2010年07月31日

「グローバル人」で気になる日韓の格差

Fm006.jpg韓国ではこんな父子の姿も少なくなっているのでしょうね

 当方も英語会話がほとんど駄目だけに偉そうなことはいえませんが、韓国に比べ日本の英語教育はとてつもなく遅れつつあるそうです。このままではグローバル化対応の人材育成で、日本は韓国に大きく水をあけられてしまうとの危機感が各方面から指摘されています。

 確かに英語が全てではありませんが、韓国では小学3年生から英語が必須になっているため、幼稚園や保育園で英語教育が広がっています。小学校に入ると生徒が英語を話し、聞き、音に慣れる授業が中心で、英語での生活を体験する「英語村」が各地で開設されています。さらに中学段階で、理科や社会を韓国語で教えた後に英語でも教えるモデル校ができたり、一部の高校では外国留学を視野に入れて理数系の科目を英語で教える仕組みが始まっています。

日本の教育機関が調査した日韓の高校生の比較資料があります。英語で書かれたホームページやブログを読んだ経験がある韓国の高校生が79%に対し、日本はわずか21%。英語のメールを読んだ経験は韓国が58%に対し日本は18%でした。この彼我の隔たりには途方もないものがあります。

かくして韓国では「キロギ・アッパ」なる新語が生まれています。キロギは渡り鳥の雁(ガン)で、アッパはお父さんです。幼い子供を妻同伴で留学させ、自分は韓国で学費や生活費を稼ぐ。妻や子供のところに訪れるのはせいぜい年1回。そんなお父さんを渡り鳥に見立てているのです。

韓国では大学進学率が8割を超すものの、大卒の就職率は非正規を含め6割台です。ならばせめて語学力を高めて就職を有利にとの親心でしょうか、外国語を習得するには早期留学が一番とばかりに海外に飛び立つ母子が激増しているそうです。英語なら米国、カナダ、豪州が中心ですが、年収との絡みでフィリピンやマレーシアなども人気です。小中高生の海外留学は毎年3万人近くとされており、「雁父さん」が韓国の社会現象になるわけです。

対して日本。新入社員に海外勤務についての意識調査したところ、2004年に「海外で働きたくない」は29%でしたが07年には36%、「海外赴任を命じられたらできるだけ拒否する」が22%から30%にそれぞれ増えています。内向き志向の強まりを端的に示しています。

今後日本の国内市場は飽和・縮小が必至とされており、企業としては更に海外で稼ぐ必要があります。しかし日本人同士のコミュニケーションに限定しがちな社会がどんどん進む状況下では、世界市場で日本企業の存在感は低下するだけです。グローバルに活躍できる人材を育てないと、サムソン電子やLG電子など世界市場でシェア拡大が目立つ韓国企業にますます離されると思うのですが。
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2010年07月30日

ルラ大統領もロナウジーニョも飲んでる「ピンガ」

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目の前で「パサドーラ」青年がアツアツの肉を切り分けてくれる。カクテルの「カイピリーニャ」と「カシャーサ51」

一度はゆっくり食したいと思っていたブラジル料理をごちそうになりました。やはり中心は牛肉と新鮮な野菜、そしてアルコールは何と言っても大衆の酒「ピンガ」です。

メインディッシュは「シュラスコ」という、塊のまま串に刺した肉を岩塩だけで焼き上げてお客のテーブルで切り分けてくれる、いってみればブラジル式バーベキューです。鶏肉や豚肉、野菜など15種類ほどのメニューがありますが、やはり牛肉が最高です。

パサドールという肉をテーブルで切り分けてくれるスタッフが、「もう結構です」と言わない限り好きなだけテーブルに来て、ジューシーな肉を食わせてくれます。岩塩で味付けしており、特別ソースをつけなくても、さっぱりしています。

この店の牛肉で一番のおすすめは、「クッピン」というセブ牛のコブの中の肉です。肉の繊維が太めで、噛めば噛むほど味が出て、柔らかくてコンビーフに似た感じ。もうひとつは「ピッカーニャ」という腰から尻にかけての赤身の肉です。柔らかい肉質で、繊維が細かいために噛むと口の中でとろけるようです。

このほかにも日本ではランプ肉と言われる部位の一部で、脂肪分が少なくて柔らかい「アルカルト」や、同じく日本でカイノミと呼ばれる部分の肉で肉汁がたっぷりあって噛みごたえのある「フラウジィーニア」などがでてきます。

肉と並行してフレッシュベジタブルが充実しており、ヤシの芽などのブラジル素材も含めサラダバーには常時40種類が揃っているそうで、野菜だけでも堪能できます。ただセルフでサラダバーから取ってくるのですが、ついつい欲張ると肉が食えなくなります。

さて肝心のアルコールです。ブラジルで最もポピュラーな飲み物で、一般人から大統領にまで愛されているのが「ピンガ」です。正式には「カシャーサ」と呼ばれ、ラム酒の一種です。サトウキビの絞り汁を発酵・醸造して作られるブラジルのホワイトスピリッツでしょう。

ごく一般的な飲み方は、「カイピリーニャ」というカクテルで、ポルトガル語で「田舎の娘」だそうです。グラスにイチョウ切りしたライムを入れて、砂糖を多少加える。それをかき混ぜ棒でつぶして、クラッシュアイス、さらにはピンガを注いでステアすれば出来上がりです。

ミソは砂糖とライムです。たとえ少量とはいえ砂糖は入れた方がおいしく、またライムが重要です。ブラジルに赴任した経験を持つ人にとって、納得ができないのがこのライム。どうしてもブラジル産に近いライムが日本では手に入らないからです。かつてブラジルに3年ほど赴任され、今回ごちそうしてもらった方もさかんに、「ライムがライムが」と言っておられました。

この店、テーブルの上のチップを緑色にするとスタートの合図で、チップを裏返して赤色のストップ合図をするまで、次々と陽気なパサドール青年がアツアツの肉を持ってきてくれます。「おお君は闘莉王そっくりだなあ」「君はちょっと太ったロナウジーニョだ」なんて言いながら、肉を食いカシャーサを何度もお代わりしていると大変です。

口当たりがいいので10杯以上やったと思います。しかしピンガのアルコール度は40〜50度ですから、完全に「田舎の娘」に翻弄されてしまいました。タクシーに乗って帰宅したことだけは覚えているのですが…。

大阪長堀のラ・ポルト心斎橋(旧ソニータワー)にある「バルバッコア」というこのブラジル料理専門のグリル、東京の青山と丸の内にも姉妹店があります。ごちそうしていただいた人に失礼と思いながら値段表を見ると、価格もリーズナブルでした。

さあ、今度は「田舎の娘」を征服してやるぞ!
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2010年07月29日

国際的な縫製機器の大型展示会が2012年秋、大阪に帰ってきます

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27日、大阪中央区の輸出繊維会館で会見する実行委員メンバー(中央が美馬氏)

工業用ミシンなど縫製機器の国際的な見本市、「国際アパレルマシンショー」(略称JIAM)が2012年秋に、再び日本それも大阪へ帰って来ます。むかしから「繊維の街大阪」といわれてきましたが、その実態は国内では東京など首都圏へ一極集中し、それ以上に中国を中心にアジアが主軸になっているだけに、久方ぶりに業界を活気付ける決定です。また大阪にとっても地盤沈下が激しい中、100社を超える海外メーカーが出展し、海外から6000人近くの来場が予想される大型国際展示会は「極めてウエルカム」な企画です。
わーい(嬉しい顔)

「JIAM」を主催する日本縫製機械工業会が27日に大阪で記者会見し、2012年9月19〜22日の4日間、大阪市住之江区南港のインテックス大阪で「JIAM2012 OSAKA」を開催することを正式に発表しました。実行委員長はペガサスミシン製造会長の美馬大道氏です。冒頭あいさつで美馬委員長は、JIAMが節目の10回目を迎えるということもあり「新生JIAM」を強調、新たな世界に向かってチャレンジする展示会にしたいと語りました。

「再び日本に帰ってくる」とか「新生JIAM」と表現するのは、次のような意味からです。JIAMは1984年にスタートし、大阪を中心に日本で3年ごとに開かれてきました。しかし前回2008年の第9回展は初めて海外のシンガポールで開催されたのです。縫製産業の中心であるアジアの人が展示会に行きやすいということでシンガポールで開かれたのですが、現実にはシンガポール国内には繊維産業は皆無で、会場は閑古鳥がなく始末で散々でした。その時は当方も高いホテル代など、高物価のシンガポールに行って痛い目にあいました。

その後、次回に向けて再度シンガポールや中国などでの開催が論議されましたが、10回という節目や原点回帰を込めて大阪へのUターンとなったものです。3年ごとということで本来なら来年2011年が開催年ですが、リーマン・ショックによる世界同時普及の影響はもちろん、 開催地の選定で悩んだことも1年繰り延べの要因と言えます。

ただ大阪回帰の最大の理由として、今中国で進んでいる人件費の高騰と慢性的な沿海部での人手不足が影響しています。つまりポストチャイナ、マンモアチャイナを求めて、世界の縫製産業はバングラデシュやベトナム、パキスタン、インド、果てはアフリカまでと各地に分散化しつつあります。ならば海外で開こうと国内で開こうと条件は同じと言うことで、日本開催が決まったのです。

さらに地盤沈下する日本の繊維製造業を活性化したいとか、JUKIやブラザー工業、ペガサスミシン、ヤマトミシンなど大手中堅なら海外展示会もそれ程負担はないが、小零細の縫製関連機器や部品メーカーはどうしても経費面で海外は無理です。その辺を勘案したこともあります。地盤沈下が続く大阪をアジアへのゲートウエイにしたいとの狙いもあり、こういった色んな思惑が絡んで2012年秋大阪開催になったものと考えられます。

