2010年06月30日

《古代史の楽しみ方》 九州の主な古墳B−1「宇土半島基部」

QOPONUFyKcO 007.jpgQOPONUFypx 037.jpg
宇土半島から島原湾と普賢岳を望む(写真右)、宇土市松山町の向野田古墳(同左)

古代史研究家の奈良屋嘉兵さん、3月6日以来ほぼ4ヵ月振りにご登場いただき、九州の主な古墳Bを連載してもらいます。奈良屋さんによると、6月央には4日ほどかけて熊本県の宇土半島を訪問されたそうです。熊本県中部に位置する宇土半島は北に有明海、南に八代海を臨み、三角の瀬戸を挟んで天草諸島の玄関口となります。

 奈良屋さん連載再開に当たり「宇土は、JRで熊本駅から2駅目だが本当に静かで穏やかな町だ。その街中の小さな旅籠に3泊し、徒歩、バス、JRで主な古墳と遺跡を回った。さらに半島の先端の三角はもとより、八代市まで足を延ばして不知火海と島原湾を見て感動した。向野田古墳から、島原湾と不知火海の両方を眺望できることが確認できたことが最大の成果だった」と記されています。では奈良屋嘉兵さんの超新鮮で、ほっかほっかの古代史紀行をお楽しみ下さい。
手(グー)

古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀前半)、大和盆地で特別な特徴を持つ大型古墳の桜井茶臼山古墳と密接な関係があることが推定される柄鏡式前方後円墳が、4世紀初め頃から日向の西都原古墳群に築造され始め、またほぼ同じ時期に、主に北部九州の各地でも全長100b級を含む前方後円墳の築造が開始されたことは前回、お話したとおり通りである。

念のために、前回ご紹介した北部九州での前期の主な前方後円墳を東から順にまとめた。
☆赤塚古墳    : 大分県宇佐市    全長  53M
☆豊前石塚山古墳 : 福岡県京都郡苅田町 全長 120M
☆徳重本村一号墳 : 福岡県宗像市    全長  18.8M
☆那珂八幡古墳  : 福岡県福岡市博多区 全長  75M
☆御道具山古墳  : 福岡県前原市泊   全長  65M
☆端山古墳    : 福岡県前原市三雲  全長  78.5M
☆久里双水古墳  : 佐賀県唐津市    全長 108.5M
このうち豊前石塚山古墳と那珂八幡古墳では、椿井大塚山古墳の三角縁神獣鏡と同笵(同じ鋳型)の鏡が副葬されている。

さらに弥生時代後期(1世紀〜3世紀初め)まで、強大な勢力が存在していたことが推測される吉野ヶ里遺跡を含む筑紫平野南部の有明海沿岸地域では、古墳時代前期の特筆すべき前方後円墳が確認されていないことはすでに、述べたとおりである。一方で、その有明海の南につながる島原湾と八代海(不知火海)とを隔てる宇土半島の基部(付け根部)には、4世紀半ば頃から前方後円墳が築造され始め、4世紀後半には被葬者が女性であることが確認されたことで話題になった「向野田(むこうのだ)古墳」が築造されるのである。
《宇土半島付け根部の主な前期古墳》
宇土半島基部地域の東西に広がる丘陵上に多くの前期古墳が築造されているが、主な前方後円墳を古い順に列挙したい。
☆城ノ越古墳 : (宇土市粟崎町)  全長 約43.5M
☆弁天山古墳 : (八代市不知火町) 全長  53M
☆迫ノ上古墳 : (宇土市神合町)  全長  56M
☆向野田古墳 : (宇土市松山町)  全長  90M
☆スリバチ山古墳:(宇土市神合町)  全長  96M

これらのうち弁天山古墳は、宇土半島基部地域の西側丘陵南部(不知火海側の付け根部)にある。また西側丘陵中部に位置する城ノ越古墳の標高は約60b、迫ノ上古墳が同75b、スリバチ山古墳は同95bとなっている。一方、向野田古墳は基部地域東側丘陵の先端部に位置し、標高は約39bだが宇土市側の熊本平野と島原湾、さらに八代平野と八代海の双方を眺望することできる。(奈良屋嘉兵)
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月29日

「iPad」ブームをどうみるか

allone_mb294ja-64gb[1].jpg
自他ともに認める「初物くい」には珍しく、まだ多機能携帯端末の「iPad」を使ってはいません。IT機器などの新陳代謝があまりにも激しすぎて、年齢を重ねるごとに追っかけるのがしんどくなっているからかもしれません。米アップルCEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズが先に、iPad の攻勢などによって「パソコン需要はいずれ減退する」としてパソコン衰退論を発言したため、いろんなところで話題を呼んでいます。

アップルのジョブズCEOは「パソコンはトラックのようなもので様々な荷物は運べるが、すべての人には必要ない」と指摘。車がさまざまな形で発展したように、パソコンも確かに残るが「高機能携帯電話(スマートフォン)やiPad のような製品が主流になる」と発言したものです。

これにまず噛み付いたのが、米マイクロソフト(以下MS)のスティーブ・バルマーCEOで、パソコンの形や技術が進歩し定義が変わっても、「汎用性の高いパソコンが人々の生活の中核を担い続ける」と反論しました。その上で、iPad もパソコンの一種だとして、マイクロソフトとしては同社の基本ソフト(以下OS)である「ウインドウズ」を軸にして様々な機器を連携させる戦略でiPad などの攻勢に対応すると、あくまでパソコンが主役であることを強調しました。
手(パー)

ところでこれとはまったく別の話ですが、「iPadは新聞も雑誌も救わない」―奇跡を求めて“救世主”アップルにひざまずく雑誌業界の幻想―なる、ある米著名ジャーナリストの文章を目にしました。iPadの進出に戦々恐々として、アップルに擦り寄る世界の新聞業界や雑誌業界の動きを皮肉ったものです。かねてからiPadなどが普及しても、新聞や書籍などの印刷物に取って代わることはできないとの持論を持つだけに興味を持ちました。以下概要を紹介します。

