桂樹については「あら、小林桂樹さんもいてはる」と笑っておしまい。小林桂樹は「いやー参ったなー」という感じで、ニコニコと通り過ぎた。それだけの話だが、画面から見たのとほとんど同じ雰囲気だったことを覚えている。

 時期の記憶は定かではないが、小林桂樹と加山雄三が関西支社に来たというのは、2人が共演した映画のキャンペーンだろうから、おそらく「名もなく貧しく美しく」ではないか。この映画で加山雄三は最後のワンシーンしか登場しないが、これだとすると1961年のはじめ頃だろう。いやもっと後のことかも知れない。当時は映画が白黒からカラーへ移行する過度期にあり、白黒の名作とカラーの名作とが混在した時期である。

 私が覚えている小林桂樹の主演映画としては「裸の大将」「黒い画集」「名もなく貧しく美しく」などで、同時期に主演した「出世コースに進路を取れ」などの娯楽映画においても、よく知られる「社長シリーズ」においても、二枚目でも三枚目でもない小林桂樹の持ち味は一貫している。

 小林桂樹が映画デビューしたのは1942年とのことだが、当時の日本映画は無声からトーキーへの移行期であった。第二次世界大戦真っただ中でもあり、ドイツ軍が世界初の弾道ミサイルV2によって華々しい成果を上げていた頃だ。この強力なV2の弾道を瞬時に予測するための計算機として米国がコンピュータ開発を本格化し、1945年にコンピュータ第1号とされる「ENIAC」を実用化したのは有名な話だ。

 TVの普及もあって映画産業が衰退の兆しを見せ始めるのは東京オリンピックの1964年頃だが、この年はコンピュータ産業の歴史に燦然と輝くIBM360が登場した年でもある。以後、現在まで約半世紀におけるコンピュータ・テクノロジーの進化は言うまでもなく、映画産業もその影響を受けて大きな変化を遂げてきた。TVの記憶メディアがフィルムからビデオに移行して久しいが、これもアナログからデジタルへと移行するに従って表現の幅は飛躍的に広がった。

 小林桂樹は無声からトーキー、白黒からカラー、フィルムからビデオ、アナログからデジタルへという流れの中を常に表舞台に立って歩んできた稀有の俳優である。この間の映像表現テクノロジーの圧倒的な進化にもかかわらず、小林桂樹の魅力は一貫して変わらない。当たり前と言われればその通りだが、昔の名作を見るにつけ、テクノロジーの進化とは私達にとって何だろうと考えてしまう。(四方直己)
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2010年09月28日

箸休め「美しい青空が最高のご馳走」

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 海外から日本に帰ったことを実感するのは、やはり青空です。とくに中国からだと、「最高のご馳走」になります。関西空港から高速バスに乗り、空港連絡橋の正面にノッポのゲートタワービルと泉佐野市街を望むと、「ああ日本に生まれてよかった」と思ってしまうのです。
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「寿司とたこ焼」中国山東省の駆け足旅行A

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写真左からたこ焼屋台、済南市内の寿司ボックスと職人さんの手、青島店

山東省の済南の街を歩いていて、現代版の寿司屋台に出会いました。その店の名前は「N多寿司」で、握寿司や巻寿司を中心に、約2b×1b四方の公衆電話ボックスのような店舗を5人ほどの若者で運営していました。コーラや水など飲料水、クッキーなども置いていますが、あくまで主力は寿司です。

パンフレットを見ると、青島市中心に中国国内で35店舗運営しているフランチャイズ店です。聞くところによると青島をスタートに「寿司の種類が多い」ということで、N多寿司としてスタートしたそうです。青島のように、しっかりと店舗を構えている店もあれば、この済南泉路店のような屋台スタイル店もあります。

「味はどうか?」 正直、全然美味しくありません。酢も入っておらず、いってみれば「寿司もどき」ですが、炊いたご飯にいろいろな具を入れた巻寿司、マグロなどの握寿司、さらには手巻寿司、細巻寿司など種類は豊富です。運営する彼ら自身が「日本や上海のような寿司ではない。環境や健康を指向したロハス感覚の、どちらかといえばアメリカンスタイルの寿司」と言い切ります。「私が握っています」という若い職人さん?の手を確かめました。しっとりしたきれいな手のひらでしたが、酢の匂いは全然しませんでした。

価格ですが、一番定番の海苔巻寿司が1本8元(1元=約12.6円)、人気商品の「桜花之恋」といって色とりどりの具をご飯で巻いて桜色のふりかけであしらった巻物が同9元、高いところでは鰻巻が同16元です。日本円で200円ですから安くはありません。またマグロの握寿司は3個で8元です。こういった寿司を若物中心に、ファーストフードのように歩きながら食べるのです。正直、よく売れているそうです。

一方のたこ焼き。これも人気で、中国各地で焼いて売っています。それが必ずしも、醤油やソース味で統一していません。かつて南京で食べた時は甘い蜂蜜のようなもので、ひとつ食べて吐き出しました。今回の済南はソースもどきで、もちろんタコは入っていません。粉だけです。それでも6個で5元、日本円で60円強、1個10円です。ところが北京ではなんと6個20元、日本円で1個40円強で売っているのです。

しかし驚くなかれ、上海万博の会場で日本の出展業者が6個40元、日本円にして500円で売っているのです。もちろん日本と同じ中身や味付けで、持ち込み代金などいろいろ経費はかかりますが、たこ焼き1個80円強はあまりにも法外です。これでは北京の街頭で1個40円で売られてもおかしくはないでしょうね。ただ寿司にしろたこ焼きにしろ、本物に似ても似つかない「もどき商品」が形だけひとり歩きする姿はいただけませんね。

もっともだれかが言ってました。一度日本で本物に出会った中国人は、二度と中国で売られている「もどき商品」を口にしないと。食べ物だけではありません、衣料や電化製品、薬などもそうです。それが今の日本買い物ツアーなどの背景となっているのでしょう。逆にいえば、中国市場開拓のヒントでもあるわけです。

[訂正です]昨日のブログ、5段目の小島氏の発言中で「満足してしまう完成に…」は、「満足してしまう感性に・・・」です。お詫びして訂正します。


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2010年09月27日

「消費の退化」とは、どのような現象を意味するのでしょうか

DSC01406.JPG「ユニクロ」の驚異的成功の背景は、「経済の衰退と若者の感性圧縮による消費文明の退化にある」―日本のファッションビジネスのリーダーのひとりで、小島ファッションマーケティング代表の小島健輔氏は、近著の「ユニクロ症候群〜退化する消費文明」で言い切ります。

小島さんはユニクロの急成長の成功は、ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏の経営力の素晴らしさによると認めつつも、市場の変化も大きいと指摘します。市場の変化とはバブル経済崩壊後、若い人たちの可処分所得が減少し、生活水準が下がって質素になったことを意味します。この結果、若者中心に今の消費者には夢や理想がなく、個性やバラエティに富んだ服を選ばず、皆と同じで背伸びをしなくなっていると分析します。クルマも時計も家も皆が理想を抱かなくなる、消費の「退化」が進んでいると強調します。

そこに「アパレルは生活のパーツだ」と明言するユニクロが登場、ファッションにロマンを持ち込まず、機能を前面に打ち出して大成功します。つまり、「退化する消費」と「理想を追わないモノ作り」が見事にマッチィングしたというのです。

一方で小島さんは、「退化する消費」にはデジタル文明の影響もあると指摘します。若い人が、携帯の画面で服を買うことに躊躇しない風潮を嘆きます。考えてみれば携帯に表示される圧縮された小さな画像データには、服を購入する際に常に意識する触り心地、色合い、実際に着用した際のシルエットなど皆無です。筆者は「常に圧縮されたもので満足をしてしまう完成に危機感を感じる」と嘆きます。