展示会では「クリエイティブ・リンケージ〜革新技術で人を豊かに快適に〜」をコンセプトに、革新機器の展示はもとより、繊維の素材や資材、その加工品など川上から川下までの幅広い展示を目指すそうです。これらとのコラボレーション展示を通して、関連業界との連携・融合を進め「JIAMに行けば事業発展のキーとなる新たな発見とヒントが見つかる」「ここに足を運ばないと損をする、繊維・ファッション産業のプラットフォーム」になる見本市を目指したいと美馬さんは強調します。

ただ「正直、どのような展示会になるか迷っているが、とにかくあらゆるものにチャレンジするアクティブな見本市にしたい」(美馬委員長)そうで、例えば10年先、20年先には油のないミシン、全く騒音がなく家庭でも縫製できるミシンを開発するなど、夢の共有もテーマにしたいとします。もっとも現実論としては、やはり中国からの出展、来場が大きな課題でしょう。さらに紡績機械や織機、染色加工機など糸やテキスタイルの製造機器との連携やテキスタイルやアパレルの展示も検討課題といえます。

なお海外からの6,000人を含む35,000人の来場者を目標としていますが、その際問題となるのがアジアからの受け入れ問題です。中国人の場合、この7月から入国審査はかなり緩和されましたが、バングラやパキスタンからの入国は、現状ではかなりハードルが高くなっています。これも主催者にとっては頭の痛い問題といえるでしょう。それでも繊維業界や大阪にとっては、久々に元気の出る話題です。何とか成功させたいものと、及ばずながら無い知恵を絞ろうかと考えています。
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2010年07月28日

没後20年、今も多くの人に愛される池波正太郎の世界

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書店でズラリと池波作品。何度も読み返す鬼平犯科帳と剣客商売(左) 

バブル経済が崩壊した1990年初頭から、現在の時代小説ブームは始まったとされています。牽引したのは言うまでもなく、司馬遼太郎、池波正太郎、藤沢周平です。3人ともすでに鬼籍に入っていますが、21世紀になって10年経つ今も、3人の作品は読まれ・売れ続けています。

 経済評論家の佐高信氏はこの3人について、「司馬遼太郎は商人であり藤沢周平は農民。そして池波正太郎は職人である」と論じています。その上で職人と商人をコントラストすることは困難で、いささかならずとも調子のいい商人と対抗するためには寡黙に働く農民のエネルギーが必要だとして、「司馬と対置させるためには、池波ではなく藤沢でなければならない」と語ります。藤沢周平と同郷の山形出身で、また業界紙の記者として育った共通項を持つ佐高氏ならではの評価だと思います。

確かに司馬遼太郎は1960年代から20年余、明るく前向きで元気のよい英雄的な主人公を登場させて時代小説をリードしてきました。ただ時代小説には、スポットライトを浴びる表舞台から外れた場所で、暗いながらもひっそりと地道に生きる人々を描くことも求められていました。それが90年代の藤沢作品だったといえます。

では佐高氏が「職人」と論じた池波正太郎はどうか。「小説現代」の編集長などを歴任した木村彦次郎氏は、「藤沢さんはセンチメントが高いが、池波さんの方は下世話で砕けていて落語」と評します。また歴史上の人物を描いた司馬遼太郎と対置して、「(池波さんは)新しい人物像を作り上げた独創性があった」と語ります。火付盗賊改方の長谷川平蔵は実在の人物でしたが、あくまで池波正太郎が作り上げた平蔵です。いわんやハリ医者の仕掛け人・藤枝梅安や剣客商売の秋山小兵衛・大治郎親子などは、池波正太郎が生み育てたヒーローです。

その池波正太郎が亡くなって今年20年です。書店では「鬼平犯科帳」などの代表作はもとより、池波正太郎関連の新刊書もたくさん出ています。またテレビなどの時代劇専門チャンネルでは、「鬼平犯科帳」「剣客商売」などを放送すると必ず高視聴率だとされています。

自宅の書棚を覗いてみると、時代小説が幅を利かせています。子母沢寛、海音寺潮五郎、大仏次郎、山本周五郎などに次いで、司馬、池波、藤沢作品、最近では平岩弓枝や永井路子を先頭に、澤田ふじ子、北原亞似子、宇江佐真理など女性作家の本も増えています。平成のベストセラー作家、佐伯泰英の作品も少なくありませんが、これは時代小説というよりもチャンバラ・活劇小説と位置付けています。

この中で池波正太郎の作品は200冊近くありました。どの程度出版されているのか調べていませんが、かなり読んでいるのではないかと思います。長編の「真田太平記」なども面白いですが、やはり鬼平犯科帳、剣客商売の2シリーズが好きで、何度も読み返し、テレビドラマのCDもたびたび見ます。同じ本を読み返すことはあまりしませんが、この2シリーズは例外で今後も読み継いでいくはずです。

それと池波作品は食べ物を中心に季節感がいいですね。平蔵や小兵衛、梅安が季節にあわせて食ったものを、正直食ってみたくなります。そんなわけで東京へ出張すると、浅草の蕎麦屋ではそばをあてに酒を飲み、また明治座から日本橋人形町をうろうろ歩き、仕上げは神田駿河台の山の上ホテルでスコッチをなめるのを楽しみにしています。

没後20年、いまも新鮮に池波作品は多くの人に愛されているのです。
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2010年07月27日

お母さん、子供さんのために毎月1冊本を読んでください

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整然と並ぶ書籍、絵本や児童書コーナーも充実するが・・・

父親の影響もあったのでしょうか、小さい頃から本が好きでした。学生時代は長期間、わざわざ探して本屋でアルバイトをしました。今でも2日に一度は本屋に立ち寄り、ウロウロします。平台に積まれた本が乱れていたり、四六版や文庫本が書棚で不規則に並んでいたら、店員に代わってついつい整頓してしまうのです。
喫茶店

大きな書店では最近、書物を探すための検索システムが設置されており、慣れた顧客は自分で検索して必要な書物を探しますが、大半の人は店員に尋ねます。どうも安価な文庫本の影響か、一店に陳列する書物が増えています。このため店員は、聞かれた本がどこに置いてあるのかさっぱり要領が得ず、たちまち「その本品切れです。注文しておきましょうか」となってしまうのです。しかしよく探せば書棚に置いてあったり、ひどい例では平台に10数冊も積んでいても気がつかない店員が多いと、知り合いの店長がぼやいていました。

先のブログでも紹介しましたが、書店を巡る環境は激変しており、ムック本や付録を目玉にした本、あるいは付録だけの本が登場する一方で、電子書籍の登場で書店どころか出版業界そのものの存続が危ぶまれる状況となっています。しかし書店及び出版業界にとっての根源的な問題は、やはり全体としての文字離れでしょうか。

面白いデータがあります。厚生労働省の「子供の読書量には、親の読書習慣が大きく影響している」という調査分析です。つまり父母が読書家であればあるほど、子供(ここでは小学2年生を対象)が読む児童書や絵本の冊数が多いというデータです。

これによると、1ヵ月の母親の読書量が1冊の場合、子供が1冊は17.4%、2〜3冊が34.1%、4〜7冊が26.3%、8〜11冊が9.0%、12冊以上が13.3%です。データでは母親の読む冊数を2〜3冊、4〜7冊、8〜11冊、12冊以上の水準それぞれまとめており、母親の読書の量と並行して子供の読書量が増える実態をとらえています。たとえば母親が月12冊以上の多読の場合、子供も12冊以上が55.7%と半数以上を占めているのです。この傾向は、父親の読書量に関してもほぼ同様です。

逆に読書習慣のまったくない母親の子供は、月1冊だけというのが17.3%と高く、12.冊以上は9.8%にとどまっています。親の読書習慣が、子供と密接な関係があることを裏付ける調査資料といえます。確かにお母さんの場合、子供やご主人、場合によっては年寄りの世話をしながら家事全般に追われる毎日です。不況によって、パートなどにも出ることが増えています。とても落ち着いて、本を読む余裕はないと思われます。それは重々分かってはいても、子供さんのためにも月に最低1冊は好きな書物に目を通していただきたいと思うのです。

ここまで書いて、ふと思ったのです。我が家の子供たちは、小学2年生の頃にはたしてそれだけの本を読んでいただろうかと。当方は毎月平均10冊近く読んでいたと思うのですが、娘や息子は秘密のアッコちゃんやドラえもん、ドラゴンボールなど漫画の本ばかりだったような気がします。そうなると、この調査データあまり普遍性はないようですが・・・。
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2010年07月26日

酷暑対策には高校野球観戦がお勧め

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南港中央球場で


 昨日も日中気温は全国各地で35度以上の猛暑日でした。このうだるような暑さを過ごすための最大の方策は何かと考えた結論が、意識的に気温より暑くなろうということでした。そこで朝起きて一番に、徒歩と電車でゴルフの打ちっぱなしに行きました。当方の意図を理解してくれたのか、当方の打席だけ扇風機が故障で蒸し風呂に入っている状態でした。それでも水を飲んでは打ち、打っては水を飲んで延々3時間半、合計400発打ちました。
ゴルフ

 再び電車と徒歩で帰宅し、一切着替えはしません。家人が鼻をつまむそぶりも無視して簡単な昼食の後、再び乾いたタオルだけ手にして近くにある大阪・住之江区の南港中央球場に出かけたのです。そう、全国高校野球選手権の大阪地区予選の見学です。カンカンと照りつける灼熱の太陽をさえぎるものは何もありません。午後1時15分から4時半までずっと耐えました。
野球

この球場は人工芝のため天然芝より照り返しが強いのが特徴で、実際の体感気温はほかの球場より3度ほど高いとされています。何しろ10年程前には、塁審が熱中症になったといういわくつきの球場です。その人工芝の上でプレーする選手や審判員ほどではないにしても、さえぎるものがないスタンドは大変です。