インターネット時代が訪れる前、イタリアのある哲学者はアップルとMSの違いをカトリックとプロテスタントの違いにたとえた。MSのパソコン用OS「MS−DOS」を基にしたオープンな世界では、“救済”に至る道も百人百様。対してアップルのマックOSの世界では、信者は何から何まで教会の指示に従わなければならないのだ。いまや「キリストのタブレット」とまで呼ばれるほどのiPadの好調とともに、アップルのカトリック的傾向は加速しているようだ。

発表前のiPad 本体は、単なる企業秘密というよりも宗教的秘密に覆われていた。宗教指導者ともいえるアップルのスティーブ・ジョブズCEOは、いまや十字架と同じくらい認知度が上がったアップルロゴの下に集まったミサで、彼の奇跡的で革命的な新商品に祝福を与えた。この比ゆに従えば、iPad向けにコンテンツを提供する出版社は、仏のルルドの泉に奇跡を求めて押し寄せる足の不自由な巡礼者ということか。巡礼者たちは、ジョブズが彼らの電子雑誌を「アップルストア」で売ってくれて、出版ビジネスを再生させてくれるという希望にすがっている。アップルストアはネット向けコンテンツに課金する新しいビジネスモデルで、電子広告の全面広告さえ復活させてくれるかもしれないと。火あぶり覚悟で言おう、「彼らは夢を見ているだけだ」。

私自身iPadを使って気づいたのだが、新聞や雑誌を読むのに何も気の利いたアプリケーションなど必要ない。画面が小さいiPhoneの場合は、アプリケーションで利便性が格段に高まるが、iPadの画面は十分大きくて明るい。ネットの接続環境さえ良好ならば、どんな出版物もアップルのブラウザ「サファリ」で読むのが一番だろう。

バニティ・フェア(文化ファッションなど主流の米国有名雑誌)やタイムのiPad向け電子雑誌は、ページをめくるという時代錯誤を復活させているだけだ。ユーザーにとっては、アップルが作った囲いの中にあるさらに小さな囲いに閉じ込められるような体験で、一刻も早く外に出たくなる。1号当たり4.99ドルと高いものの、いまや電子版の標準となった基本的機能すら備えてない。記事へのコメントができないどころか、他の基本的な情報源へのリンクすらない。複数のブログを運営する米著名トップは、こうしたメディアを容赦なく批判する。「CD−ROM時代への一歩後退だ」と。

出版社のもっとも大きな過ちは、アップルの支配するマーケットを容認しようとしていることだ。ジョブズは気難しい門番で、彼の囲いの中でビジネスをする限りどんなアプリケーションがふさわしいかを決めるのはアップルだし、売上げの30%は上納しなければならない。顧客データもすべてアップルのもので、今までのところ出版社と共有した例は皆無だ。どんな広告主や広告がふさわしいかもアップルが決め、うわさでは広告収入の40%を懐に入れるつもりだ。

読者との関係まで支配されれば、かつての音楽業界と同じ打撃を受けることにもなりかねない。そしてアップルで最も警戒すべきなのは、検閲好きな体質だ。表現の自由に対する信念に突き動かされ手いるグーグルに対し、ジョブズは情報漏れを何より嫌う。アップルは下々のものに、企業の方針を説明したりメディアの問い合わせに答えたりはしない。ジョブズをばかにしたりすれば、すさまじい報復が返ってくる。ヌードに対してはバチカンより過敏で、iPad向けのファッション誌は肌の露出を最小限に抑えざるを得ない。ある編集部はこれを「イラン版」と呼ぶ。

ジョブズの美しく閉ざされたモデルは、1990年代にマイクロソフトのよりオープンなモデルに大敗を喫した。だからといって、また同じことになるとは限らない。iPadは見事な家電製品であり、少なくとも短期的には失敗するとは思わない。だがコンテンツの製作者は、混沌としたウエブをベルベットで敷き詰めた牢獄に置き換えようとするジョブズのたくらみにだまされないほうがいい。

カトリック教会は、美学論争では乱雑なプロテスタント教派に負けたことがない。しかし革新や独自の思考ではよく負けるし、富を分け合うのも得意ではない。アップルもそれと同じではないか。

やや過激で偏った考えも挿入されているようですが、ある面で長年アップルやジョブズCEOの言動を見ていると、あたらずとも遠からずの感を持ちます。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月28日

若者たちの人材育成が緊要の課題

DSC00940.JPG
講演する塩川正十郎氏
  先週末大阪で、財務大臣などを歴任した「塩爺」こと塩川正十郎氏の講演を聞きました。現在88歳ですが、かつて国会答弁で「忘れましたわ」といって煙にまいたひょうひょうたる雰囲気を醸し出しながらも、かくしゃくとしたその話しぶり。「塩爺」節健在でした。すべての話に納得するわけではありませんが、ある面説得力のある話も少なくありませんでした。

〔アジア情勢〕
 日本がおかしくなっているというが、中国や韓国などのほうがもっと大変だ。韓国は例の北朝鮮による韓国艦攻撃に対してすら与野党が対立して国論をまとめることができない状況だ。中国も公然とは表面化しないが、主流派と上海派による内部対立は深刻で、主流派の動きを見ると上海万博などはほとんど重視していないようだ。それよりもふたつの大地震の後処理や労働者による不満への対応が重要で、その一環として政権への直接批判を避けるために日系企業でのストライキを始めとした労働争議には目下、黙認している観が強い。

〔自民党と民主党の違い〕
  鳩山前首相は退陣の理由を「政治とカネ」としているが、正確に言えば同じカネでも母親から出ていた巨額の資金が、実は民主党の活動資金として幹事長裁量で活用されていたことに鳩山さんが気づいたからだと思われる。それで小沢さんを道連れにして退陣したわけだ。

  自民党長期政権で特筆できるのは、独裁者を作らなかったことだ。衆参で圧倒的な力を持っていても、派閥の力が生きて独裁者を生むことはなかった。あのロッキード事件で田中首相の逮捕に際しても、田中派は強行に指揮権発動などを求めたが、他の派閥は多数でこれを退けたいきさつがある。小泉政権下も旧田中派の力が強く、これに対し小泉さんと一緒に「旧田中派支配の」自民党を潰すと言ったのに、「旧田中派支配」の方をマスコミが意識的に置き忘れて自民党をぶっ潰すになってしまった。ところで自民党は歴代独裁者を作らなかったが、民主党はどうしても独裁者になりたいあの人がいるから大変だと思う。