小島さんによると日本企業はこの間、小技を用いてマイナーチェンジに頼ってきたため、米国のアップルや韓国のサムスン電子のように大胆なデザインやコンセプトの新製品を世に出すことができなくなっていると強調。これも「消費が退化」し、完成が萎縮しているからではないかといいます。一方でメーカー自身、「モノが売れないと嘆くのならば、まずは自ら感性を磨く必要がある」(小島氏)のでしょうか。

昨年10月に同志社大学の浜矩子教授が、ある雑誌で「ユニクロ栄えて国滅ぶ」なる論文を発表して物議を醸しました。両氏の分析には多少の違いはありますが、衰退する日本の消費構造を歴史的な変化の中で捉える視点は似通っています。

10月1日、大阪心斎橋に日本で一番大きいユニクロの「グローバル旗艦店」がオープンしますが、それに先立つ9月29日、同点で記者会見やパーティが予定されています。柳井氏も出席すると聞いており、機会があればその辺りをうかがってみたいと思うのですが。
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2010年09月26日

孔子の故郷、中国山東省の駆け足旅行@

DSC01418.JPGDSC01427.JPG 街に張り出された新聞などには確かに大きく尖閣諸島の記事はありますが…(写真左)。急に寒くなり服装もちぐはぐ(同右)

 昨日から孔子の故郷、中国は山東省に来ています。省都の済南市で明日から始まる「第3回山東省文化産業博覧交易会」の視察です。例の尖閣諸島問題、菅首相の「してやったり、スマートな外交だろう」との思惑が完全に外れ、中国は「謝罪と賠償」などかさにかかって理不尽な攻撃を仕掛けています。ただ居丈高なのは、中国の外務省やメディア、そして若者たちの不満の捌け口となっているインターネットだけで、大半の国民は正直「釣魚台(尖閣諸島)?それって何?」といった反応です。

 それよりもほとんどの国民の気持ちは、中秋節と10月1日からの建国61周年を祝う国慶節が重なる大型連休が支配しています。この土日は会社も学校も振り替え出勤・登校ですが、最低5日間、中には8日間の大型連休の話題でいっぱいです。済南市は先週初から寒波が襲来して一気に寒くなっていますが、それでも日中は半そで姿も見受けられます。

 ところで、ここ山東省は料理の宝庫です。四川や江蘇、福建などと合わせ中国八大料理といわれますが、中でも山東料理は北京料理や宮廷料理の源流とされており、コックさんたちは包丁を使わせたら中国一と言われるほど手先が器用です。現在の山東料理は大きく「済南料理」、孔子の生地である済寧市曲阜(きょくふ)を中心とした「魯菜」、そして青島などの「海鮮料理」の3つに分けられます。全体として辛口ですが、済南料理の場合豊富な新鮮野菜がベースになっています。昨晩も、これら料理をあてに50度を超す白酒で何度も「乾杯」をしたことは言うまでもありません。
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唐の玄宗に学ぶ「ヒーローはあまり格好よすぎてもだめ」

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西安の碑林(写真右)と中心部から左手に鐘楼を眺める

唐の第6代皇帝の玄宗(げんそう)は前半の善政と後半の堕落によって、その功罪を評価するには非常に難しい人です。つまり治世の前半は非常に優れた手腕を発揮して、後世に「開元の治」と呼ばれる善政で唐の絶頂期を迎えました。しかし後半は、楊貴妃を寵愛したことで安禄山らによる「安史の乱」の原因を作っています。

次のクイズは、前半の手腕を発揮していたころが設定です。ある大臣が、人事について玄宗に相談に行きました。今の会社でいえば課長クラス人事でした。ところが玄宗はまったく相談に乗ってくれません。思い余って大臣が玄宗に尋ねたところ、玄宗はどう答えたでしょうか。3つの中から選んでください。
@皇帝がイエスといわないのは、ノーの意味だ。
A課長クラスの人事に私が口を出すべきではない。
B人事は衆議によって決めるべきだ。一人で来るとはけしから ん。

 回答は後で解説するとして、玄宗がどうして後半になって堕落したかです。政治を疎かにしだしたから、息子の嫁さんだった楊貴妃を奪って後宮に入れるなどで遊興にふけったのか、それとも美貌の楊貴妃に溺れて政治が疎かになったのでしょうか。ただ玄宗が楊貴妃を見出したのは55歳の時、当時でいえば完全なおじいさんです。長恨歌では「これより皇帝は朝早くには朝廷に出てこないようになった」と歌われていますが、考えてみれば朝から政務に耐えられる年齢ではありませんよね。余談ですが、豊臣秀吉が淀君に目をつけ、淀が長男鶴松を生んだのが秀吉52歳の時です。どこかよく似ていますね。

さてクイズの回答は、Aの「課長クラスの人事に口を出すべきではない」です。いま風に言えば「権限委譲」の発想で、部下を信頼していました。こうした政治姿勢が多くの優れた部下を育て、長く平和が維持されました。しかしあまり平和が長く続いたものですからやがて政治に飽きてしまい、そこで息子の嫁の美貌に溺れて政治をおろそかにするようになったというのが一般的です。

もっとも玄宗の治世で唐の絶頂期を迎えたとはいえ、その理想はくずれつつある律令政治のほころびをつくろったにすぎません。農村は窮乏、財政はゆとりをなくし、均田制や府兵制などの諸制度も崩れ始めていたのです。政治をおろそかにするようになるのも、必然だったかもしれません。やがて「安史の乱」が起こって都を追われ、楊貴妃を死刑にせざるを得なくなるのです。

結論から言えば、玄宗は少々格好よすぎたのかもしれませんね。だから格好のいい政治をして、女性にもててやがて挫折する。「ヒーローは、あまり格好よすぎてもよくない」というのが教訓です。

ちなみに中国の西安を旅すれば、兵馬俑、三蔵法師がインドから持ち帰った経典などを納める大●塔(●=がん、雁のイ部が小)、陝西歴史博物館、城壁、碑林等々、歴史遺産満載です。その中で玄宗関連も豊富です。楊貴妃に関しては彼女専用の湯殿である華清池が有名ですが、西のほうに少し行くと楊貴妃を死刑にしたという木も立っています。完全なまゆつばモノですが…。


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2010年09月25日

大リーグと大相撲にみる大記録

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 アメリカで生まれた野球で日本人が新記録を樹立するかと思えば、日本の国技といわれる大相撲でモンゴル人が記録更新を目指す。いやはや面白いものですねえ。
野球

 イチロー選手がついに、アメリカ・大リーグMLBで10年連続の200本安打を達成しました。もちろんMLB史上初です。日本では新聞の号外も出ました。ただ「200安打・10回」ということでは、ピート・ローズと並びタイ記録です。しかしメジャーリーグで通算24年間プレーして10回達成したピート・ローズに対し、イチローはメジャー在籍10年で10回ですからまさにパーフェクト、同じ10回でもその濃さは比較になりません。

 今回のイチローの偉業に対し、ピート・ローズがやっかみ半分で言います。「彼は幸運な選手だ。1年のうち内野安打が3割占めるシーズンが何度もあるんだから」。確かにホームランはもちろん、外野に打ち返すクリーンヒットは打つ人、見る人を気持ちよくさせるかもしれません。しかし内野安打は脚力がなければ成功しません。それが証拠に、ピート・ローズが24年間で198回盗塁したのに対し、イチローは昨年までの大リーグ9年通算で341回ですから、これも比較になりません。