新聞に「こんな日は熱中症に注意」という記事がでていました。つまり@気温が高いA急に暑くなったB湿度が高いC風が弱いです。見事に4項目とも該当しました。同じ紙面に「熱中症の予防対策」として、以下4項目も載せています。@日傘・帽子A涼しい服装Bこまめな水分補給C日陰の利用です。あえて避けた日陰を除けば、水分補給などパーフェクトに実践しました。

それでもこの炎天下で3時間15分耐えることができたのは、試合内容が面白かったからです。各地で代表校が次々と決まっていますが、大阪地区予選はまだ4回戦です。しかし南港球場での2試合はともに逆転に次ぐ逆転の大接戦でした。1試合目は八尾高校と大商大高校で、2試合目は近大付属高校と英真学園でした。

前者は途中から見ましたが、下馬評の高い大商大が1回に4点、2回に1点入れてワンサイドだったのに、八尾が4回に1点、6回に6点入れて一気に逆転してそのまま勝つかと思いましたが、結局地力に勝る大商大が9回に3点入れて逆転して逃げ切りました。八尾が惜しかったのは8回の裏に追加点が取れなかったこと。外野の好返球もありましたが、二塁ランナーがもう少し足が速かったらホームで頓死せず、番狂わせとなったはずです。会社の事業も一緒、要は仕上げの大切さです。

2試合目は更に楽しめました。近大付属高校は、大阪はもちろん甲子園にもたびたび出場する野球名門校ですが、失礼ながら英真学園という名前は聞いたことがありません。球場で取材してみると、2000年に男女共学になった学校で、それまでは90年ほどの伝統を持つ女子高、淀川区の十三にあるとの情報。「はは〜ん、なら分かる、かの淀女か」と。英真学園側スタンドに結構派手な女高生の姿が目立つはずです。

しかし野球って面白いですねえ。近大が2回にそつなく2点を先取したのに対し、英真は4回2点、6回1点であっさり逆転してしまいます。その後英真が押し気味に進めるものの、近大付属が同点に追いつき、延長10回に1点を入れて振り切ります。英真のピッチャーはかなりのレベルでしたが、いかんせんトータルでの実力差はいかんともしがたく、大きな魚を逃がしてしまいました。近大付属にとって、地区4回戦など問題にしていなかったと思います。野球部員とその家族以外、スタンドには学校関係者の姿はほとんど見えないのに対し、英真学園は先述した派手な「十三のネエちゃん」と見間違う女高生が少なくありませんでした。判官贔屓か、英真学園を応援していたようです。

地方予選とはいえ、入場料700円としっかりとります。まあそれでもサウナと比べれば安いと思いました。それにしても大阪予選はまだ4回戦。そうそう、PL学園も負けてしまいました。何しろ予選会には186校も出場するのですから、甲子園で勝つより困難です。

ちなみに地区予選で最も多い都道府県は愛知県で188校、次いで大阪と神奈川が186校です。3府県以外に150校以上は千葉(175校)、兵庫(161校)、埼玉(159校)の6府県です。対して甲子園に最も広い門は鳥取県の24校で、愛知のほぼ8分の1の競争力です。これに福井(29校)、高知(32校)、徳島(33校)、山梨(38校)、島根(39校)の各県が続きます。

では広き門と狭き門の勝ち抜き組みで、最終的に甲子園ではどのような結果が出るかですが、やはり苦労して甲子園に出てきたチームは実力を備えています。たとえば過去5年間の夏の大会の優勝校を見ると、愛知中京大、大阪桐蔭、早稲田、駒大苫小牧の4校が出場校100校を超す狭き門グループで、89回の佐賀北の佐賀県のみ41校と例外です。準優勝校に関しても静岡の常葉菊川、駒大苫小牧は完全な狭き門グループで、日本文理の新潟県(93校)、広陵の広島県(97校)は範囲内、京都外大西の京都府(77校)も平均以上です。ことほど左様に地区予選の広き門は、甲子園で狭き門になるのです。

酷暑対策が知らぬ間に高校野球談義になりました。まあ日本の夏は、こんなことで高校野球に熱中していると、そのうち「セミしぐれ」から赤トンボが飛び交う季節になります。それまでなんとか元気でやりましょう。今週はやや酷暑も落ち着くとの予報です。とはいえ土曜日には赤穂で、100人を超す地獄のゴルフコンペが待っています。
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2010年07月25日

造船業界の苦境を見て思う「むかしの日本人は頑張った」

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三菱重工長崎造船所

 亜米利加(アメリカ)、英吉利(イギリス)、仏蘭西(フランス)、独逸(ドイツ)、伊太利亜(イタリア)などは、比較的知られています。ではむかしの人が書いた、以下の国々の読み方は分かるでしょうか?

 @希臘A西班牙B丁抹C土耳古D白耳義E波蘭F葡萄牙G埃及H墨西哥I伯剌西爾。さあどうでしょう、全部読めたらもちろん、7つ以上なら相当博識です。@からFまでが欧州、Gがアフリカ、HとIが北・南米にある国です。

 回答は@ギリシアAスペインBデンマークCトルコDベルギーEポーランドFポルトガルGエジプトHメキシコIブラジルです。文明開化のころは大変だったでしょうね。見たことも聞いたこともない国々の情報がドット流れ込んだのですから。ではそのころの人が情報洪水に流されていたかというと、そうでもありません。しっかり情報を捉えて、生かしていたのです。
船

 たとえば1853年(嘉永6年)に浦賀に来航した亜米利加の黒船を見てからわずか18年後の1871年(明治4年)には、早くも日本は鉄船を造っています。それから37年後の1908年(明治41年)には、蒸気タービン船を建造するなど、すでに造船技術ではもう欧米との時間差がほとんどなくなっていたとされています。

 造船業が発達するためには、多くの関連産業が発達しなければならないのは当然で、並行して機械、鉄鋼、金融なども急速な成長を遂げていたのです。いずれにしてもむかしの日本人はがんばっていたのですねえ。

 さて長年にわたり世界の造船王国に君臨してきた日本の造船業界も時代とともに右肩下がりとなっていましたが、特に08年秋のリーマン・ショックを境に受注が急激に落ち込んでいます。リーマン・ショックに円高が追いうちをかけて日本の造船業界は国際的な競争力を失いつつあります。逆に攻勢を強めるのが韓国と中国です。とりわけ中国の勢いは急で、韓国を抜いて中国は世界一の造船大国になっています。

 こういった流れの中で三菱重工業は先週21日、船舶事業の再編策として神戸造船所から商船の建造を撤退し、長崎と下関の2か所に集約すると発表しました。神戸造船所は1905年(明治38年)にスタートし、豪華客船「ふじ丸」を始め多くの商船を造ってきました。船が完成するたびに行われる進水式は、港町・神戸を象徴する風景のひとつとされていました。現在でも神戸造船所には約4000人の社員がいます。今後は潜水艦などに特化するそうです。

 三菱重工の09年度の商船受注額は約1500億円で、前年度比半減との情報があります。このため大型の豪華客船などの付加価値が高い造船で差別化を図る考えですが、同社を始め日本勢が得意としてきた液化天然ガス(LNG)運搬船などの分野でも韓国メーカーなどの追い上げが激しく、いつまで競争力が保てるか不透明となっているそうです。

 先々週長崎で、坂本竜馬の銅像と一緒に三菱重工長崎造船所を見下ろす丘の上に立ちました。竜馬たちが活躍した時代から約150年、「おまはんらも、頑張らんといかんぜよ」と竜馬が大きな声で叫んでいるようでした。


 
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2010年07月24日

猫族の中で「招き猫」だけどうして人気があるのでしょう

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陶器神社の招き猫、別館5回では招き猫が一堂に、事務所には「大元気」「大喜び」の猫2匹
 
 本性を包み隠しておとなしそうに見せることを「猫かぶり」といい、強情で人の言葉に従わないことは「猫網」、内心と違ったうわべだけの断りは「猫の魚辞退」、さらに好物を近くに置くと油断ならず過ちが起きやすいことのたとえが「猫に鰹節」。あげく「猫は3年の恩を3日で忘れる」となるのです。
exclamation&question

 その容姿・行動に関しても、首が前に出て背中が丸くなっている状態は「猫背」で、足音を立てずに歩くことは「猫足」、短い顔の人をいやしめて「猫面(づら)」、物事がめまぐるしく変わるさまを「猫の目」、熱いものが飲食できない「猫舌」、土地が極めて狭いことを「猫の額」と、どうも芳しくありません。

 どうしてここまで猫はバカにされ嫌われるのでしょうか。かと言ってちょっと可愛がれば「猫かわいがり」と形容され、機嫌をとろうと優しそうに声を出せば「猫なで声」といわれてしまいます。生理現象の後、脚で砂をかけて糞を始末しても「猫糞(ねこばば)」とののしられ、悪行を隠して知らぬ顔、果ては落し物を拾って自分のものにしてしまうと揶揄されるのです。

 のどが渇いたから茶を飲もうとすれば、「“猫も茶を飲む?”生意気で不相応だ」、「猫の手も借りたいほど忙しい」は、裏返せば仕事を手伝わせても何の役にも立つはずがないということです。どどのつまり「女子(めこ)も若子(じゃくし)も」の言い誤りが、「猫も杓子も」になってしまいました。

 ここまでくると気の毒ですね。ところが不思議なことに唯一といって良いほど、招き猫は人気があります。前脚で「おいで、おいで」と人を招く形をした置物。むかしは農作物や蚕を食べるネズミを駆除するため、養蚕の縁起物でしたが養蚕の衰退とともに商売繁盛の縁起物になりました。一般的には三毛猫ですが、最近は地の色が伝統的な白、赤、黒色に加え、ピンクや青、金色などカラフルになっており、色によって「学業向上」「交通安全」の青、「恋愛」のピンクなど意味が異なります。

 招き猫の誕生には諸説がありますが、一番有名なのが東京世田谷にある豪徳寺の話です。つまり江戸時代に彦根藩井伊家のお殿様が鷹狩りの帰りに同寺の前を通りかかったところ、和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため寺に立ち寄って休憩します。すると雷雨が降り始め、殿様は雨に降られずにすんだため、荒れていた同寺に多額の寄進をし寺は盛り返したとか。和尚は猫の死後墓を建てて弔い、また後世には境内に招猫堂が建てられたそうです。

 以来、豪徳寺は井伊家の菩提寺となり、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も豪徳寺にあります。だから彦根城築城400年祭のマスコットは猫の「ひこにゃん」なのですね。ちなみに9月29日は招き猫の日、その心は「来る福」。ニャンだこれは?