〔菅民主党政権〕
 どうも菅首相による民主党の対応を見ていると、やり方のずるさが目に付く。10%の消費税問題。自民党を除く他の野党は一斉に反発しているが、菅さんはその自民党を取り込んで実現しようとしている。その背景には10数年前の橋本政権下、銀行の経営破たんを避けるために30兆円の公的資金を投入するにあったって、厳しい反対論の中で菅さんたちが賛成したことで成立したいきさつがあり、どうやら今度は暗にその時のことを忘れないで欲しいといわれているようだ。
 
  その消費税だが、国民の皆さんは10%アップが将来の社会福祉や年金のためと思っておられるようだが、だまされてはいけない。たとえ10%アップしても、すんなりとそのような分野で活用されるとは到底考えられない。それだけに消費税論議は、何をするためにアップしなければならないのかを予めしっかり提案・協議する必要がある。

〔若者論と人材育成〕
 ワールドカップで日本チームの活躍に、若者たちが異常な形で熱中しているが、あれこそ日常的に個々の若者が独自に熱中する目的・目標を持っていないことの裏返しだといえる。それほど今の日本の若者には、自分にとっての目標探しやチャレンジ精神が欠如しており、総じてあきらめ観が強い。最大の要因は教育問題で、とりわけ共通一次試験などによる振り分けが、多くの若者の成長を阻害している。たった一度の○×△で、自分の将来が選択されるなんてどうしてもおかしい。そうなると多くの若者が、「自分たちはどうせ落ちこぼれで、後のことは一部のできるやつに任せておけ」となってします。

  企業の入社試験でもそうだ。一般的に1,000人の新入社員を採る企業には常時、2万人ほどが応募するが、企業がいちいち2万人を面接するわけがない。リクルート会社などに丸投げして最終2,000人ほどに振り分けてもらうのが一般的で、その際は個々人の能力や個性など論外で、出身大学などが優先される。必然的に「どうせ俺たちは落ちこぼれ」族が増えることになる。

ところで大学生だが、労働者派遣法の改正に伴ってアルバイトに困る学生が増えている。親も苦しい状態で、学生としては少しでもアルバイトで稼ぐ必要があるのに改正によって簡単に登録できず頭を痛めている。かといって奨学金に頼ろうとしても限られているし、いろいろ問題がある。

  その奨学金制度だが、日本の場合はあくまで学生に対する「経済的支援」を目的にしているのに対し、ドイツやフランスは「人材育成」のためとされている。それだけに奨学金の額は日本に比べ桁違いで、返済についても日本のように働き出して早期にしかも画一的にではなく、自分の生活設計、将来ビジョンに基づいた返済計画が認められている。これなど、国を挙げて若手の人材を育成するという最たる例だ。
野球

 現在、東洋大学の総長を務めているが、陸上部が箱根駅伝で2連覇したり、野球部も強いなど、最近スポーツ分野で注目されている。寮を完備して、競争心を高めるとともに個々の力を引き出すことなどが奏功している。人にはそれぞれ個性があり、そのよさを引き出すことで若者は成長し、また目標に向かって切磋琢磨する。こういった流れで多くに優れた人材を育てていかないと、日本は今後ますます大変になる。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月27日

子供中心の中国、しかしいろんな矛盾が

A.JPG@.JPG
日曜日の上海の公園。確かに今は楽しそうだが…

それは確かに一部の現象かもしれませんが、中国ほど子供中心の生活リズムになっている国はないかもしれません。たとえば上海などで土日に公園を歩くと、子供を連れたいろんな集団に遭遇します。日本などでは、子供を遊ばせるのはお母さんかお父さん1人、多くて親子3人です。それが中国では4人や5人の「集団」も珍しくないのです。中には、たかが子供のスナップ写真を撮るのに、わざわざ撮影の被写体に光を反射させるレフ板という白い板を持って4〜5人の大人が大騒ぎしている光景も目に入ります。
トイレ

いわゆる一人っ子政策によって、両親だけではなくその両方の両親、つまり最低6人の期待を一身に背おう姿でもあるのです。ただ1979年から始まったこの人口規制政策によって、いろんな弊害が中国社会に生まれています。そのひとつが男女比の偏りです。まだ男尊女卑の思想が根強い中国にあって、1人だけなら跡継ぎの男の子と多くの両親は考えます。地方では、特にその傾向が強まっています。

世界的に自然な状態なら、男女比率は男105に対し女100程度ですが、中国では男117対女100が平均で、広東省や安徽省、さらに広西チワン族自治区などでは男130対女100という極端な男女比になっています。女の子だとわかると中絶してしまうことも少なくありません。このため多くの男性が結婚適齢期になっても結婚相手の女性を見つけられない事態が増えており、79年以降に生まれた世代がすでに結婚適齢期に達しつつある中で、「男余り」「嫁探し」問題は深刻になりつつあります。

もっとも上海あたりの都会では、逆に将来的には女の子の方が楽ということで、特別にこだわらない考えも広まっています。つまり男性は将来的に、マンションなど住居の確保をはじめいろんな経済的負担があるからです。上海で一緒に食事をした数人の若い夫婦は「男の子が生まれたら中国建設銀行に口座を開き貯金する。女の子なら中国工商銀行に口座を持って入ってくるのを待つ」といった話題で盛り上がりました。

2つ目が過保護の問題です。つまり1人っ子には両親2人以外に4人の祖父母がいるわけで、合計6人の大人がたった1人の子供を可愛がります。必然的に過保護となりまた甘やかされることで、対人スキルが育たず「自己中」の子供が増えます。また一人っ子同士の結婚では、離婚率が増加しているとされています。ちなみにこういった子供は「小皇帝」(女の子の場合「小公主」)とも呼ばれ、それ以前の世代とは異なる価値観を持っており、自分だけで生活しなければならなくなっても家事ができないケースがあるそうです。