 このやっかみと思しき発言を意識したかどうか定かではありませんが、200本10年連続を達成した直後の会見でイチローは、ピート・ローズの記録に並んだがの質問に、「ぜひ超えてあげたい」と、サラッと応えました。この辺も、何事にもアグレッシブだったピート・ローズと対照的です。ちなみにピート・ローズは1989年にメッツの監督として在任中、野球賭博に関与して永久追放され、いまもなお野球界に復帰できていません。

 ただ記録ホルダーのイチローが、これだけはピート・ローズを抜いてトップに立てそうでないのが通算安打です。イチローは先に、大リーグ通算2000本安打を達成しましたが、ピート・ローズは4256本です。もちろんイチローが日本で打った1278本を加えればすでに3300本を超し、今後ピート・ローズの記録を抜くことは不可能ではありません。しかしそこはMLBのメンツもあります。4256本に対置するイチローの記録はあくまでまだ2000本強で、現在36歳のイチローが抜くためには今後45〜46歳まで毎年200本近く打つ必要があります。この点は、ピート・ローズも安心しているでしょう。念のために、日本のプロ野球NPBでも安打の通算記録は張本選手の3085本で、日米通算3300本のイチローではありません。
わーい(嬉しい顔)

 かたや野球は本場米国で日本人の活躍ですが、こなた大相撲はモンゴル人の白鵬です。横綱白鵬が60連勝の大台に乗りました。ただイチローと違って白鵬は歴史上の人物との勝負ですから、ちょっと勝手が違います。59連勝で明治時代の横綱・初代梅ケ谷を抜いて歴代単独3位に立った後は、いよいよ230年ほど前の1782年に63連勝した横綱・2代目谷風です。そして残るは昭和14年(1939年)1月の史上1位、双葉山の69連勝への挑戦です。

 国技や歴史という重圧、それも外国人ですから二重の意味で白鵬にはプレッシャーがあるはずです。しかも、ふがいない大関を始めとした上位陣の体たらくで「ひとりの大横綱とその他大勢」と揶揄される現状です。「勝って当たり前」ですから三重のプレッシャーかもしれません。それでも日本人以上に日本人的な白鵬、しかも心技体の三拍子群を抜いています。よほどのことがない限り、来場所に70連勝を達成するはずです。

 ところで国技館などで力士が通る通路を花道と言いますが、どうして花道でしょうか。この名の由来は、ファンがひいきの力士に花を贈ったからだとの説もありますが、力士自身が髪に花を飾って登場したというのが一番有力です。遠くは奈良時代から平安時代にかけて、節会相撲といって天皇が宮中に力士を集めて相撲大会が盛んに開かれました。この節会相撲では、東方の力士は葵の花、西方の力士は夕顔の花をつけて登場したそうです。想像するだけで色気があって面白いですね。もっとも白鵬が咲かすであろう大輪の花も待ち遠しいですね。
ちっ(怒った顔)

ところできょうから、中国は東北地方の山東省です。省都の済南市中心に、3泊4日です。親日派の多い東北地方ですが、緊迫する日中情勢だけに、変なところをカメラに収めて拘束されないよう気をつけます。
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2010年09月24日

 東京品川区「大井町」ってどんな街?

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写真左から立会道路入口(猫の像が目印)、岩本米菓のおばあちゃん、ご主人夫婦 

品川区の南東部にある大井町(おおいまち)。かつては日本光学(ニコン)や三菱重工、さらには鐘紡など大手の工場もありましたが、あくまで中小企業の街でした。現在も「光学通り」のニコンを始め中堅大手のオフィスに通う昼間人口は結構多く、またJR京浜東北線や東急大井町線が発着する大井町駅周辺と東部の池上通りは商業地で人が集まります。しかし全体としては、約25,000人の住宅地の匂いを濃くしています。

 ここに、お世話になっている会社の東京支社があるため、ちょくちょく出かけます。そのオフィスは、駅前から通じる立会道路(たちあいどうろ)という珍しい名前の通りにあります。大井町から西北にある目黒区の碑文谷池を源流に東京湾まで流れる立会川に蓋をして、下水道として整備された川の上に作られたのが立会道路です。かつては悪臭のきつい二級河川だったそうですが、水質改良と並行してほとんどを暗渠にし、一般道や花と緑の緑道に整備しています。

 ところで今週末の土曜日、ここ大井町がテレビに取り上げられます。テレビ東京が夜の9時から45分間放映する地域密着の情報バラエティ番組「出没!アド街ック天国」で、愛川欽也らが司会をしています。関西でもテレビ大阪で同時刻に見ることができます。大井町にあるユニークなグルメショップや小売店を紹介するそうで、とりわけ従来はオヤジたちでにぎわっていた大井町の横丁酒場が、酒好き女性の楽園に変わりつつある現状をルポするとしています。

東京支社の女子社員が、あるイタリアンで昼食中に撮られたといい、また支社のすぐ隣にある「大江戸鎧せんべい」の岩本米菓さんが取り上げられるということで、ちょっと興味を持ちました。同店は60年前の創業以来、あられやおかきを伝統の手焼網焼き方法でじっくり時間をかけて焼き上げています。2代目となるご主人の岩本さんは、「生産工程はもちろん、原料は極上のうるち米、小豆島産にこだわった醤油で味付け、うまみのある天然の塩や無農薬の胡麻、丸大豆、海苔など素材も吟味しています」と強調。足の悪いおばあちゃんもわざわざ立って、「ぜひテレビをご覧ください」と熱心な勧めでした。

香ばしい伝統の堅焼、胡麻たっぷりで体によい胡麻、ザラメ糖入り甘辛味のザラ、醤油のしみた石垣焼、砂糖がけの甘く柔らかい白がけ・茶がけ、磯の香り豊かな海苔巻、辛さの中にも味のある唐辛子の各せんべい。以上、大江戸鎧せんべいの人気アラカルトを、足の悪いおばあさんに成り代わり紹介しました。あとはテレビでよろしく。
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2010年09月23日

「人に投げた石は自分に跳ね返る」

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先週、大阪で開かれた「中秋明月祭」。両国民が和気あいあいと、楽しんでいました

4カ月ほど前のこのブログで、代議士の加藤紘一氏が3種類のナショナリズムについて講演した要旨を紹介しました。3種類とは、競争するナショナリズム、誇りのナショナリズム、そして闘うナショナリズムです。このうち「闘うナショナリズム」について、加藤氏はこう言いました。

竹島とか尖閣列島など近隣国との対立感を煽っての闘いは、政治家にとって効果のある政治行動だ。これを分かりやすく説明したい。家庭でいつも奥さんや息子、娘との疎外感を感じている頑固オヤジ、これを解消するには隣の家との喧嘩が有効だ。隣のオヤジに「境界線がはみ出している」「お宅の娘のピアノはいつもうるさい。上手になれもしないのに」などと口撃すると、「お宅に言われる筋合いはない」云々と必ず喧嘩になる。そうなるとこれまで阻害してきた奥さんを始め家族は、みんなオヤジの味方になる。ただこの闘うナショナリズム、ブーメランのようになって眉間に戻ってくる恐れがあることを忘れてはならない。
むかっ(怒り)

今の中国のやり方そのままです。閣僚級以上の交流停止、航空交渉中断、ガス田開発の条約交渉延期、上海万博への日本青年1,000人受け入れの突然延期、観光局による訪日渡航自粛勧告、環境フォーラムの延期、食品会社の1万人訪日団キャンセル、「SMAP」の上海コンサート延期等々、政治、経済、文化のあらゆる面で官民入り乱れての居丈高な対抗措置が目立ちます。身の周りでも、「秋葉原の中国人客が急減した」「西安からの観光ツアーで30人がキャンセル、日本から上海行も20人ドタキャン」などの話がとみに増えています。