 さて昨日のブログで紹介したように、陶器神社の夏祭りに出掛けて招き猫の即売会に顔を出しました。事務所には写真のように「大喜び」「大元気」と書かれた陶器猫付きの絵馬を買いましたが、一緒に行ったカミさんは小さな招き猫を4匹求めました。それぞれ子供たちに結婚運、商売運、元気運などを願ったものですが、自分用はしっかり金運。通説では右手(前脚)を挙げている猫は金運を招き、左手(前脚)を挙げている猫は人(客)を招くとされますから、カミさんには右手を挙げたのがいいよと忠告したのですが、ご本人は両手を挙げたもののほうがご利益があるとして、両手挙げ猫に決めました。
exclamation

 元来、“欲張り過ぎると「お手上げ万歳」になるのが落ち”と言われます。「豚に真珠」いやいや、「猫に小判」とならなければいいのですが。

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2010年07月23日

「猛暑を吹き飛ばすか」―大阪でも夏祭りの真っ最中

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写真左から坐魔神社、陶器神社に奉納された陶器人形、御堂筋に面した難波神社 

うだるような暑さとはこのことでしょう。日本列島は梅雨が明けたかと思うと、連日の猛暑日です。ただエアコン、涼感寝具、汗を吸い取る機能性肌着、スイカ、ビール、アイスクリーム、プール等々、夏商戦は活況を呈しています。ある研究機関の調査では、7〜9月の東京・大阪の平均気温が平年より1度上がると、個人消費を4333億円引き上げるそうですから、まあ消費不振に泣く日本経済にとってこの暑さは、ある面で救いの神かもしれません。
晴れ

そんな暑さを吹き飛ばせと、大阪でも夏祭りが各地で開かれています。中央区の本町界隈では、22日宵宮、23日本宮で坐魔神社と難波神社が夏の大祭でした。そして24、25日の天神祭で大阪の夏祭りはクライマックスを迎えるのです。

伊藤忠ビルの真西に位置する通称「坐魔(ざま)」さん、正式には「いかすり」神社といいます。その坐摩大神(いかすりのおおかみ)は古の昔、神武天皇が即位した時に神勅によって宮中に奉斎されたのが起源だそうです。ただ最初は天満橋の西方、石町(土佐堀通りの南、松屋町筋と谷町筋の間)近辺の「渡辺の地」に奉納されていましたが、天正10年(1582年)の豊臣秀吉の大坂築城で寛永年間に現在地に遷座となりました。現在の地名(中央区久太郎町渡辺3号)の渡辺は元の地名が移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地ともされています。

その坐魔さんの境内には、5〜6の境内社があります。「繊維神社」もそのうちの1社ですが、一番有名なのは「陶器神社」です。最近はある面、坐魔神社より陶器神社の方がよく知られています。元来は疫病除けや火除けの神様のようですが、「陶」と名のついた神様が関与していた関係で、いつの間にか「陶器」の神社になったようです。

現在は陶器商人の守護神として有名で、昭和46年に再建されたお社の手水、水口、灯篭、狛犬などは全て信楽、瀬戸、有田、織部などの陶器で飾られています。毎年大祭には陶器市が境内や隣の会館で開かれており、小原会館の5階ではここ5年ほど、招き猫の陶器と長崎県の波佐見焼が展示即売会を開いています。

ところで各地の神社やお寺には必ずおみくじがあり、いつも吉や凶で一喜一憂します。実は「吉」には大吉、吉、中吉、小吉、半吉、末吉、末小吉の7種類、「凶」には凶、小凶、半凶、末凶、大凶の5種類、合計12種類あるそうで、たとえ凶を引いてもまだまだ下があるためガックリする必要はなさそうです。ただ普通のおみくじには、大吉、吉、中吉、小吉、末吉、凶ぐらいしか使いません。問題は吉と凶の比率です。山口県にあって全国シェアの7割を占める「おみくじメーカー」は企業秘密として明らかにしないそうですが、一般的には大吉、末吉、凶が各8%ぐらい、吉、小吉が各15%、残りは中吉とされています。まあ多くの参拝者が喜ぶような比率になっているのです。

気象庁によると明日24日ごろまで、この厳しい暑さが続くそうです。ビールなどガブ飲みを抑えて、水分と睡眠をたっぷりとることが肝要です。
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2010年07月22日

タクシーの色にも表れるナニワの合理主義

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大阪市内を走る黒塗りタクシー

 それを白状すると「えぇ〜」と生きた化石を見るような表情をされるのであまり言ってきませんでしたが、実は自動車の運転免許を持っていません。以前は「好きな酒が飲めないから」なんて言い訳をしていましたが、最近は「世界中のタクシーが自分の専用車だ」とふんぞり返っています。
車(セダン)

 加えて各地に出掛ける仕事が多く、どうしてもタクシーを利用する機会が増えています。その際いつも疑問に思うのが、大阪のタクシーは東京など他地区に比べどうして黒塗りが多いのだろうかという点です。確かに相互タクシー小型の黄色、大宝タクシーの水色なども散見されます。が、カラー車両は大阪ではごく少数派で、実に大阪の法人タクシーの8割が黒色だとされています。

 何でも派手好みの大阪が「タクシーに限ってなぜ?」の疑問は、オヤジだけではないと思います。しかし答えは簡単、「そら便利やからですわ。黒なら冠婚葬祭何でもいけまっせ。それに高級感がありまっしゃろ」。先日乗った黒塗りタクシーのおっちゃんが、あっさりと回答してくれました。

 つまり大阪では、ハイヤーに近い役割をタクシーが果たしているのです。大阪でもかつては東京のように専門のハイヤー企業がありましたが、需要の激減でハイヤー専門の会社はいま皆無です。法人タクシーの団体、大阪タクシー協会によると傘下には合計でわずか100台しかハイヤーはありません。そういった意味でも黒塗りタクシーは“セミハイヤー”的に使えるのです。これもまた、大阪ならではの合理主義でしょうか。ちなみに東京には、まだ3000台を超すハイヤーがあるそうです。

そういえば以前、黒塗りタクシーでゴルフ場に行った時、ゴルフ場の1キロほど手前で運転手さんが言いました。「お客さん、屋上灯を外しましょうか」。意味が分からず聞き返すと、「ハイヤーで来た思うたら格好よろしいで。外してくれというお客さんは、結構いまっせ」。このタクシーのように、社名や屋上灯がマグネットタイプで取り外せるようになっている会社も少なくないようです。

実は東京のタクシーも、かつては黒が主流でした。ところが1952年に大手の日本交通が初めて、米国のイエローキャブに触発されてカラー化に踏み切りました。黒塗り全盛だっただけに非常に目立ち、すぐ他社が追随して現在のようにオレンジ、黄色、グリーンなどのカラー車両が東京のタクシーの標準となった経緯があります。

東京オリンピック開催前の1963年には、外国人にも分かりやすく目立つようにとの配慮で、日本交通、帝都などの大手4社がボディーを黄色に統一して、カラー化に拍車がかかりました。

ところが東京でも最近、黒塗りタクシーが増えてきたのです。日本交通は2001年に、車両もサービスもワンランク上の通称“黒タク”を導入し、その後徐々に台数を増やし、現在では全体の8割以上が黒タクだそうです。通常のカラータクシーに比べ、お客からも好評だとかで、再び他社が追随し始めているとしています。

東京のお客にとっては、黒色のタクシーがリッチに思えるのでしょうか。あくまで合理性優先の大阪と、同じ料金を払うならリッチ感を味わいたいとする東京。同じタクシーの黒塗りひとつとっても、東西に違いがあるのですね。
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2010年07月21日

さあ、日本製「割り箸」を大量に使いましょう

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「これは日中の架けはし。割ればにほん、折ればペキンと音がする」
 日本語が理解できる中国の人と食事をした時など、割り箸を手に持って座興を演じます。まず箸袋から取り出して、「この箸は日中の架けはし(橋)」と言います。次いでその割り箸を割って「割れば二本(日本)」、さらにうち一本を半分に折って「折ればペキン(北京)と音がする」。1分もかかりませんが、ウケること間違いなしです。
わーい(嬉しい顔)

 「箸の国」といっても、日常的に箸を使っているのはやはり日本、中国、韓国など東アジアが中心です。しかし中国や韓国でたびたび食事をして経験することですが、3国それぞれに箸の材質や使い方、文化・マナーには大きな違いがあり、箸の研究などで多くの著書を出している一色八郎氏は、その辺の事情を詳しくまとめています。

 まず材質は日本が木や竹、さらにはプラスティックで、中国も木・竹製中心ですが結構象牙中心に骨もあります。対して韓国は金属製です。一般的にはステンレスですが、上流階級は銀製です。これはかつて毒物への反応を確かめるためとされていますが、それ以上に見栄えでしょうね。

 形は日本の箸が骨のある魚をさばきやすいように先がとがっていますが、中国は寸胴型で長く、先も丸くなっています。韓国は小型で平たく細いのが特徴です。日本は茶碗を含め個人所有が一般的ですが、中国、韓国は家族共有。子供用も日本が成長に合わせて長さを変えるのに対し、両国は大人と同じです。汁物の際、日本は手に椀を持って箸でいただきますが、中国は器を持たずスプーン・レンゲで流し込みます。韓国も同様にスプーンです。