3つ目は介護です。確かに子供のころは「6つのポケット」(両親とその双方の両親)でちやほやされますが、1人っ子同士が結婚すると、夫婦2人だけで両方の両親4人の介護をしなければなりません。もしご主人だけが働き、奥さんが家庭にいた場合、奥さん一人で4人の両親を介護するわけで大変な負担です。

6人の大人に囲まれたこの小皇帝も、いろんな矛盾を内包しているのかと思うと、何か可哀そうな気がしてくるのです。

□小噺
「君、どうしたんだい?そんな暗い顔をして」
「ああ…。実は僕、もうすぐ父親になるんだ…」
「えっ本当か!おめでとう。でもなんで喜ばないの?」
「実は、妻にはまだ話してないんだよ…」
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月26日

ワールドカップは「眠ってから見ました」

TbJ[.JPG
「眠ってから見るのか」「見てから眠るのか」―正直迷いましたが、前者を採用しました。午前3時に目覚めて、たっぷりテレビを見ました。本田と遠藤の神業的FKなどを含め前後半90分をたっぷりと見させてもらいました。
サッカー

 「うれしいけど、なぜか思っていたほど喜べない」と言ったのは本田選手。本音発言がもともと得意な選手だけに、そのとおりでしょう。大阪・摂津市で生まれたサッカー少年が、金沢の高校、J1名古屋グランパスを経て単独でオランダのクラブチームに移り、やがてロシアの強力チームの中心メンバーとなった。中田や中村とはまた違ったリーダーとして彗星のごとく現れたのです。

 岡田監督のベスト4発言はどことなく陳腐さがありました。しかし本田選手が「(この程度で)うれしくない」といったのは、目標があくまで優勝しかないとの本音と受け止められます。若者らしい何のいやみもない発言です。

 この日の試合後、もうひとつ心を打ったのは闘莉王の言葉で、「いろんな人の支援を信じた」「本当に日本人になって誇りに思う」と素直に言わせました。W杯直前の国際試合で4連敗して意気消沈の日本チームを支えたのは、この選手の「下手くそなチームはそれを認識して、下手なりに泥臭くやるしかない」との発言だったそうです。
パンチ

 先に社会の諸矛盾をオブラートで包むように、W杯が日本を、世界を酔わせていると書きましたが、それも仕方がないかもしれません。それほどこういった戦いは人に感動を与えます。29日午後22時のパラグアイ戦が次の関所です。
posted by ウツボおやじ at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月25日

四方夏己のIT講座―クラウドについてC「クラウドの形をよむ」

4[1].gif
 四方さんのクラウド論評、いよいよ現実論のコンピューティングの世界に入ってきました。IT業界も並べて厳しい環境下、果たして「クラウド」が救世主となるのか。そこが問題となっています。

ITの世界で今をときめくクラウド・コンピューティングについて考える場合にも、まず重要なことはクラウドの形を読むということだ。つまり現在のクラウドの形と環境条件をみて、一定期間を経た後のクラウドの形をある程度予想しておくということで、これは新たな戦力を採用する上での基本だろう。ところが現在のクラウドは、まずその形が定かではない。

 IT機能をネットワーク経由で利用するという考え方は、いまに始まったことではない。小はLSIの内部構成から大は国家システムに至るまで、コンピュータの歴史は集中と分散の繰り返しといえるが、いずれにしても中心部と周辺部を結ぶネットワークが前提となるわけで、この大容量高速化が格段に進化すると、コンピュータの活用スタイルも変わってくる。ということで、コンピュータ・プログラムをネットワーク経由で利用するASP(注@)がはやり、ITサービスをネットワーク経由で利用するSaaS(注A)がはやり、そしていまはクラウドである。

 いまやクラウドの元祖といっても過言ではない「Sales Force.com」のマーク・ベニオフCEOは、「クラウドとは言葉の言い換えではなく、従来の延長線上にはない全く新たなサービスの概念だ」と、先月の来日した際に力説したが、彼はほんの2年前まではSaaSを力説していた当人であり、当然のことながら提供するサービスもSaaS時代の延長線上にある。この意味でクラウドは「従来の言葉を言い換えただけ」という多くのユーザーの感覚は正しい。

 しかしASPやSaaSなどと大きく異なるクラウドの特徴は、あらゆるIT関連メーカーがすべて積極的な参入を表明していることだ。ASPの場合はソフトウェアメーカーが、SaaSの場合はサービス事業者が主力であったが、クラウドの場合は全業者が主役であるかのように振る舞い、これに疑問を差し挟む者もいない。“みんなで渡れば怖くない”ということで、ハードメーカーもソフトメーカーもサービス事業者も官庁も、口を開けばクラウドになった。

 しかし本当にクラウドが主流になれば、ハードメーカーにとっては端末機器以外の市場が大幅に縮小するわけで、ビジネスモデルの抜本的な変革を強いられることになる。ソフトメーカーにしても同様だろう。いくら釈明してもこの基本は変わらない。しかし現在の参入企業は、この覚悟を持ってクラウドを推進しているようには見えない。その証拠に、各メーカーが提唱するクラウドにはビジネスとしての形が一向に見えて来ない。

 この形が見えてきたとき、クラウドは主戦場になるのかも知れない。対費用効果、将来性のいずれをとっても疑問を挟む余地がないと喧伝されるクラウドだが、これが不況下における方便であれば、経済環境が変わればその役割も終わる。ユーザーは戦いを急ぐことなく、クラウドの形をしっかり見るべしといえる。(四方夏己)
exclamation&question

注@「ASP」―パソコン用の特定の作業のためのソフトウェア、業界言葉では「アプリケーション・ソフト」というが、これをインターネットやウェブブラウザーを介して使用できるようにするサービス、もしくはそうしたサービスを提供する事業者のことをさす。
注A「SaaS」―ユーザーが必要な機能や時間(期間)を選んで使うことができるソフトウェア、あるいはそれらを提供するサービスやシステムをさすことばのこと。
わーい(嬉しい顔)