そして21日、国連総会に出席した温家宝首相が「新たな対抗措置をとる」と、中国の首脳レベルとして初めて事件に触れてコメントしました。では新たな対抗措置とは、どのようなことが考えられるでしょうか。円の買い進めなどによる円高誘導、レアアースなど資源の輸出制限、尖閣諸島周辺での軍事訓練の展開や日本漁船の拿捕、ガス田開発の日中合意を破棄し単独での掘削など、ビザ発給さし止め、そしてお決まりの日本製品のボイコットなどでしょうか。

こういった異常とも思える行動をとる中国の狙いを、どう考えるべきでしょうか。大きく3点が考えられます。まず中国国民に対するポーズです。弱腰批判―反日ムード―反政府運動への対応で、そこには中国の「自信と弱み」が錯綜しているといわれます。つまり一見、高度成長が続くものの内実は所得格差、大学は出たものの職がないなどいろんな矛盾があります。そこで個人では実現できないチャイニーズ・ドリームを、次善の策として国にbPになってもらう。ある新聞は「愛国的情緒の高まり」と表現しています。

2つ目は東南アジア諸国へのポーズです。つまり尖閣で日中の対立を各国が注目しており、中国としては弱く出ることはできません。もちろん中国自身の東シナ海への進出という、大きな野望もあります。

そして3つ目は日本と米国への、ポーズというより探りでしょうか。ぎくしゃくする日米関係の実態を確かめる、民主党菅政権ははたしてどう出てくるのだろか等々を含め、日本政府の外交手腕を試しているといっても過言ではありません。

とはいえ「他人に投げた石はやがて自分に跳ね返る」ことを、中国自身よく知っています。例えば最近会った中国の民間企業トップ氏、「あれは政府のポーズであって、私たち経済人は理解している。もし日本企業が中国との取引で停滞すれば、それは即中国経済の停滞を意味することを」と語ります。

日中関係は、今後も予断を許さないかもしれません。71歳の大使を夜中に呼びつけるような、非常識な言動がまだまだあるかもしれません。しかし日本で大騒ぎすればするほど、中国側のペースです。この辺を冷静に分析して、日中双方のメンツを考えた落とし処で、やがては決着がつくはずです。週末から親日派が多いとされる中国東北の山東省で、ナマの声を聞いてみたいと思います。
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2010年09月22日

「牛さん」にかかわる3つの話

fuzisann.JPGシャイな富士山です。せっかくブログに載せてやろうと思うのに、恥ずかしそうに頭をちょっと出すだけで、全容を雲に隠してしまいました(21日午後3時50分、新富士駅至近の新幹線車中から)

 久しぶりに頭の体操です。父親が息子3人を枕もとに呼び、次のような遺言を残して死にました。「わしが死んだら、わが家の牛は長男が3分の1、次男が4分の1、そして三男と四男は6分の1に分けなさい」。ところが同家に残された牛は11頭しかいませんでした。息子たちは遺言通りに牛をわけることができたのでしょうか。
ちっ(怒った顔)

 答えは後で開示するとして、中国の若い母親たちがほっとしているでしょうね。先日も乳飲み子を抱える上海の女性スタッフから、「日本の口蹄疫(こうていえき)は本当に解決したのでしょうか」とメールがきていました。彼女を始め中国の母親たちが待ち望むのは、宮崎の口蹄疫問題に絡んで今年4月から輸入禁止になっていた日本製粉ミルクの解禁です。ご承知のように中国の国産粉ミルクは、メラミン入りに代表されるように事件が相次ぎ、母親たちからは外国製粉ミルク、とりわけ品質の高い日本製に人気が高まっていました。

 ところが例の口蹄疫の影響で、中国政府は4月から日本製の粉ミルク、牛乳、牛肉など関連商品の輸入を禁止しました。かといって母親たちは問題の多い中国製を可愛い我が子に飲ませるわけにはいきません。このため中国国内市場では、日本製の在庫品が高騰する一方、ネットショッピングを通じて密輸入する消費者もいました。現実に、中国スタッフに何の土産が欲しいかを尋ねると、ハンドキャリーによる「粉ミルク」が人気ナンバーワンでした。

 それがこのほど、ようやく事実上輸入解禁を認めるとみられる通知が国家品質監督検査総局から発表されたもようです。ただある省の検査検疫当局は「日本からの粉ミルクおよび乳製品の輸入解禁を意味しているが、輸入にあたっては原産国の機関による関連証書によって品質の安全性が証明されなければならない」と慎重です。これに関して、尖閣問題での中国当局の嫌がらせがないことを願うばかりです。
わーい(嬉しい顔)

 さて先ほどのクイズの答えですが、何とか分けられたのです。困った息子たちは隣家から牛を1頭借りてきました。そして計12頭の牛で、長男は3分の1の4頭、次男が4分の1の3頭、そして三男と四男は6分の1の2頭ずつを自分の分け前にしました。これで合計11頭になったので、隣から借りた1頭は返して円満解決となりました。古典パズルネタですが、円満にものごとを解決するには、誰かの助けを借りるのもいいことかもしれないという教訓です。
ふらふら

 ところで口蹄疫での苦労が身にしみたのか、東国原・宮崎県知事が12月末投票予定の次期宮崎県知事選に不出馬の意向を固め、知事引退後には「東国原新党」の旗揚げを検討していると報道されました。東国原氏が党首となって「地方分権・道州制の推進」を目指して政策で一致する政党と連携、来年4月の東京都知事選への出馬も前向きに検討を続けるとか。大阪の橋下知事、名古屋の河村市長、そして東国原知事。地元住民を始め有権者を巻き込んでの新党結成や議会との対立、「モ〜」どうなっているのでしょうか。
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2010年09月21日

1泊92万円のロイヤルスイートに誰が泊まる?

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10月1日オープンする「セント・レジス」の概観、1階など

 いやぁ、参った、参った。不況とはいえ、世間にはお金持ちが結構いるんですね。これまでにも数度紹介しましたが、大阪中央区の御堂筋本町角に10月1日オープンする超高級ホテル。1泊17万円から92万円のスイートルームがオープンを前に、しばらくの間全室予約で埋まっているというのです。

 このホテルは160室ありますが、うち148室のスタンダードルームが1泊6万3千円から7万5千円で、それ自体、誰が泊まるのか気になっています。問題は残る12のスイートルームで、17万円のエグゼクティブスイート2室、23万円グランドデラックススイート5室、32万円スイート4室、そして92万円のロイヤルスイートが1室あります。それがすべて埋まっているのです。

 確かにご祝儀や付き合いもあるでしょうが、庶民の当方には到底理解できません。しかし先日のある新聞に、マンダリンオリエンタル東京36階の1泊110万円するスイートルームを舞台に、日本初の富裕層向け会員制旅行会社を4年前に立ち上げた39歳の女性社長の話が載っていました。「お金持ちかどうかに限らず、多忙な人ほど年1回は日常生活を離れ、自分を見つめなおす時間が必要」ということで、入会金100万円、年会費60万円の彼女が経営するVIP専用旅行社には、限定ほぼ100人が登録しています。冒頭のスイート予約満室も、不思議な世界ではないのかもしれません。

 さて1日にオープンする「セント・レジス ホテル 大阪」は、シェラトン、ウエスティン、ダブリューなど9つの高級ホテルブランドを持つ米スター・ウッズホテル&リゾートが経営します。そのうちセント・レジスは9つのうちの最高級ブランドで、北京、上海、シンガポール、バリに次いでアジアで5番目のオープンとなります。セント・レジスを有名にしたのは例の完璧な「バドラー・サービス」です。執事が24時間体制で、客の問い合わせや要望に迅速に対応するという、いわば西洋版「おもてなしの心」です。