 このほかにも、箸の置き方は日本だけが横並べで中韓は縦に並べます。また日本だけに、夫婦(めおと)箸や取り箸という作法があります。両国は男女同じだし、基本的には直箸(じかばし)です。かつてソウルの昼食で苦労したことがあります。ビジネスマンたちと食堂に行ったのはいいのですが、大きなアツアツの器に入ったみそ汁を、みんなで首を突っ込んでスプーンでズルズルと飲むのです。まあスキ焼や鍋物も同じだと思えばいいのですが、そこはどうしても…です。

 箸に直接関係ありませんが、韓国と日本の食文化・作法の違いも大変です。日本の女性と韓国でビビンバを食べた際、彼女はバラ寿司のように端から丁寧に一口ずつ食べていくのです。対して韓国の女性を日本の寿司屋へ連れて行くと、バラ寿司をビビンバのように箸でぐちゃぐちゃ混ぜ合わせてしまい、大笑いした経験があります。

さて話は変わって、現在の日本の割り箸消費量は年間約230億膳です。そのほとんどが中国からの輸入で、20年前に100億膳を超えていた国産品は今や5億膳程度だそうです。一部の環境団体が、日本の割り箸大量消費が二酸化炭素を吸収する熱帯雨林を破壊していると非難して、輸入割り箸ともども排斥運動したことなども影響しています。

ところが良く調べてみると、国産品の7割近くを生産している奈良県の吉野地方などでの割り箸の原料は、間伐材や建築の端材を使っています。つまり森林破壊どころか、森林資源の循環や、森林が吸収した二酸化炭素を伐採後も木の中に固定して排出を抑える役割を担っているのです。吉野の業者は、袋に広告が入った檜の割り箸を、大手コンビニに割安で販売する「アドばし」プロジェクトなどで、輸入品との価格差を社会貢献を目指す企業からの広告収入などで補てんする戦略に取り組んでいます。

しかし森林そのものが国産材の価格低迷で手入れされず荒廃が進んでいるそうで、森林整備のコストを生み出すためにも、間伐材の利用拡大は急務とされています。割り箸の量的貢献はごくわずかでしょうが、こういった取り組みを通して、日本の林業が抱える問題を直視したいものです。
手(パー)

それは約50年前、田舎の小学校5年の給食時間でした。担任の先生が食べる前に、全員に両手の親指と人差し指の間に箸を入れて目の高さに制止させ、こう言わせます。「箸持たば、雨土神の御恵み、祖先や父母の恩を味わえ」。そして「いただきます」です。いまでも、この文言はすらすらと出てきます。今後は「祖先や父母の恩を味わえ」の後にもう一言付け加えます。「林業の荒廃を救え」と。
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2010年07月20日

2055年には女性の5人に一人が100歳の「百寿者」に

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「80(歳)はサワラビ(童)、90(歳)となって迎えに来たら、100(歳)まで待てと追い返せ。我らは老いてますます意気盛んなり、老いては子に甘えるな。長寿を誇るならわが村に来たれ、自然の恵みと長寿の秘訣を授けよう。我が大宜味村老人はここに長寿の村日本一を高々に宣言する」。日本一長寿の沖縄県にあって、最も長寿とされる沖縄本島北部の国頭郡大宜味村の老人たちの長寿の村日本一宣言です。人口は現在3200人ほどですが、90歳を超える長寿者が80人以上、もちろん100歳以上の比率も日本一です。

長寿の秘訣を5つ挙げています。まず深い木々の緑と燦燦と降り注ぐ太陽。澄んだ空気と清らかな水。この美しい手つかずの桃源郷の世界で、気負わず、あせらず、ゆったりと、生き甲斐を感じながら暮らす「楽園時間」こそが長寿の最大の秘訣だそうです。

2つ目は食生活。大宜味村の食生活を秋田県の農家と比較すると、@約3倍の肉類を摂取A緑黄色野菜の摂取量が3倍多いB豆腐に代表される豆類の摂取が1.5倍多いC果実類の摂取も多いとなっています。特筆できるのが食塩の摂取で、一人一日9cにとどまっています(秋田県は14c)。新鮮な野菜が多く漬物を取る習慣がなく、味噌汁も具が多く「食べる味噌汁」です。動物性蛋白質は豚肉中心の肉類で、老人でも毎日約50cの肉を食べています(秋田の農村は20c)。ほかにヤギや海や川の魚介類も豊富です。

3つ目は高い社会活動性。高齢者の大半が独居か老人夫婦のみの世帯ですが、社会から孤立して寂しくひっそりと暮らしていません。隣近所の友人との交流が驚くほど広く、また都会に住む子供や孫たちとの交流も活発です。ほとんどの人が「生きている限り現役」で、伝統産業の芭蕉布の生産を始めとした労働や行事、ボランティア活動に積極参加しています。

そして4つ目が「ゆいまーる」という、村民の労働力を互いに提供しあって協同的、相互扶助的に助け合う精神が根強く息づいている点です。サトウキビの刈り取り、製糖、田植えなどの農作業だけでなく、家の新築や墓工事、その他村の公共的事業などでも幅広く生きています。助け合い精神ということですが、その強い結束力と活動エネルギーは那覇を始めとした県内外でも同村出身者の受賞、昇進、叙勲、出版等の祝賀会や冠婚葬祭、奨学育英事業などいろんな社会活動面でも発揮されているそうです。

5つ目の秘訣が旺盛な「何でもやってやろう精神」。どこの集落でもゲートボールが大変盛んで、村内のいくつもあるゲートボール場には時間になるとスティックを持った老人が集まり、夕暮れ過ぎまで若者顔負けの熱戦が続きます。カラオケに夢中の老人も少なくありません。日本の他地区の老人に比べ、顔の表情、姿勢、動作の機敏さなどははるかに若々しいとされています。
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ところで沖縄・大宜味という最長寿の村を紹介しましたが、日本全体でも90歳の誕生日を迎える「卒寿」や100歳の「百寿」などが確実に増えるなど、長寿化が進んでいます。高齢者に仲間入りした65歳の人が、卒寿や百寿の祝いを迎えられる確率が新聞に載っていました。

今から50年前の1960年には、卒寿が男性3.57%、女性7.96%、百寿に至っては男性0.03%、女性0.11%と、非常にまれでした。しかし2008年には、卒寿が男性24.42%、女性47.97%ともはや珍しくはなく、百寿も男性1.84%で女性7.54%です。女性の場合、50年前の卒寿が百寿に取って代わったと言えます。

では今後どうなるかですが、2055年の推定を見ると、卒寿は男性が41.72%、女性65.46%まで伸びるとされています。女性はかなりの確度で90歳まで生きる時代になるのですね。百寿も男性7.10%に対し女性19.14%です。つまり65歳を無事迎えることができれば、男性は14人に一人、女性に至っては5人に一人が100歳の誕生日を迎えることができるのです。

05年には、百寿者は男性4000人、女性2万2000人の計2万6000人近くでしたが、たとえ今後人口が減っても、55年には男性13万人、女性50万人、合わせて63万人が百寿者です。現在の約25倍です。その年の総人口約8820万人強の0.7%を占め、約140人に一人が100歳超と予想されます。

将来は当然、高齢期の長期化にあわせた生活設計が必要といえます。それにしても完全に、60歳の還暦を赤いちゃんちゃこで祝うことなど陳腐化しており、場合によっては卒寿や百寿どころか、120歳を「大還暦」として祝う時代が来るかもしれません。
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2010年07月19日

坂本竜馬と長崎

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写真左から長崎港を見下ろす「坂本龍馬像」、対面の稲佐山、亀山社中の跡、そしてブーツの横でぐっすり眠る猫

 船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、「長崎はわしの希望じゃ」と陸奥陽之助にいった。
「やがて日本回天の足場になる」ともいった。(司馬遼太郎「竜馬がゆく」より)

 「長崎といえば」と市民にたずねると、カステラ、ちゃんぽん、橋、寺、坂道、男性歌手等々いろいろ出てきますが、今はやはり坂本竜馬でしょう。NHKの大河ドラマでは、昨夜からいよいよ「新天地、長崎〜第三部始動」となり、地元はいやがうえにも盛り上がっているはずです。(龍馬、竜馬のどちらの表現がいいか迷いますが、竜馬を基本にします)

 司馬遼太郎は「竜馬が行く」のあとがきで、「日本史が坂本竜馬を持ったことは、それ自体が奇蹟であった」と書いています。確かに竜馬は薩長連合の成立に奔走し、幕府の大政奉還を実現させるなど、明治維新の原動力となりました。また海援隊を率い、海運事業にも乗り出すなどたぐい稀な発想力、行動力を持った人物です。ではなぜ竜馬はこれほどまで大きな仕事ができたのでしょうか。

 司馬遼太郎が「竜馬がゆく」を書かなければ、竜馬は幕末を代表するキャラクターにはならなかったといわれています。それまでの勤皇の志士の代表は桂小五郎であり、現実の明治維新は西郷隆盛と大久保利通の二人の頭の中で組み立てられたシナリオに、多くの人が引きずられていったわけで、竜馬はそれに手を貸した脇役であって主役ではないとの見方が一般的です。司馬遼太郎自身、竜馬がただ一人リーダーであったというイメージが蔓延するのは、はなはだ不本意だったそうです。

 しかしこれほどまでに竜馬が、いま多くの人から慕われるのは、その性格からきているといえます。リーダーにとって必要条件といえる、なによりも「人たらし」の名人で、「これほど明るく、これほど陽気で、これほど人に好かれた人物は少なかった」(司馬遼太郎)と。竜馬は大量の書簡を残していますが、土佐にいる姉の乙女さんに送った手紙が有名です。「うん(運)のわるい者は風呂より出でんとして“きんたま”をつめわりて死ぬものあり」「それに比べると私などは運がつよく、なにほど死ぬる場へ出ても死なれず。自分で死なうと思ふても又生きねばならん事になり」などと書いています。自分は全然、死ぬとは思ってなく、とにかく陽気で楽観的です。