■小噺
「社長!このコンピュータを使えば、仕事の量が今までの半分ですみますよ」
「それは素晴らしい。じゃあ2台くれよ!」
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月24日

情報に飢えた一週間、政治力で彼我の差を痛感

Cw.JPG確かに中国もいろんな矛盾を内包するが…(上海駅で)

 一週間も日本を離れると、ネット上で日本の動きはつかめるとしてもそれはあくまで断片的な情報に過ぎず、深層部を理解できないもどかしさを感じていました。よく新聞を定期購読せず、ネットでの収集で十分だとする人が周囲に多くいますが、到底自分にはまねができないだろうと思っています。
飛行機

上海から夕方帰り、早速一週間分の2紙朝夕刊を拾い読みましたが、案の定「情報音痴」になっていた自分を見つけました。しかしどうでしょう、政治、経済、社会それぞれに深刻な問題が次々と起こっているにもかかわらず、何ひとつ解決策を見いだせないままに日本も、世界と一緒にワールドカップに酔いしれていると思えてならないのです。

政治の世界ではとにかく、国会論争にふたをして選挙優先で各党突っ走っています。そこに突如、消費税率アップが登場しています。菅首相は2〜3年か、それ以上かけての具体化を表明していますが、これだけ疲弊した実体経済の回復に当面どのような手を打つのかさっぱり見えてきません。

大相撲の野球賭博問題もそうです。長年にわたり臭いものにふたをしてきたため、その矛盾がメタンガスのように一気に噴き出して誰も手がつけられない事態になっています。相撲協会の公益法人打ち切りなど含め、とにかく特別な存在であることを否定して、いちから出直すしか手はないと思います。場合によっては出直せないかもしれませんが。

そういった政治、経済、社会の諸矛盾を象徴するがごとく、いやな事件が連日引き起こされています。秋葉原事件をなぞるようなマツダ工場での無差別襲撃事件。たとえ短期間とはいえ、同じ職場で汗を流した仲間に「凶器」を向けることができるのでしょうか。同じ日の紙面には「友人の足縛り海に落とす」「女性遺体、多数の殴打跡」などの見出しが載せられていました。

ところで中国出張中に中国人民銀行(中央銀行)が「人民元相場の弾力性を強める」と発表したことから、在上海の日系商社を始めとする多くの人たちとの話題はこの人民元の切り上げに集中しました。そこで共通したのは、良いにつけ悪いにつけ、中国の政治リーダーたちのしたたかさです。「弾力性」という玉虫色の声明は、明らかに26日からカナダで始まるG20首脳会議を意識したものです。苦肉の妥協という見方もありますが、これでアメリカの面子も立てることができ、各国の中国バッシングへの多少とはいえ緩衝材となり、自国企業に今後の人民元高に対し覚悟を促す教育的効果もあったはずです。

確かに中国でも現在、労働争議を軸にした人件費の高騰や貧富の差、大学生の就職難などさまざまな矛盾を内包しています。しかし思わぬ高支持率にやや浮かれて突如消費税アップを口に出してしまい、あっという間の支持率低下に頭を抱える日本のトップに対し、今回の人民元対応でしたたかさを見せた中国政府。その彼我の差は歴然としています。

ある本で、「古今東西、紀元の前から政治家が善人であった例は少ない。政治家という悪人に結果として善事をやらせるにはどうしたらよいか。それを考えるのが国民の課題云々」を読んだことがあります。参院選はいよいよ、きょう告示です。
イベント

〔念のために〕昨23日付けのブログで、上海新国際博覧センターで開かれている繊維機械展示会の総展示面積が11万平方b強で、それは東京ドームの2個分強、甲子園球場だと2.5個分強の広さと報告しました。早速、展示会などの企画・運営などを専門とするプロの方からメールで、「一般的に展示会の規模の大きさを野球場などと比較する際には、球場のうつわそのものの大きさではなく、グランドの大きさとの比較が正確であり分かりやすい」とのご指摘をいただきました。確かにそうでしょうね。そういった意味で東京ドームも甲子園もグランド面積は14,000平方bですから、上海繊維機械展の総展示面積11万平方bは両球場の約8個分に匹敵します。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月23日

上海・南京駆け足紀行E「繊維機械の上海万博」

DSC00933.JPG 
繊維の糸や織・編物を作り、さらにはそれを染色加工するなどの機器を集めた国際的な展示会が22日、上海市浦東新区の上海新国際博覧センターで開幕しました。26日まで5日間開かれます。世界28カ国・1地域から1171社が出展しており、その総展示面積は11万平方b強です。11万平方bという広さはちょっと分かりにくいと思いますが、東京ドームの2個分強、甲子園球場だと2.5個分強の広さを想像してください。ここに世界約100カ国・地域から約10万人の来場が見込まれています。上海万博の規模とは端から比べようもありませんが、繊維機械という範疇から見れば明らかに「万博」です。

 かつて国際的な繊維機械展示会といえば、欧州のドイツ、イタリア、スイス、フランス、イギリスなどのメーカーが統一的に4年に一度、各都市持ち回りで開いていた「ITMA」、アメリカと日本の大阪でいずれも4年ごとに開いていた「ATME」と「OTEMA」が世界の3大繊維機械展といわれていました。ただ欧州は別格で、常に4年に一度最新技術を発表するために繊維機械の「オリンピック」、また大阪はアジアを代表する展示会だけに「アジア大会」と例えられていました。

 もっとも中国でも、長い間2年に一度北京で「CITME」と名付けた繊維機械展示会が開かれており、かくいうオヤジも20年数年前から取材などで行っていました。いつだったか定かではありません。たしか18年ほど前に、たまたま展示パンフレットの一部に台湾の国旗を、それも虫眼鏡でしか発見できないほどのものを載せてしまい撤収されました。ただしチェックはそれで終わったのではなく、展示会の期間中、ずっと公安の人2人が5日間、ブースに張り付いていた経験を持ちます。そのCITMEが2年前から上海開催に移り、そこに欧州のITMAが参画する形で2008年に「ITMAアジア+CITME」が発足し、2年後の今回、2010展が開かれたものです。