 とはいえ東京ならともかく、何ゆえ地盤沈下の激しい大阪でオープンしたかです。ホテル事情に詳しい人がいっていました。「あの“リッツ伝説”が生きているのではないか」と。リッツ伝説とは、1997年に大阪北区に日本初上陸した「ザ・リッツ・カールトン大阪」です。その時もほとんどの人が「大阪と英国貴族のリッツ、最も相容れない無謀な挑戦」と笑っていました。しかしまたたく間に関西ナンバーワン、それも群を抜く地位を確保し、10年後に東京に進出したのです。「リッツ伝説よ再び」の観があって、セントラル・レジスが本町に出たのかもしれません。確かに大阪人は見栄っ張りで、結構、新しモノ好きです。しかし15年前と比べると、疲弊感は相当ですから…。

 なおホテルが入るのは地下鉄御堂筋線本町駅に直結する地下2階、地上27階のビルで、セント・レジスは1〜2階、11〜14階、17〜27階(客室)です。ちなみに地下2階には以前紹介した中華レストラン「華都飯店」、同1階が和食の「味吉兆・ぶんぶ庵」。ホテルのエントランスとなる1階にはフレンチレストラン「ル・ドール」や田崎真珠、さらにリッツやフォーシーズンなどの高級ホテルで使用するタオル、バスローブの「カシウエア」のショップなどが入ります。また12階はイタリア料理の「ラ・ベデュータ」とバー、ラウンジだと聞いています。

 ちなみに楽天などネットで「セント・レジス」の予約検索をみると、1泊3万2千円(1人1万6千円)が載っています。スイートでなければ、意外と4万円未満で泊まれるかもしれませんね。ウツボ親父は宿泊の必要はありませんから、何とかバーで「ザ・マッカラン」の25年物を飲みたいと思っています。それでもボトルだとリッツ並みの7万円でしょう。かといってシングル1杯ン千円を注文して、「高いなぁ、もうちょっとマッカらん」なんてお客は、白い眼で見られるかもしれませんね。
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2010年09月20日

「敬老の日」とは何歳を対象にしているのでしょう?

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ただいま100歳、元気に田舎で暮らす父(右)。今年1月、地元の町長さんからお祝いをいただきました

「高齢者統計、名目と実質に分けます 厚労省」
「敬老の日、来てうれし、帰ってうれし、孫たくさん」
朝日新聞の読者投書欄「かたえくぼ」に18、19日の両日、それぞれ載っていました。

一般的に65歳以上を高齢者人口といいますが、総務省の統計では、2008年9月15日現在で推計2819万人とされ、総人口に占める割合は22.1%となっています。前年(2743万人、21.5%)に比べ、76万人、0.6ポイント増と人口、割合とも増加し過去最高です。ただこの数字は、18日の「かたえくぼ子」の言を借りればあくまで名目かもしれません。

ちなみに男女別では、男性1203万人(男性人口の19.3%)、女性1616万人(女性人口の24.7%)で、女性が男性より413万人多くなっています。また女性100人に対する男性の数で比較した「人口性比」は、0〜14歳105.1、15〜64歳101.2と男性が多いのに対し、65歳以上では74.5、70歳以上68.5、75歳以上60.6と、それぞれ女性が多くなり、80歳以上に至っては50.2と女性が男性の約2倍です。女性の長生きを証明しています。
プレゼント

ところできょうは敬老の日ですが、一体全体「敬老の日は」何歳以上を対象にしているのでしょうか。「国民の祝日に関する法律」(祝日法)によると、「敬老の日」は“多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う”とされているだけで、特に何歳とは限定していません。

参考のひとつになるのが、03年に改正された「老人福祉法」です。ここでは老人福祉の対象を65歳以上と定めており、あえて何歳以上からを祝うか線を引くなら、65歳以上が妥当というのが第1案です。

あるサイトに、「敬老の日にお祝いをされるようになる年齢は何歳くらいからだと思うか」と問いかけたアンケートが掲載されています。それによると、@50歳くらいから(以下同じ)2.04%A55歳0.66%B60歳23.92%C65歳18.75%D70歳26.59%E75歳5.08%F80歳4.10%G「年齢ではなく孫ができてから」13.69%Hその他―というのが結果です。Dの「70歳くらいから」が最多です。

確かに外見は元気そうに見えても、70歳を超えると何が起こるかわかりません。ならば元気なうちに敬老の日のお祝いをしておいた方が良いということで、70歳くらいが妥当というのが第2案といえるでしょう。

しかしまてよ、いわゆる「後期高齢者」は75歳以上のはずです。市町村によって招待年齢はちがうようですが、「敬老会」なるものは高齢者社会の現在では75歳以上が通例となっています。ならば75歳くらいから上を対象とする第3案もありえます。

逆に、先のアンケートでも23.92%と2番目に多く、しかもGの「年齢ではなく孫ができてから」13.69%を重視すれば、60歳くらいもしっかりした対象年齢になります。現実に60歳くらいの人の多くが2〜3歳の孫を持ち、そういった子どもたちから見れば祖父母はたとえ60歳でも「お年寄り」なのです。そういった意味からも60歳くらいからは、第4案としてノミネートできるはずです。

以上、多少こじつけですが「敬老の日」の対象年齢として65歳、70歳、75歳、そして若返って60歳くらいと4つの案が出てきますが、どうでしょう。しかし結論からいえば、祝日法が謳うように“多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う”ということで、特別線引きする必要はないと思えるのですが。

かくいう当方、もう1ヵ月ほどで63歳ですが、ぜんぜんその気はありません。子供たちは充分結婚適齢期ですがその気配もなく、孫など縁の遠い存在と考えています。逆に60歳になったばかりで、普段は「お年寄り」扱いされるのは嫌だという人でも、実際のお孫さんからのお祝いなら喜んでもらうという人も少なくはありません。要は、個人個人の気の持ち方といえます。

さて全国でこの夏、100歳以上の高齢者の所在がつかめなくなっている事例が相次いでいることから、各自治体は敬老の日のお祝いの渡し方などに工夫して安否の確認、つまり実質調査をするはずです。しかし田舎に住む当方の父親は、正真正銘の100歳(あと数ヶ月で101歳)と元気です。きのうも、電話で祝いの礼が届いていました。多少、耳が遠いのは如何ともしがたいですが、自ら「最近物忘れがひどくなったので、メモで確認する機会が増えた」と認識した上でのこの態度、まだかくしゃくとしたものです。「かたえくぼ子」にも胸を張って言える「実質」の高齢者です。
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2010年09月19日

きょうは日曜日、肩がこらない小話はいかがでしょう

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以前、実際に耳にしたことがありますが、テレビのニュース番組で台風の被害についてアナウンサーが、「現場は洪水の水が押し寄せてきており大変です」と中継していました。興奮していたためか、日常からそう思っていたのか、明らかに「水」は余分で、「洪水が押し寄せて」です。
TV

さすがにNHKは少ないですが、こういった誤りが最近民放テレビに多くなっているそうです。他の例では「一酸化中毒」(一酸化炭素中毒)、「おびただしい人の数」(おびただしい数の人)、「忘れかけられていた」(忘れられかけていた)等々、数え上げたらきりがないとある資料に書かれていました。

 しかもこういった日本語の変な表現にとどまらず、年代や地域名など明らかな事実関係の間違いも少なくないとされています。主たる要因は、新聞社や出版社にある校閲係が、民放テレビ局には存在しないからです。ニュースの場合は記者が書いて、デスクのチェックが入るだけで完成原稿としてアナウンサーが読む仕組みです。元来アナウンサーは、発言力等に関しては乏しいものがあり、ついつい読んでしまいます。

 そうでなくても、広告収入の減少で民放テレビ局の経営は大変です。経費が増えるだけで収入にはつながらない校閲部隊を新設する民放は、今後ともほとんどゼロといっていいでしょう。しかしたびたびケアレスミスを聞かされていると、そのうち「このニュース本当かいな」と視聴者が思うようになるかもしれませんね。
映画