それと、こういった爽やかさ、権力欲のなさなどに加え、薩長同盟の立役者でありながらも自らはポストを求めず、革命の成就前に暗殺されたことも多くのファンに受ける要因といえます。その竜馬が慶応元年(1865年)から、京都河原町の近江屋2階で暗殺されて波乱に満ちた生涯を閉じる慶応三年(1867)11月までの3年間、長崎での拠点となったのが「亀山社中」(海援隊)です。

日本初の商社とされる亀山社中は、薩摩藩などの援助で竜馬が中心となって組織したもので、多くのメンバーが神戸海軍操練所出身者。航海技術を生かして物資の運搬や貿易の仲介を行っており、長州藩に対し薩摩藩名義で武器や艦船購入などをあっせん、薩長連合につながる大きな役割を演じます。

市内を流れる中島川あたりから急な坂道を登って、亀山社中記念館とさらに上の「坂本龍馬像」がある風頭公園に行ってきました。記念館は当時の間取りをほぼ復元しており、各資料が展示され隠し部屋として利用されていた中二階も見ることができます。また「龍馬像」からは長崎港が一望できます。そういえば対面にある標高333bの稲佐山には展望台までロープウエイがついており、裾野にあるそのロープウエイ乗り場横の幼稚園を福山雅治が卒園、至近のお寺の横が実家だとか。どこかの団体に説明するガイドさんの話を盗み聞きしただけです。

公園からの帰り道、竜馬が履いたブーツをモチーフにした「龍馬のぶーつ像」なるものがありました。そこだけは下からの風が吹き抜けて気持ちがいいのか、一匹の猫が眠っていました。写真のように、近づいても一切無視して「スースー」。楽天的で陽気で、お喋りで無警戒。猫が竜馬そのものに見えました。
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2010年07月18日

まさか第一発見者になるとは

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水上警察の船や消防署のレスキュー隊も。雑草の中に咲く花(写真左)

わずか10日前のこのブログで、「1時間に3.5人が自裁する国」として自殺大国日本を憂えたのに、まさかその現実に直面するとは…。

 4日間の長崎出張も終わり昨土曜日の朝9時、久方ぶりに南港は海沿いのプロムナードへウオーキングに。これまでの大雨がうそのように快晴で、遠望する六甲山系もすっきり。海面も夏の強い日差しを浴びてきらきら光っていました。

 25分ほど歩いたでしょうか、右手岸辺から1bほどのところに何か大きな棒のようなものが2本、ぷかぷか浮いています。棒にしてはおかしいなあマネキンかなと思いしっかり目を凝らすと、ななんとそれは人の足、岸辺に垂直になった形でひとりの男性と思しき人が仰向けになって浮いているのです。

 当年60ン歳と齢を重ねているのですが、慌てました。びっくりぎょうてんです。しかし不甲斐なくも、再びその正体を自分で確かめることができず、すぐ目前に差し掛かった自転車の青年を呼び止めて「おい人やなあ、見てみて」と確認を求めました。かれも「そうです、そうです」と慌てふためいていましたが、しっかり直視してくれます。

 そこで早速、携帯で110番に「こちら南港、コスモスクエア駅と時空館のちょうど中間あたり海沿いプロムナードの海中に、男性と思しき変死体です。至急お願いします」と、電話。午前9時31分でした。すると2人ほど散歩中の老人も立ち会ってくれて、そのうちの1人が「またか、どっからか流れ着いたか、浮かび上がったんだよ」と説明するのです。

 しかし警察はなかなか来ません。そのうち50bほど沖を水上警察のパトロール船が通りかかったので、海に向かって帽子を振って大声で「こっちに来い、ここへ来い」と叫んでも気がつきません。当方の電話から8分ほどしても警察の姿が見えないので、再度110番へ「どうなってんのや、はようこんか」と催促。そうこうするうちにやっと、東のほうからオートバイに乗った若いお巡りさんの姿が見え始め、帽子を回して誘導です。よく見ると、マンションのすぐ近くの交番で時々見かける青年でした。「もう電話をかけて13分ほどやで、警察はもっとしっかりせんとあかんで」「すみません、ちょっと場所が分からなくて」。

 やがて数分もたたないうちに、海からは水上警察の船が2隻、陸からはレスキュー隊員などを乗せた消防署の車が3台ほどやってきて、粛々と水中から船に死体を収容していきます。当然第一発見者ということで、聴取協力が求められます。住所、電話番号、氏名、年齢、職業、なぜこの場にいたか、正確に発見した場所とその時の状況説明などを聞かれるわけです。

 ただ聞こえてくる警察関係者の話などから、数日前から自殺者として捜索願が出ていたようで、5分ほどの聴取で終わりました。どうも警察小説の読みすぎで、変死体の場合は第一発見者を疑えとなって面倒だなと思っていましたが、「まあ長崎出張でいくらでもアリバイはあるし、捜索願も出ているのだから」と緊張せずに対応できました。何も後ろめたいことはやっていないとはいえ、昔から警察となると苦手です。それも今回の長崎出張時には、かつて警察の大幹部を歴任した人と一緒だったにもかかわらずです。

 聴取も済みウオーキングを続けようとすると、件の青年お巡りさんが申し訳なさそうに、「すみません、地元警察の刑事が来るまでいてくれませんか」と。つまり海上の死体等は水上警察単独で対応できるが、岸辺と隣接する事件の際は該当する陸地の警察も調べる必要があるという、ややっこしい決まりのためです。仕方がないなと思って待つものの、住之江警察の刑事さんはなかなか来ません。お巡りさんも「迷うはずないのに、道に迷っているようです。どうなっているんやろう」と、当方に謝る一方でぶつぶつ独り言。

 待つことそれから20分、やっと表れました。またまた先の水上署の刑事とほぼ同じ質問ですが、今度は本当に仰向けだったか、手の状態はどうだったかなど、いろいろしつこく聞きます。最後に、発見した場所を指差して写真一枚の要望。人相は悪いうえにサングラス姿。かといってお亡くなりになった人の手前、愛想笑いもできず。思わず「犯人みたいだから顔だけは撮るなよ」といって協力したのですが…。発見からちょうど1時間が経っていました

足を縛り背中には重いリュックを背負うなど、13日に覚悟の自裁だったそうです。発見した海面に手を合わせながら歩き始めましたが、やがて行くと緑の雑草の中に花が咲いていました。気持ちだけ、一輪手折って海に投げいれました。何があったか分かりませんが、合掌。
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2010年07月17日

丸山、花月、しっぽく料理

20 124.jpg20 121.jpg20 123.jpg20 119.jpg 右から花月の入口、800坪の庭、坂本龍馬が傷つけたとされる床柱、しっぽく料理 

 るんるん嘉永7年 甲の寅の年 まず明けまして 年頭のご祝儀 一杯屠蘇機嫌 酔うた酔うたと 云うたもんだいちゅう 今年しゃ 十三月 肥前さんの番がわり 城ヶ島見物に オロシャが ぶうらぶら ぶらりぶらりと 云うたもんだいちゅうるんるん

 「ぶらぶら節」の元唄です。江戸時代、唯一の開港地だった長崎港は肥前と筑前の両藩が一年交代で警護に当たっていました。当番が肥後藩だった嘉永7年、ロシアの船が通商を求めて入港したものの、上陸を許されないまま沖合いの城ヶ島付近で碇泊した状態をうたったものです。

 念願だった長崎は丸山の花月に行ってきました。368年前の寛永19年の創業で、丸山随一の遊郭引田屋の庭園にあった亭が花月楼と呼ばれていた関係で現在までその名を続け、今は県の文化財に指定されて全国的にも珍しい「史跡料亭」として営業しています。かつてオランダ人や唐人達が丸山見物の際には必ず花月に立ち寄ったそうで、有名な抱え遊女とシーボルトたちの艶話も残っています。

 また頼山陽を始め多くの文人墨客も訪れており、長崎独特の風流を愛でたそうです。芭蕉十哲の一人で長崎出身の向井去来が丸山で詠んだ「いなずまや どのけいせいと かりまくら」の句碑が入口に立っています。幕末には多くの志士たちが花月に出入りし、かの坂本龍馬が酒に酔って傷つけたとされる床柱の刃痕も残っています。

 その床柱がある大広間で、本格的なしっぽく料理をいただきました。窓の外は800坪の庭園ですから、それを眺めているだけで満腹になります。中国、オランダ、ポルトガルの料理をも織り交ぜた長崎独特のもので、江戸時代は一人一人に出していましたが、やがて卓袱台(ちゃぶだい)に載せて多人数で食べるスタイルになりました。そこから卓袱・卓子という言葉が生まれました。

 現在は料亭などで郷土料理として食することができますが、花月はつとめて原点に忠実な献立を組んでいるそうです。まず乾杯の前に、お鰭(ひれ)といって吸い物がでます。次いで刺身、アラの湯引、前菜2種、豆蜜煮の「小菜」が5品。さらに白味噌吸物の味噌椀、強肴に相当する小菜、山海物の「大菜」、豚の角煮の「中菜」、中華スープの煮物と続き、後はご飯、漬物、果物で、最後は甘いしるこで仕上げです。普段は酒席であまり食べないのですが、珍しさもあってすべていただきました。

 これがむかしなら、去来が詠んだように「どの傾城とかりまくら」とあいなるのでしょうが、そこは…。

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2010年07月16日

「えっ、これが本?」−本屋が変わります

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「Paris発、パウンド型で50のケーク」(写真右)と「美脚ダイエット」

 「以前から欲しかったの。やっと手に入った。一気に読みましたが、こんなおしゃれな付録がついているなんて。またパリに行きたくなったわ」とあるOLの感想です。また紀伊国屋の大阪本町店の担当者は「初版がすぐ売り切れて、次版が入荷しても供給が大変。こんなことは珍しいですね」と話す。