 その間アメリカ展は衰退し閉幕、大阪のOTEMASも2001年の第7回展で幕を閉じています。つまり国際的な繊維機械展は来年欧州で開催されるITMAと今回の「ITMAアジア+CITME」だけになったのです。結局、アメリカと日本の繊維製造業とが衰退するのと軌を一にして、繊維機械産業も低迷していったのです。

 ただそれでも日本の機械メーカーは、合繊や紡績、さらには織機、編機分野などで豊田自動織機、村田機械、津田駒工業、島精機製作所など世界トップの企業も少なくなく、今回の展示会でも大きなスペースを確保して積極的にアピールしています。しかもこれら分野は世界の独壇場的立場にあり、厳しい世界経済下にあっても大健闘しています。今回展でも各企業のトップといろいろ話しましたが、「他に追従できないものを創れば、必ず生き残れる」ことを実感しました。

 一週間ほどの駆け足探訪最後に、かなりしっかりした手ごたえを感じました。
posted by ウツボおやじ at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月22日

上海・南京駆け足紀行D「ついに行ってきました上海万博」

DSC00898.JPGDSC00877.JPG
 万博開幕52日目となる昨21日、行ってきました。率直な感想は「もうこれで結構」です。とにかく待つこと、並ぶことに耐えられる人でなければとても無理だといえます。とりわけ高血圧の人は自重が必要でしょう。

 出足の鈍かった万博入場者数も、6月10日過ぎから連日40万人を突破し、時として50万人を上回る日もありました。先週末の土曜日も43万人近くとなったものの、翌日曜日はどういうわけか36万人に落ち込んでいたことから、月曜日はもっと減るはずだとの予想で出掛けたのですが、これが甘かった。昼時点で早くも前日実績を上回り、逃げるように会場を後にしてホテルに着いた午後2時過ぎの来場者は約40万人でした。

 地下鉄に乗って会場に着いたのは9時30分。30元安い前売り券を持っていなかったので、入口付近で160元(約2,160円)の平日普通券を買って入りました。ところが手荷物検査のある入口まで、10メートルほどで合計10数回折り返す通路にしているために、直線で入口まで10bほどのところを100b以上歩く必要があります。割り込みが得意な中国人気質を意識したのでしょうか。それでも大きく2つに分かれる会場のうち、圧倒的に人が少ない浦西側から最初に入る戦略は成功でした。人気パビリオンがほとんどなく、比較的に簡単に入れたからです。

 ただ問題は、行ってみようと思った大阪館と日本産業館がいずれも会場の両端っこに配置されていたため、とにかく移動が大変でした。それも標識などが全体として分かりにくく、英語と中国語の2種類のパビリオンマップの中から5ポイントほどの小さくて薄い「OSAKA」の5文字を探し出すのは至難の業です。それとゲートやインフォメーションにいる関係者が通じる言語は中国語と英語だけで、日本語は日本館を加えたこの3パビリオンの中だけと覚悟しておくべきでしょう。今後万博にお出かけの際は、前もって行きたいところを決めて予め会場図などでしっかり準備しておくことは第一義ですが、よほど中国語か英語に自信のある方以外は、とにかくしっかりしたガイドやパートナーとの同伴をお勧めします。

 やっとたどり着いた大阪館では、10分ほど待って入場。50人単位の来館者を集めて四方の壁に映る大阪の過去・現在・未来を紹介する5分ほどの映像以外は、パネルを中心とした展示でした。そこから30分近く歩いて着いた日本産業館は、映像など催しを見ない人は2時間、見る人は4時間待ちということで当然パスです。

 無料地下鉄で移った浦東会場では、どのパビリオンも長蛇の列で人気パビリオンは5時間以上、普通のところでも2時間ということで端から諦めていました。それにしても中国を始め各国の国家パビリオンが集まる主力の浦東会場でも、日本館は一番端の最南。どうも最近の国際会議で、日本の総理大臣が常に端っこの方に立っている姿を思い浮かべるのです。そんなわけでランドマークの写真などを収めて、ホテルでシャワーを浴びたい、冷たいビールを飲みたいの一念でした。出口で万歩計を見ると、約1万6千歩を記録していました。とにかく疲れました。

 
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月21日

上海・南京駆け足紀行C「アートスポット田子坊とは」

DSC00839.JPGDSC00836.JPG
田子坊の入口(右)、ごく一部の住居以外はすべてショップなど(中)、こんな狭くて細い路地

DSC00835.JPG 上海の泰康路にある「田子坊」(たごぼう)に行ってきました。市内中心部のやや南、旧フランス租界の端っこに近い下町エリアで、南は泰康路、北は建国中路、東は思南路、そして西は瑞金二路に囲まれた3万平方bほどの区画です。泰康路芸術街ともいわれるように、上海のアートスポットとなっています。

 2004年に開設した上海のオフィスを1年間ほどこの泰康路のあるビルにおいていたこともあり、田子坊にはよく足を運んでいました。当時はまだごくありふれた細い路地のひとつで、そこに画家や陶芸家のアトリエに混じってブティックや小物店など、合計で30〜40軒ほどあっただけです。それが今回、5年振りに行ってみて驚きました。様変わりしていると話には聞いていましたし、例の高樹のぶ子の「甘辛上海」で紅子さんがたびたび田子坊に出掛けていましたから想像はできていたのですが、まさかこれほど変わっているとは…。

 なんと狭く迷路のような路地という路地に、ブティック、小売店、外国料理店や中華料理店が所狭しと店を構えているのです。その数400余といわれています。泰康路に面した表通りには新しい建物もありますが、その路地の中は租界時代に建てられた石庫門の古い集合住宅です。大半がその中だけを改装して営業しています。紅子さんが通って高い絵を買ったと思えるチベットの絵を売るショップもありました。そこに中国の若者たち中心に老若男女が押しかけ、人があふれています。日本人を含め外人観光客も結構多く、創作ジュエリーショップで「まけて、まけて」と値切る日本のおばさんの姿を目にしました。