 さて日曜日ですから、先日終わった民主党代表選で争った両候補のテレビ会談を見ていてアレンジした肩のこらない小話3つ。
1

「母さん、もし代表選の選挙権があったら、おまえ誰に入れる?」
「わたし、断然司会者に入れるわ」
2

「両候補のテレビ会談、おそらく全国民がみんな見ているのに、この子は大学生だというのに居眠りなんかして、将来何になるんだろうね」
「総理大臣の候補を聞いて居眠りするんだから心配するな」
「えっ、どうして?」
「国会議員になれるはずだ」
3

「この会談の番組はスポンサーが引く手あまただったそうですよ」
「そう、で結局どこに決まりましたか?」
「嘘発見器の会社だそうです」
ひらめき

 おあとがよろしいようで。
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2010年09月18日

日中関係の陰と陽、そのいずれもが現実です

.JPG上海の機械展示会で(本文と関係ありません)

尖閣諸島付近で起きた海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件に絡んで、中国の一部で反日ムードが高まっています。これまでにも、北京や南京、瀋陽、広州などで日本のスーパーや飲食店への落書き、投石などが30数件発生しているとされています。またインターネット上では、満州事変の発端となった柳条湖事件から78年目を迎えるきょう18日に合わせた抗議活動の呼び掛けもあります。特にこれまであまり動きが見られなかった上海で、デモを含む抗議行動の可能性があるかもしれないと、日本人社会に緊張が広がっています。
ちっ(怒った顔)

ただ現在は上海万博も開かれており、6年前の2005年4月に上海の虹橋地区にある総領事館や飲食店が大きな被害を受けたような動きまでには至らないとの見方が一般的です。その時には、たまたま前日まで上海に出張中で、パーティで会った総領事は「上海はたいしたことはない」と話していました。しかし翌日夜、大阪の自宅で見たテレビでその総領事が、顔面蒼白で抗議声明していたことを今でも覚えています。中国ではいま、愛国感情が盛り上がる時期でもあり、「何が起こるか分からない」との声が聞かれます。ある程度政府当局も「ガス抜き」の意味合いから抗議行動を容認しますが、反日デモが広がれば統制できなくなる可能性も強く予断は許しません。

それにしても今回の尖閣諸島での中国漁船の異常な行動、新大使の丹羽さんを未明に呼び出して抗議するなどの中国当局の対応、どうも理解できないことが色々あります。やれ政治空白期における日本の危機管理能力を見るとか、昨年来やや冷却関係にある日米関係を中国当局が試したなどの憶測も飛び交っています。現実に、米政府は、事件は偶発的なものではなく、中国政府黙認の下で起きた「組織的な事件」との見方を強めて中国の動向を警戒しています。

たしかに中国国内の反日感情は、拘置された中国人の漁船船長の扱いが解決しなければ、容易に収束しないと思われます。現実に健康食品などを製造・販売する日用品メーカーが10月上旬に社員や取引先など1万人規模で来日し、5泊6日で日本各地を観光する予定だったツアーが急きょ中止となりました。逆に日本からの中国行きも、例えば万博ツアーなどにキャンセルが出始めています。かくいう当方も、来週末25日から山東省の済南市で開かれる交易会へ行く予定ですが、カミさんからは「何はさておき保険だけは」を厳しくいわれています。
わーい(嬉しい顔)

とはいえ東京や大阪、北海道、九州にはきょうも多数の中国人が来ています。特に九州の長崎、福岡などにはクルーズ船を仕立てた旅行団が上海などから大挙来日しています。クルーズ船の入港は3年前までは長崎港が日本一でしたが、現在は博多港です。博多港は3年前ゼロでしたが、今年は64回の中国からの入港が予定されています。2日前のテレビで、1200人を乗せた船が早朝、博多港に着岸してから一部観光を含む天神でのショッピングを経て帰国する、船中2泊のショッピング旅行を紹介していました。

子供を含む家族10人を引き連れたあるアパレル会社の社長、百貨店で日本製の時計4個を含め20万円、さらには家電ショップでお粥のできる電気釜、薬局で化粧品など大変な買い物をしていました。船は手荷物の制限がないため、人気があるのです。受け入れの福岡市も力が入っており、入港使用料の半額、中国人スタッフや中国パンフの充実など3200万円の年間予算で対応しています。それでも年間30億円が見込めるわけですから、高くはありません。

日中関係を取り巻く陰と陽ですが、そのいずれもが現実です。今回の問題は、日本の内閣の組閣が終了して、船長の拘置期限となる19日ころにヤマ場を迎えると予測されています。どのような形で着地するかは別として、引き続き何度も何度も同じような事態が引き起こされることだけは間違いないでしょう。
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2010年09月17日

「円売り・ドル買い」の為替介入とは

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16日、4日間の東京出張帰りに立ち寄った名古屋。知人によるとトヨタに牽引されて景気は多少、回復しつつあるとか。それでも今回の円高はきつい。 

 政府と日銀は15日、円売り・ドル買いの為替介入に踏み切りました。6年半振りです。菅首相が再選された直後の14日は静観の構えで円高是正には消極的とされていましたが、翌15日に突然、意表をつく介入となりました。菅さんが意地を出しての介入です。それだけに市場には「サプライズ」観が強く、東京市場で円高・株安の流れにひとまず歯止めがかかりました。ロンドンやニューヨーク市場でも介入し、介入額は1日あたりで過去最大規模の2兆円超の規模とされています。

 日銀はその効果を高めるために、介入で出回る円資金を回収せずに放置する「非不胎化」を実施します。また日銀と財務省は、潤沢な資金供給によって必要なら今後も続けるとしています。為替介入の「非不胎化」とは難しい言葉です。介入で市場に出回った資金を吸収すれば「不胎化」、逆にそのまま資金を市場に残すのを「非不胎化」といいます。市場にお金が潤沢に出回って金利の低下が進み、円の価値が下がって円高抑制効果を高めることが期待できるのです。

 ただ現在のドルやユーロ安に対する異常な円高は、もともと米国や欧州の景気悪化を反映したもので、その根源が解消されない限り世界の投資家はより安心感のある円に投資する流れは解消されないでしょうね。しかも円が世界で取引される規模は1日当たり300兆円にも上る金額で、今回の介入額はいわば砂漠に水を撒く程度です。

 更に各国との協調介入ではなく、日本の単独介入だけに欧米からは違和感を持って受け止められています。また仙石官房長官が「1j=82円当たりが攻防ライン」と日本政府の手の内を見せるような発言をするなど、どうも腰がふらついています。
ATM

 ところで日本の通貨は、明治が始まるまでは「両」でした。明治政府がそれを嫌ってあたらしく「円」と名付けました。財務担当の参議だった大隈重信が、金貨を欧米流の円形にすることと十進法に改めることを主張して円が生まれたとされています。ただ「円」という呼び名には二説あります。大隈重信は最初「元」という名を提案しましたが、衆議で「円」に決まったという説と、重信自身が「みんな指で輪を作って金を表している」と衆議に押し付けたとの説です。

 ちなみに幕末の1両は、当時大量に日本に流れ込んできたメキシコ銀貨の1jとほぼ同じに通用したそうです。そして新しく生まれた「円」は、1円が1jにほぼ同じでした。つまり1両=1円で、「円」の切り替えは比較的スムースに進んだと言われています。

 「円」が誕生して約150年、グローバル経済の下でこれほど翻弄されると大隈重信は思っていたでしょうか。いずれにしても、しばらくはテレビや新聞の経済ニュースから目を離せません。
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2010年09月16日