 世界文化社が発刊した「Paris発、パウンド型で50のケーク」という書籍の話です。ミソは小型のケーキのレシピ本に、シリコン製のミニパウンド型と木製のヘラをつけている点です。つまり付録が売れているのです。もちろん装丁も写真のようにパウンドケーキそのもので、一瞬、「えっ本屋でケーキを売る?」と錯覚してしまうのです。1890円ですが2009年に初版2万冊で発刊したらたちまち完売、供給が追いつかず今年5月に8万部を増刷しています。その世界文化社は「缶つま」という本も出しており、缶詰のおまけがつきます。

 実はこういった付録を目玉にした、あるいは付録だけの書籍がいま書店で大ヒットしています。たとえば付録つき健康本の火付け役といわれる「バンド一本で1本でやせる!巻くだけダイエット」(幻冬舎、山本千尋著)。健康体操の解説書に天然ゴム製のバンドをつけており、1冊買えばすぐ実践できるため、昨年6月の発刊以来1年間で170万部を突破して200万人の体を変えたとされています。そして同著者の第二弾が「美脚ダイエット」(三笠書房)で、これには特別付録として「Chihiroチューブ」と「Chihiroローラー」という癒しのダイエット・グッズがついています。

 実用書としては、ムック本といわれる雑誌と書籍をあわせたもので「我が家でミニ野菜を作る」シリーズが好評です。講談社とサカタのタネが共同開発したもので、約20ページの解説書に野菜の種、栽培ポット、錠剤肥料、3リットルの培養土がついて1500円です。また若者に人気があるのは宝島社の「Loveトイカメラ」で、箱の中にはトイカメラが入っています。

 こういった書籍に一番力を入れているのがその宝島社で、昨年末にタカラトミーと組んで出した「親子のたいやきくん おたのしみBOOK」(1980円)は、箱の中に電子レンジで使える鯛焼きの型とレシピ本が入っています。またこの7月初には女性向けに顔用小型マッサージ器「スッキリ美顔ローラー」を発売しました。書籍らしきは解説書だけで、ゲルマニウム粉を使ったボール12個がついた美顔器が中心で2980円。同社はこの5月末にも「電子たばこヘルシー」という禁煙・減煙用の電子たばこも発売しています。価格は2500円ですが、吸うと煙をイメージする水蒸気が出る仕組みです。

 宝島社の美顔器や電子たばこなどは書籍というよりも、あくまで書店という販売ルートを狙ったグッズといえます。出版業界は書籍や雑誌は不振で呻吟していますが、全国的に微減にとどまっています。各地で専門店や玩具店、文具店が激減する中で急増するコンビニと並び、まだ街の販売店として生き残っています。しかも流通ルートは大手の取次ぎ会社があり、メーカーは直接各店舗と交渉する労はありません。消費者も本と実用品を一緒に購入できれば、本を読んですぐ実践できます。

 こういった形で、今後はさらにメニューが増えて書店の店頭に並ぶ商品は文庫本や雑誌ではなく、さまざまな実用品が幅を利かす時代になってくるかもしれません。多くの人が、一見本に見えても中身は「あっと驚くタメゴロー」を経験するでしょうね。
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2010年07月15日

約束を守るなど義理堅いのは長崎の県民性か

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写真右から人気の3Dテレビ、熱が入るメーカー担当者の説明、抽選でノートPCがあたる


 昨日付けで「長崎は時々雨だった」と書いてしまいました。このブログ、毎日夜中の午前零時からアップするようにセットする関係で、天気などどうしても予報で書いてしまうのです。それをあざ笑うかのように、昨日の福岡や長崎のゲリラ豪雨はすごかったですねえ。特に午前中、JRは走らないし、飛行機も着陸することができず、上空で1時間以上待機し、各機長は何度も東京や大阪に引き返すとアナウンスしていたそうです。
雨

 そんな訳で、ITの総合展示会「DISわぁるどin長崎」も、果たしてお客さんが来るかどうか心配しました。ただ長崎に長年暮らす主催事務局の責任者だけは「大丈夫です。長崎の人は前もって約束したら必ずそれを履行しますから」と言っていました。
また昔から長崎は三菱城下町といわれるように、三菱系の企業が多いですが、長崎市出身の三菱電機の副社長も東京からわざわざ会場に顔を見せており、「約束は必ず守る。その義理堅いのが長崎の県民性だ」と強調していました。

 2人の話を裏付けるかのように10時の会場と同時に着実に客足は伸び、3時過ぎには雨も上がった関係で初日はほぼ目標通りの500人近くが来場したようです。「えっ、わずか500人」と思われるかもしれませんが、「どなたでもどうぞ」と不特定多数の展示会ではありません。あくまで企業や自治体、団体などでITを活用したり、IT導入にあたっての権限を持つ人たちを対象としているため、物見遊山客は皆無です。ですから来場者一人当たりの会場での滞留時間も長く、各メーカーも技術部隊など専門家を派遣しています。ですから長崎市で2日間合計で1000人を超えるIT展示会があれば大成功なのです。

 確かに出展メーカーは東名阪からトップを含め多い会社で20人近くが長崎に来るなど経費負担は少なくありません。また主催のDISも市内のホテルを借りて全国から延べ200〜300人のスタッフを送り込むのですから、対費用効果という観点だけを考えれば採算に合いません。そこは、メーカーもDISも直接顧客のナマの声を聞いて、今後のモノ作りや販売展開に生かすという考えに基づいたものですから、対比費用効果だけでは判断できません。

 国内外73のメーカーがイチ押し商品を出しており、色々見どころはあります。ただ1人のユーザーの立場で面白いのは、今話題の3Dです。ソニーとパナソニックがそれぞれ3Dテレビを出展、またNECが超大画面の3D機能を搭載したディスプレーを紹介していました。さらに富士フィルムの専用メガネ不要のデジカメなど、各社が3D時代の到来を意識した各種提案を強めています。

 三菱電機はすでにアメリカで3Dテレビのレーザー型を発売しており、日本でも今秋10月から売り出すそうですが、その三菱の副社長によると、ここへきて急速に3Dに火がついたのはやはりアバターなどコンテンツの充実によるものです。会場でメガネをかけて3Dテレビを見ていたある会社の社長氏が言いました、「これでアダルトビデオをみると迫力満点だろうな」と。三菱電機の3Dテレビの内見会に来た日本の有名なアダルト映画監督が「次はこれだ」といって帰ったそうで、実はすでにAV業界は具体化が進んでいるそうです。

 とまれ。少々下品な話にそれてしまいました。展示場はIT・ネットワーク、内部統制・セキュリティ、製造業ソリューション、シンクライアントサーバー仮想化、グリーンIT、情報家電などのコーナーで構成されています。それぞれに最新機器やソフトが出展されているため、長年いろいろ見てきた当方にとっても、なかなかついていけません。さらに講演会やセミナーなども多く、会場内の各ブースでスタンプを押してもらいそれが7つ以上だと豪華景品が当たる抽選会も結構人気です。大型ディスプレーやノートパソコンなども相当な台数が当たるようになっており、1時間の間に、写真のように4人がノートPCをを当てていました。

 2日目のきょうも天気はぐずつきそうですが、マイクロソフト日本の樋口社長の講演会などもあり、初日を上回る来場者になりそうです。
 
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2010年07月14日

長崎で開かれるITの総合展示会に来ました

20 060.jpg長崎港(右手)と長崎駅(左手白いドーム)を遠望。正面の大型ドームが夜景でも有名なドラゴンプロムナード
 るんるん肥前長崎港町 異人屋敷の黄昏は〜るんるん なんて歌が昔はやりましたね。昨日午後から長崎に来ています。JR長崎駅近くのNHKビルには「おかえり龍馬」の大きな垂れ幕が下がっています。NHKの龍馬伝は、この18日の放映から再び長崎が主舞台となり、日本初の商社「亀山社中」などで龍馬が活躍するだけに、いやがうえにも長崎は龍馬で盛り上がっています。

 「龍馬が愛した街長崎」の観光に来たわけではありません。実は同じ商社でも、現在日本一のIT関連専門商社であるダイワボウ情報システム(DIS)という会社が、市内のホテルできょう14日とあす15日の両日、IT機器の総合展示会「DISわぁるどin長崎」を開催するからです。

 このDISはI T分野の総合ディストリビュータ(商社)ですが、NECや富士通、アップルやヒューレット・パッカードなど国内外のメーカーの系列には属さない、あくまで独立系ディストリビューターとして有名で、全世界のIT機器やソフトウエアのメーカー850社と取引しています。その取り扱いアイテム数は160万を超えるといいますから、現在世界で流通するIT関連の機器・ソフトをほとんど扱っているといっていいでしょう。

 今回はDISと取引する国内外メーカー73社が出展して、「旬」の商材や今話題のクラウドコンピューティングや仮想化といった最新の情報を発信します。「今回」と断わったのには意味があります。基本的にITの展示会は東京中心に大阪や名古屋など大都市圏では常時開かれていますが、地方都市で開かれるのはごく稀で、しかも規模や内容は大都市で開かれるそれと比べてどうしても見劣りします。ある面、地方の人はITの新情報に飢えているのが現状です。

 そこでDISでは10年ほど前から、年ほぼ2回の間隔で地方都市でIT総合展を開いてきました。たとえば2006年が札幌、新潟、熊本、07年広島、新潟、08年京都、東京・立川、09年福島・郡山、松山といった内容です。今年は今回の長崎に続き、11月には富山での開催が予定されています。

 実は出展する各メーカーも、各地の拠点を撤退して大都市圏に集中している状況下だけに、いろんな地域で直接ユーザーにアピールできるメリットがあり、DISの取り組みに積極参加します。こういった中でDISは、自社と直接取引する全国18000の販売店と各メーカーの橋渡し役を演じ、最新のIT情報を各地のエンドユーザーに「来て、見て、触ってもらう」のがこの展示会なのです。