 前述したように、ごくありふれた路地のひとつでしかなかった田子坊が泰康路芸術街になったのは1998年からで、区政府が整備を開始し、そこに数名の著名な画や陶芸などのアーティストが移ってきたのです。その一角は、その後移ってきた若い芸術家などを加えてまだアーティストの創作現場、つまり「芸術街」として残っています。しかしそれから10年の間に、他の古い住民が料理店や工芸品、土産物、ブティックなどに大変身したのでしょう。上海は3ヵ月離れていると建物や街が変わっているとされますが、5年も経てばそれこそ浦島太郎の世界であることを実感しました。同時にここが「アートスポット」と呼ばれる時間は、それほどないとも感じました。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月20日

上海・南京駆け足紀行B―中国人とワールドカップ

サッカーのワールドカップが世界中で盛り上がっていますが、どうも欧州勢の調子がいまひとつですね。ドイツがセルビア、スペインはスイスにそれぞれ敗れ、イングランド2引き分け、イタリア1引き分け、フランスに至っては1敗1分けと散々です。ギリシャ発の経済危機に意気消沈しているのでしょうか。ただそのギリシャだけは、韓国には負けたもののナイジェリアに勝っています。皮肉なものです。

 つい最近ニューヨークから帰ってきた知人によると、従来サッカーにはあまり興味がないとされていた米国でもサッカーに対する見方が急変しているそうです。あれだけアメフトやバスケットボール、野球、ゴルフに熱中する米国民がサッカーだけにはもうひとつ関心が薄いのはなぜかと思っていたのですが・・・。90分間まったく点が入らなかったり入ってもせいぜい1〜3点と、短時間で白黒がつかず、また派手な形の盛り上がりに欠けるところがその国民性にあわないとの意見を聞いたことがあります。

 ところがここへきて、サッカーに対する見方が変わってきたのです。あれだけワールドワイドで熱中するスポーツはサッカー以外にないと気づいたことと、サッカーはきわめて民主的だというのがその理由だそうです。確かにアメフト、野球、ゴルフなど米国が得意とするボールゲームに取り組む人口は、世界的に見れば少数派です。しかしサッカーはボールと広場さえあれば誰でもどこでもできるだけに、これほど理屈のいらないスポーツはないといえます。知人によると、米国は国を挙げてサッカー強化に取り組むそうで、多民族が集まる国ですからおそらく数年先にはサッカー強国の仲間入りをすると思われます。

 米国とともに不思議がられているのが中国です。13億人の人口を抱え、土地は腐るほどあります。しかも日本や韓国など近隣国が出場して活躍しているのですから、負けず嫌いの国民性からして辛抱できないはずです。自分の主張を強く通したり、組織プレーを苦手とするなど、中国人の性格がアメリカ人と似通っていることも、米国同様サッカー強国になれなかった要因かもしれません。

 しかし米国に勝るとも劣らない形で、中国ではサッカーが盛り上がっているのです。いろんなパーティーでも、「日本は強いですねえ」「オランダ戦どうでしょうか」「どこが優勝するでしょうか」など、相手からサッカーの話題を投げてくるのです。このほど上海市が市民にワールドカップに関するアンケート調査を行ったところ、有効回答者2,400人のうち48%の市民が開会式と開幕戦を見ると答えています。

 しかも中国は日本と比べても1時間の時差があり、試合のほとんどは夜10時以降となります。そこで試合を観戦するために休暇をとるか勤務時間で調整するかを聞くと、9%の人がそうすると答え、さらに観戦して疲れた場合は23%が仕事を休むと答えています。つまり開催期間中に3割以上のサッカーファンが仕事時間を調整すると回答しているのです。自国が出場していないにもかかわらず、このような熱中です。

 さて、そういった上海ファンの優勝予想ですが、ブラジルと答えた人が75%でトップ。次がアルゼンチンで、後ドイツ、スペイン、イタリア、イングランドと続きます。どうやら中国では2018年のワールドカップ開催国として立候補する意向を固めているようですが、いまの中国の熱中を考えると当然だと思えます。サッカーの世界でも、米国と中国の台頭が予想されそうです。
もうやだ〜(悲しい顔)
 ホテルのネット環境がお粗末で、画像貼り付けには途方もない時間が必要です。もうあきらめました。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月19日

上海ー南京駆け足紀行A中国自慢の高速鉄道「動車組」に乗りました

DSC00793.JPG20 015.jpg 
7月1日の開通に向け急ピッチ工事も、巨大な上海駅も人の波(手荷物検査所)、一斉に列車に乗車20 025.jpg

 16、17日に中国自慢の高速鉄道「動車組」に乗って上海―南京間を往復しました。動車組とは一応、中国の新幹線ですが、「一応」というのはまだ完全な新幹線規格ではないからです。車体は確かに日本やドイツ、フランスからの技術導入によって「はやぶさ」などに酷似していますが、山形新幹線や秋田新幹線のようにまだ在来線の線路の上を走っています。現在、北京―上海間の新幹線専用線路が建設されていますが、それに先立ち7月1日開通の予定で上海―南京間の工事が急ピッチで進んでいます。
新幹線

 上海の大きな鉄道ターミナルはこの上海駅と、2006年夏から開業している杭州市など浙江省方面に行く上海南駅があります。巨大な上海駅は1987年に開業したもので、それまで事実上の上海駅だった上海北駅は廃止されて鉄道博物館になっています。30年ほど前に南京に行った時はもちろん北駅からで、特急の軟座(一等車)に乗った記憶があります。車内ではお茶のサービスがあり、掛け軸や民芸品なども販売する独特の雰囲気を覚えています。当時の上海―南京間は特急でも4時間、各駅停車だと8時間ほどかかっていました。それが現在の動車組だと2時間20分から30分、7月1日からは1時間台だそうですから、まさに隔世の感ありです。

 上海駅はすごい人でした。駅前から手荷物検査所の前(飛行場のように手荷物が検査されます)、そして入口となる2階へのエスカレーター、待合室。どこもとにかく「人、人、人」の波です。特に待合室は列車の出発10分前にしかフォームに入れてくれませんから、立錐の余地もない状態です。改札が始まるとまたすごいラッシュです。指定券があるので急ぐ必要はないのですが、指定をとっていない人に席を占拠されたり荷物を置く場所がなくなるからみんな必死です。案の定、一緒に行動した5人の席のうち3席ほどは、おばさんたちが座っていました。