東京銀座・数寄屋橋交差点、14日午後4時〜4時35分

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号外が届くと各局のカメラが集中し、街の声を収録し始める。多くの億万長者が生まれる宝くじ売り場(右) 

民主党代表戦は、予想以上の大差で菅首相の続投が決まりました。721ポイント対491ポイントの内訳を見ると、国会議員票は412対400でほぼ互角。対して地方議員票は60対40、党員・サポーター票に至っては249対51の大差でした。

つまり「政権交代から1年間で首相が3人も誕生すれば、日本が笑いものになって国際的評価を下げる」とか、「政治とカネ」の問題をめぐる批判など、ごく一般的な国民感情が追い風となったといえます。特別に菅首相の訴えが評価されたわけではなく、メディアが意図的に作った消極的な「支持」かもしれません。誰かが言っていましたが、永田町の常識と国民の常識がいかに乖離(かいり)しているかの証明です。
映画

さて選挙結果がでた14日午後4時前に、たまたま銀座の数寄屋橋交差点近くで仕事をしていました。そうですここ数寄屋橋は、こういった場合に一番早く号外が出たりメディアが「街の声」を聞く場所なのです。そこは野次馬根性マル出しのおっさんですから、交差点東北角の交番前に出掛けました。お巡りさんに聞くと、号外を撒く要員やテレビクルーなどは来ているが、号外はまだということでした。

新聞社の人に号外の到着時間をたずねると「4時半頃」の返事。各テレビ局も、号外が出て本格的に取材活動に動く様子でした。ただ海外向け配信のロイター通信だけが、積極的に街の声を収録していました。当方にもカメラとマイクが向けられたため、円高、株安、消費不振などで日本経済は危機的状況にあるのに、お山の大将争いをしている時ではない(現実にこの日の円相場は15年振りの1j=82円台となりました)。菅政権にはあまり期待はしていないが、「一にも経済、二にも経済、三にも経済」で、迅速に経済・景気対策を進めて欲しい。諸外国と比べ日本国民の不幸は、自国の宰相を自らの手で直接選べないことだ―など、いろいろ発言しました。まあ、海外のどこかのテレビに出ているかもしれませんね。

そうこうするうちに、やっと号外が届きました。やはり東京は読売新聞ですね。4時30分でした。写真のように早速、各テレビ局が号外を受け取る場面を撮り、街の声を集め始めます。その模様は当日及び翌日のニュース等で繰り返し放映されていました。それにしてもどうして日本のメディアは、取材手法など画一的なのでしょうか。ロイターのように時間をかけてじっくり意見を聞いたらいいと思うのに、各局とも号外が着くまで手持ち無沙汰でブラブラ、号外が届くとたちまち目の色が変わります。完全にパターン化しており、これが民意として全国に流されるわけです。ある面、長年に渡る日本独特の「記者クラブ」制などの弊害かもしれません。

ところでここ数寄屋橋には、億万長者が多く誕生する有名な宝くじ売り場があります。一枚500円の「宝くじの日記念」を10枚買い、有楽町駅に向かいました。午後4時35分、小雨がぱらつき、やっと東京も涼しくなりだしたようです。
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2010年09月15日

「トロンボニスト谷啓」

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 谷啓さんが11日急逝しました。78歳でした。12日の密葬では祭壇に、愛用のトローンボーンがおかれたそうです。ご承知の通り谷さんは、「ガチョーン」に代表される有名なコメディアンでしたが、同時にトロンボニストとしても一流でした。久方ぶり登場のITジャーナリスト四方夏己さんに、「トロンボニスト谷啓」を綴ってもらいました。
演劇

 クレージーキャッツはもともとがジャズバンドであり、メンバー全員がミュージシャンであることは広く知られている。故人となった順に紹介すると、ハナ肇はドラムス、石橋エータローはピアノ、安田伸はテナーサックス、植木等がギター、そして谷啓がトロンボーンであった。ちなみに生存者では犬塚弘がベース、桜井センリがピアノである。

 それぞれがなかなかの腕達者であり、全盛期にはスイングジャーナル誌の人気投票などでも上位を賑わせていた。その中でも評価の高かったのが谷啓のトロンボーンで、日本のトップジャズメンとして世界に通用する腕前であった。クレージーキャッツがコメディーの世界で脚光を浴びるにつれて音楽の練習量が落ちる中、谷啓のトロンボーンの腕は落ちなかった。

 谷啓という名は、米国の伝説的コメディアンとして知られるダニー・ケイをもじったらしいが、ダニー・ケイが主演した「五つの銅貨」は素晴らしい映画だった。コルネット奏者レッド・ニコルズの半生を描いたものだが、ルイ・アームストロング役には本物のルイ・アームストロングが登場、そのトランペットとダミ声は圧巻であった。きっと谷啓もダニー・ケイの「五つの銅貨」を何度も観たことだろう。

 今調べると「五つの銅貨」の日本公開は1960年1月とのことで、トロンボニスト谷啓は28歳の伸び盛り。ジャズ・トロンボニストとしてJazz史に燦然と輝くJ.J.ジョンソンも全盛期で、楽器の構造上速いパッセージが苦手というトロンボーンの弱点を克服して圧倒的な演奏を聴かせていた頃だ。谷啓もJ.J.を強く意識していたことはまず間違いのないところで、その演奏スタイルにはJ.J.を感じさせるところがあった。

 最近では、NHKの教養番組「鑑賞マニュアル 美の壺」の谷啓がなかなか良かった。骨董を愛する好々爺という設定からは「俳優・コメディアン 谷啓」のイメージが強いが、往年のジャズファンにとっては、日本を代表するトロンボニストであったことを付け加えたい。合掌。
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2010年09月14日

オフィスビルの地下にある野菜工場を見学しました

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工場はあいにくのリニュアールちゅうでしたので全容が映せません。左から「ヴェルデナイト」土、プランターで育つみずみずしい野菜、辛味大根をどうぞ
 
酷暑で生鮮野菜などは大変だと連日、メディアが生産者とレストランや一般消費者の声を流しています。日本の農業はこういった異常気象に加えて、高齢化の問題もあります。日本だけではありません、世界で農場の争奪戦が激しくなっているそうです。日照りや水問題、害虫などに影響されない農業はないものかと。

大阪市中央区にある大手商社丸紅大阪支社の地下にある「屋内野菜工場」は、そういった悩みを解決する一方策として注目を集めています。「えっ、オフィスビルの地階で野菜栽培だって?また冗談を」と思われるでしょうが、新聞やテレビでも広く紹介されたように地下2階にある60坪の会議室をリニューアルした植物栽培室には、色んなみずみずしい野菜が育っています。当方、この歳になっても好奇心の塊ですから、これまで3回もお邪魔して見せてもらいました。

正確には「人工土壌ヴェルデナイト」なるものを活用した植物工場です。保水性のあるビートモスと、モンモリロナイトという保肥性のある粘土物質のそれぞれの長所を組み合わせたのが有機栽培天然土壌資材の「ヴェルデナイト」です。とにかく水も肥料も少なくてすむ、ノンケミカルな“理想の土”とされています。一般培土と比較すると重さが11分の1、保水力10倍、保肥力50倍ですから、水やり・施肥の量や回数が少なくてすむわけです。農業はもちろん、屋上緑化や砂漠緑化でも可能で、すでにアラブ首長国連邦などでは砂漠緑化で活躍しています。

さて肝心の野菜栽培ですが、ヴェルデナイトが入った70a×460a×深さ12aの大きさのPP製専用プランターが可動式ラックに何段も重ねられ、そこに人工照明として蛍光灯やLEDライトが当てられ、短期間で高品質の栽培が可能となっています。またこれまで屋内水耕栽培は、水菜やレタスなど葉物が中心でしたが、この土を使った栽培法では、大根やゴボウなどの根菜も可能だそうで、しかも味や香りの濃いものができます。あるパン屋さんがラディッシュとイタリアンバジル入りのチーズパンを焼いていますが、チーズのパン生地に負けない濃厚な野菜の味が好評だと話しています。