 今回の長崎展のテーマは「最新のITをさるいて体感」です。“さるいて”とは長崎方言で、ぶらぶらとゆっくり歩いてという意味です。ゆっくり歩いて最新のITの世界を体感してくださいという意味です。あいにく長崎は雨模様ですが、会場は交通至便な市内のシティホテル内です。2日間で1000人を超す来場者が見込まれており、会場は熱気に包まれると思われます。その模様は明日レポートします。
るんるんああああ〜 長崎は時々雨だった〜るんるん
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2010年07月13日

「今宵会う人みなたのし 大阪しぐれ」

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写真は長崎空港

先週金曜日に故郷の岡山から大阪まで会いに来てくれた友2人の話を、昨日付のブログで紹介しましたが、そのうちの一人I君が「今宵会う人みなたのし 大阪しぐれ」と題し、以下のメール便を送ってきました。
目

楽しいひと時をありがとう。大阪の街が、すっかり貴君になじんでいるように感じました。40年間、足と笑顔で培ってきた「突っ込み力」はさすが。でもこういう姿は、小学校時代以来ずっとみられたものであり、たまたま大阪でもそうであったのかもしれません。貴君の本性に乾杯。

 あの夜は、別れた後に2人でホテルに帰りました。K君の無呼吸いびきにも害されず、教師的立場からビデオなども観察して夢心地のまま熟睡。隣室のK君が自販機に走り、スーパードライとスルメを買ったかどうかは、確認・追求していません。

 翌朝は8時に朝食、両人とも快調。「よう飲んだでー」とK君連発。チェックアウト後、ホテル筋向かいの喫茶店へ。岡山弁丸出しの田舎紳士、再び「ぼっけー飲んだで」を繰り返す。所期の目的を達し、よほど嬉しかったと見える。いたくご満悦の様子でした。

 そのK君、40年前にわずか1年間大阪で勤務しただけなのに、すっかり大阪通を気どる。「JRは大阪駅じゃが、阪急も阪神も梅田駅じゃ」と声高に3度も説明する。その大阪駅で「相生」行きの切符がうまく買えない。車内で車掌さんに、ぺこぺこと切符の変更依頼。ともあれ地下鉄、快速、鈍行と乗り継いで、目的の相生駅に着くころは、田舎のリズムをちゃんと取り戻しているから見事です。「ここの駐車料金は、一日400円じゃけーのう」を得意げに3回復唱。「OH!アンビリーバブル」

 山陽自動車道を走ること約1時間、トヨタ・プリウスのハンドルを握りながら「高速料金も1,000円じゃけーのう」を繰り返す。インターを降りるといよいよ、懐かしの「北川平野」(田舎の田園地帯)が姿を見せる。「やっぱりわしらーここが落ち着くのー」。何がやっぱりで、何がわしらなのか…。あまり考えず「うん」と頷く。「田舎に住んで、街で遊ぶんがせーこー(最高)じゃのう」と、独特の処世訓をたれている。実直なK君といると退屈なし。明日の草刈作業を確認して分かれる。今後帰岡の計画がありましたら、お知らせください。瀬戸内海の小魚と雲海でわれわれがお相手します。

PS.本日日曜日、草刈り作業を終えて昼食後、こだわりのAUDIに女房を乗せて公民館に投票に行きました。夜、テレビで開票速報を見ましたが、開票速報は断然、昔のほうがわくわくしましたね。今は速すぎて面白くない。鈍行が一番。さてさてどうなることやら。謝謝。再見。
眼鏡

 I君の指摘通り、21時の選挙特番が始まるとすぐに「大勢判明」ではさっぱり面白くないですねえ。それにしても今回の選挙、どうも理解しにくいのです。確かに自民党は民主党を上回り、みんなの党も大躍進しましたが、いずれも民主党の「ひとり相撲」と敵失によるものです。だいたい先の政権交代自体が、民主党が実力で自民党から奪ったものではなく、これも自民党の敵失に乗じた観の強いものでした。

 それを菅首相が何を勘違いしたのか、田舎芝居のお殿様を演じてしまい、全国の民主党候補は烈風に吹き飛ばされてしまったのです。谷垣総裁を始めとした自民党幹部は、当選した議員の名前にバラをつけながら一本指を突き上げて「一番、一番」とはしゃいでいましたが、これもまさに勘違い。実力で勝ったのではないのです。プロ野球前監督の野村克也氏がよく「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」と言いますが、まさにこれです。

 バブルが崩壊した1990年から10年間、日本経済は「失われた10年」と言われました。しかし2000年に入っても浮上せず、結局「失われた20年」になってしまいました。ところがこれでも追いつかず、今のままでは「失われた30年」が避けて通れないかもしれません。本来リードしなければならない政治が、逆に足を引っ張っているのですから。
 今日の昼から金曜日まで長崎です。
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2010年07月12日

朋あり遠方より来る、また楽しからずや

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この時期、退任のお便りをよくいただきます。一般的なサラリーマンは3月末が定年ですが、いまの時期は会社の役員などを務められて、株主総会が開かれる6月末に社長や会長、さらには取締役や相談役の任を終えて退職される方からです。ほとんどの人が40数年にわたる会社生活に別れを告げて、第二、第三の人生をスタートされます。

 そんな中の一通に、今後の生き方について次のように綴ってありました。「今後は生活の中で『無駄・無理』を排除し、『読み・考え・行動する』をモットーにスローライフを過ごしてゆきたいと考えています」。読み、考え、行動するを具現化するために、近くの大学で新たに学び始めたとも聞いています。しばらくしてそのスローライフを伺ってみたいものです。
いす

一方で、60歳で第一線を退いて新たな人生を歩んでいる旧友との再会もあります。まさに子曰、「学而時習之 不亦説乎。有朋自遠方来 不亦楽乎。人不知而不慍 不亦君子乎」で、先週金曜日2人の友が故郷から大阪へ訪ねてきてくれました。一人は地元の岡山県内で、長年にわたり教鞭をとっていました。その縁もあって2年前に1年間、中国四川省成都の大学へ日本語を教えに行き、さらに1年を置いて今年9月から同じく成都の別の大学で教壇に立つI君です。

もう一人のK君は、ある全国組織の協同組合で県幹部を務めた後、現在は自宅で自ら田畑を耕すファーマー暮らし。奥さんと二人で両親を介護しながら、地元の世話役として悠々自適の生活です。I君にはすでに2人の娘さんに各2人、都合4人のお孫さんに恵まれていますが、K君には息子さん娘さんとも関東方面でまだ青春を謳歌して独身なのが悩みの種とか。それと最近、公務員だった奥さんが退職し、それまで自由気ままに飲んでいた好きな焼酎に監視の目が強まったこともちょっぴり不満だそうです。

田舎の高校時代、丸坊主頭で「高校三年生」などを放吟して自転車通学した仲です。K君はとにかく鯨飲・健啖家ですが、かたやI君はコップ一杯のビールがあれば2時間持つタイプです。それでいて2人はたびたび田舎で酒席を共にし、気が向けば車で1時間ほどの岡山市内のスナックに出かけるというのですから不思議なものです。今回も、よく飲みよく食うK君と、ビール2〜3口ほどで顔を赤らめながら、よく聞きよく話すI君との3人で楽しい一夜を過ごしました。そして今年の秋には、中国・成都にI君を訪ねていくことを約束しました。

ところで今回、彼らからいろんなことを学んだ中で、年金暮らしの知恵をひとつ教えてもらいました。K君は奈良の旧友とゴルフをするため、木曜日朝に車で家を出て相生駅前の駐車場に置き、新幹線―近鉄で奈良に向かいました。なぜ相生下車かは後述します。対してI君は、金曜日午前9時過ぎに自宅近くから高速バスに乗って昼過ぎに大阪のOCATに着きました。所要時間にして3時間20分、バス代3,500円だったそうです。彼は中国など海外へ行く際も、関空へはこのバスを利用するそうです。考えてみれば、当方が田舎に帰る際は通常、地下鉄―新幹線―タクシーで乗り継ぐのですが、時間は同じく3時間強で、運賃は3倍の1万円超です。

彼らの帰り方がまた知恵を絞っています。大阪駅から相生までは新快速、そこで相生駅前に置いてあるK君の車に乗ります。相生の駐車代が1泊400円、土曜日の高速代1,000円を計算した上です。しかも宿泊した本町のホテルから地下鉄とJR新快速で1時間40分・一人の交通費2090円、相生から至近の高速INまで1時間・ガソリン代は別にして高速代1人500円、地道を通って家まで20分の都合2時間40分ですから早い、そして安い。

早速、お礼だといって地元特産のそうめんと手延べうどんを送っていただきました。大好物ですから、日曜日の昼につるつるといただきました。美味この上なしで、ありがとうございました。こんなに便利で安く移動できるならば、以後「有朋自遠方来」の表現は使えないかもしれません。
ちっ(怒った顔)

ところで、ひどく酔っ払ってしまうことを「泥酔」といいます。この日はそれこそ、久しぶりに泥酔しませんでした。話に興じて酒を飲む暇がなかったのかもしれません。その泥酔の由来が面白いですね。この「泥」とは、空想上の虫で、南の海にすんでいます。骨がなく、水の中では生き生きしていますが、水がなくなると酔ったようにフニャフニャになって、泥のように積み重なるからです。

この虫の水がないときの様子に、人が酔いつぶれた様が似ていることから、泥酔という言葉が生まれたそうです。ちなみに酔っぱらいをよく「トラ」といいますが、これはお酒を「ささ」ということから派生したしゃれ言葉です。つまり、ささ(笹)にはトラ(虎)がつきものですから。K君、お互いトラや南の海の虫にならないよう、ほどほどにしましょうか。
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