特徴をまとめてみると、@害虫や菌の侵入が防げるので完全無農薬・有機栽培が可能A天候に左右されずに最適な温度と生育環境が保て、生育期間も3〜7割早めるB野菜から果樹、花卉までいろんな植物が栽培でき、水耕栽培より味も香りも濃いものが可能C建物の高さがあれば何段でもプランタンを重ねることができ、空間の活用が有効などです。つまり露地栽培の場合、多品種栽培、有機肥料による栽培、節水農業といった形での困難さがありますが、これを克服できます。また農場の移動、無農薬栽培、一定面積あたりの収穫量の増加、外部環境を問わない安定・定量生産などによって、地産地消型農業で輸送コストやエネルギーが節減できます。

ただ課題もあります。畑があればそこはただですが、当然投資が必要です。栽培日数の短縮、省エネ技術、美味しさの向上などでカバーするとしても、投資金額の回収は大変です。それ以上に問題なのは販路です。丸紅でも、毎日のように全国から見学や問い合わせがあるとします。確かに繊維会社など全国にはたくさんの遊休工場がありますが、最終的なネックはどこに安定的に売るかという販路の問題です。食品スーパーや大手レストランなどが取り組む手もありますが、市場に定着するまでには、栽培を経ての加工と販路のネック解消が緊要となっているようです。

とはいえ見学の際に、いつもラディッシュやチマサンチョ、レタスなどを直接抜いてそのままいただきます。また辛味大根も一緒に見学した人が家に持って帰って食べたら、実においしかったといいます。実は丸紅の植物工場、毎日多くの新鮮野菜ができるため、その処理に困っているそうです。近かったらもらいに行くのですが。ただそんな個人ユーザーに情報です。植物栽培システムのトライアルキットというのがあります。土であるヴェルデナイトと栽培ラック3段、そしてユニットプランタン6個などがついて1セット38万円(組み立ては各自)です。同じ内容でしっかり栽培ケースに入ったものは120万円です。

農園を持たない都会人にとって、自宅の部屋で新鮮に育つレタスやパセリ、ラディッシュ、ブロッコリー、チンゲン菜、エゴマ、ミント、スイートバジル、ゴボウ、オクラ、ナス等々の成長に癒さる。それが食卓に並ぶ。そんな生活を考えてもいいかなと思いますが。
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2010年09月13日

中国ビジネスでの詐取容疑事件、お先棒をかついだメディアも問題

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メディアは中国報道に関しても手抜きをしない正確な取材が基本にすべきだ

 ついに刑事事件に発展し、大阪地検特捜部が詐取容疑で家宅捜索や任意の事情聴取に乗り出しました。中国に生産拠点を持つある婦人服アパレル会社と、そこの女性社長のことです。

 彼女はここ20余年間、中国ビジネスで成功した「美人カリスマ女性社長」として新聞、雑誌、ビジネス書、テレビなどにたびたび登場し、民間はもとより官公庁が主催する講演会やセミナーでも引っ張りだこでした。その論調は一貫しており、「中国ビジネスを語れるのは私以外にいない。私に相談すれば必ず成功する。私以外の人はうそばかり」でした。

たとえばある講演会に、彼女ともう一人の講師が呼ばれたとします。一人の講師の後で登壇した彼女は開口一番、「今の講師の話はうそです」とやってしまうのです。その講師が目の前にいても平気です。とにかく人をこき下ろして、その対角線上に自分が存在する手法です。

 香港で輸出業務の貿易会社を設立した後、25年ほど前に大阪・中央区に現企業を設立して、上海や北京に婦人アパレルの生産拠点を持って事業展開していました。中国の工場は「OEM」といって相手先ブランドの生産、わかりやすく言えば賃縫製に近い仕事ですから、相当な数量を生産しても売り上げや利益はタカが知れています。それでも他社の中国事業サポートなどを含め、最高時には公称で年商900億円といわれていました。

 大阪と東京に夜景が見渡せるタワー・オクション、中国で泊まるのは釣魚台国賓館。北京と上海の空港には専用の特別室があり、大阪のシティホテルではお歴々を集めて彼女の誕生パーティを開くなどの風聞が飛び交い、この世の春でした。3年前には、大手出版社から彼女の中国ビジネスにかかわる本が出版され、紀伊国屋など書店の大きな外壁には彼女の等身大以上のポスターが長期間飾られていました。

彼女と会社の実態が初めて暴露されたのは、昨年12月のある週刊誌です。「みずほ、三井住友など大手銀行を手玉に取った中国ビジネスのカリスマ美人社長。第二の尾上縫事件」云々でした。尾上縫事件とは、大阪の高級料亭「恵川」の尾上女将が、1990年代初に東洋信金(倒産)や日本興業銀行(みずほ)などの金融機関を巻き込んで4300億円を焦げ付かせた巨額の金融詐取事件です。実は4300万円まではいかないまでも、同社とその関係会社は、都銀大手や地銀数行に対し総額300億円を超える融資を受けており、その大半の返済が滞っているとされていました。

 ところがこの週刊誌でも暴露されていましたが、金融機関から矢の催促があったそのころにも彼女は、「賢者の選択」というテレビ番組に堂々と中国ビジネスの賢者として出演していました。さすがにこのときは、出るほうも出るほうだが出すメディアも異常だと「賢者の選択は」はひんしゅくを買いました。

 しかし今年4月、大阪地裁で民事再生手続きの決定を受け事実上倒産しました。負債総額は360億円です。ただ現在も中国の工場は稼働しており、日本や中国の空港で、彼女の姿をよく見かけるとの声を聞いていました。そんな中、先週大手一般紙の社会面トップで、「中国事業で数億円詐取か」として冒頭紹介した記事が載ったのです。その内容は、女性社長らが経営悪化の事実を隠して同社が順調であるかのように装い、中国で展開する事業への資金協力を大阪市の衣料卸会社に依頼し、現金数億円を詐取した疑いがもたれています。今年4月に、その卸会社が彼女を詐取容疑で特捜部に告訴していたのです。

何故ここまで彼女が天上を謳歌することができたかですが、まずは彼女が人を信用させる、それも「爺さんをイチコロにする」という天性の能力でしょう。都銀や地銀大手の融資は大半が頭取などによる特別決済とのうわさも、その辺を根拠にします。金融機関に限らず、表面化しない色んなビジネスにかかわる問題も概ね彼女の営業トークが土台になっているはずです。

しかし一方で、彼女を「中国ビジネスのカリスマ」と祭り上げた周囲の、それもメディアの姿勢を無視することはできません。とりわけある繊維専門紙などは異常でした。ことあるごとに紙面に登場し、自薦他薦で日本各地のセミナーや講演会でしゃべらせます。当然、紙面には同社の広告や出版された書籍の広告が載ります。同社だけではありません、先週社会面トップで報道していた新聞でも、書評欄ほかでたびたび彼女は紹介されたり広告も掲載されていました。

ちょっと考えれば、そのビジネス手法は理にかなっておらず、異常だと気づくはずです。現実に多くの繊維人が、彼女のビジネスに警鐘を投げかけていました。情報源の危うさや取材を手抜きするどころか、逆に大風呂敷の先導役を務めたメディアの立場にこそ、一番の問題があるといっても過言ではありません。当方が関係するメディアや団体は、彼女にとっては「素人でしかもウソつき」の部類だったために、幸か不幸か周囲に一切の迷惑をかけなかったと自負しています。今回の騒動を「もって他山の石にすべし」と肝に銘じています。
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