 16日の午後は特に人が多かったようです。この日の上海万博は57万人が入場しており、その帰り客や3日間の祝日を終えての移動、さらには上海でデートや買い物をした若者たちです。ちなみに中国では内需の拡大を意図して、国民の祝日が増えています。1月は元日、2月春節、4月清明節、5月労働節、6月端午節、9月中秋節、10月国慶節です。春節と国慶節は1週間ほどの長さですが、後は3日ほどの短期です。それも土日振り替え出勤となっており、とにかく連休を重視します。2年前から始まった今回の端午節も、旧暦5月5日となる15日を挟んで3連休ですが、その前の土日は出勤日です。

 脱線してしまいましたが、とにかく乗車率130%ほどの「和諧号」D5436便は定刻の15時32分に上海駅を出発しました。後述するように到着はもとより出発が遅れるのは日常茶飯ですが、時として出発が2〜3分早まることもあります。中国らしいところです。はやぶさ型の8両編成で、二等席93元(日本円1,240円)。一等席でも120元(同1600円ほど)ですから、日本の新幹線に比べたらはるかに格安です。つまり上海ー南京間は303キロで、296キロの新大阪―浜松間の運賃はひかり指定席で8700円と7倍もかかるからです。

 列車によってそれぞれ停まる駅は異なり、D5436号は無錫、常州、鎮江と3つの大都市だけの停車でした。途中の無錫や常州で降りる客は多かったのですが、逆に乗車客も結構ありました。ただ停まる駅が少なく、さらに日本型モデルのために1車両に乗降口が2つあったため、スムーズな乗降によって南京駅に着いたのは定刻の18時1分でした。停車時間を入れた平均速度は126キロですから、のぞみよりははるかに遅いですが、山形や秋田新幹線よりは速く走ります。

 翌日、南京から乗った14時43分発D5431も超満員でした。今度はドイツ型で、シーメンスの技術を導入した16両編成です。うち二等車が12両、一等車3両、食堂車一両です。食堂車といってもテーブルがあって、インスタントラーメンなどが食べられるように熱湯が出る蛇口が設置されているのです。ただドイツモデルの弱点は、1車両に乗降口が1つしかないために、丹陽、常州、蘇州、昆山の各停車駅で乗降客のもたつきがあり、上海には定刻より8分近く遅れて着きました。ドイツ型と日本型を比べて感じたことは、ドイツ型が前後の座席間が広いということを除けば、日本型の圧勝です。乗降口に加え、リクライニングができない、ひじ掛けが無い、前後が広すぎるために前置き棚を下ろしても体格の劣るアジア人は弁当を食べたりパソコンの作業などは逆に不便―などがそれです。

 最後に動車組に乗ってつつくづくと思ったことは、とにかく中国人のやかましさ、うるささです。乗車するとすぐ座席を回転させて騒ぐような形での雑談、携帯電話での大声通話は平気のへいさ、子供の泣き声笑い声等々、日本の新幹線に慣れた人はとうてい耳栓なしで2時間を過ごすことはできないはずです。しかも車内のテレビ放送。突然、大音響で古き革命歌の「インターナショナル」が流れたかと思うと、漫才やアニメ、ファッションショーなどの番組が渾然一体となって放映されるのですから…。渋滞必至の車などと比べ、確かに便利ですが、まだあまり乗りたくはない動車組です。ただ隣接して7月1日の開通を待つ「真の動車組」がどうなるかですが、国民性ともいうべきそのにぎやかさは容易に変わらないと思われます。良く言えば、明るく楽天的なのは中国人の天性なのです。
 
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月18日

上海・南京駆け足紀行@―孫文への墓参りからスタートした

kore.JPG 民族、民生、民権の三民主義によって「公為下天」を唱えたのは中国の“国父”とされる孫中山(孫文)です。対して「民為下天」、もっと分かりやすく言えば「選為下天」を邁進するのが日本の菅首相でしょうか。政治とカネの問題は完全にふたをして、前代未聞とも言える予算委員会も開かないままの選挙突入。まさに選挙のために、民主党のために天下はあるのかと、理解せざるを得ないのです。

 17日、孫文が眠るとされる中国・南京市にある中山陵に行きました。前日、仕事仲間5人と上海から列車で南京に移動して江蘇省政府関係者に歓待されて一泊。朝から中山陵や明の太祖である洪武帝の陵墓「明孝陵」などがある紫金山を散策したのです。どちらの陵墓とも世界文化遺産に登録されており、ウイークデーにもかかわらず多くの観光客で賑わっていました。南京を始め江蘇省もこの日から入梅となり、地元紙は「今年は梅雨の典型ともいえる高温高湿」と報じていました。そのためか34度の気温以上に蒸し暑く、階段の上がり降りや長時間のウオーキングにべっとり汗をかきました。万歩計は紫金山散策だけの歩数をは約13,000歩と標していました。

 紫金山は市街地に広がる玄武湖とともに南京の観光スポットとなっていますが、孫文は在命中にたびたびこの山に登山していたそうです。そのこともあって死後、奥さんの宋慶齢がここを墓所にと決めたとされています。

 ところで上海はもちろん、同じ江蘇省でも蘇州や無錫には何度も行っていますが、南京まで足を延ばしたのはほぼ30年ぶりです。その時も中山陵には行ったはずですが、何も記憶は残っていません。あらためて思ったのは、中国本土と台湾双方でただ一人公式に認められている人物とは言え、よくもあの文化大革命を中山陵が生き延びたということです。「中華民国」の看板を掲げ、孫文が横たわる棺の上、天井一面に中華国民旗が描かれているのです。毛沢東が保護すべき第一位として孫文関係者を守ったなどの話もありますが、たとえ厳重に扉を締めていたにしても、あの狂犬・紅衛兵たちの難から逃れたのですから。やはり中国の人にとって、孫文だけは別格なのでしょう。

 そういえば中国全土に「中山」を冠にした公園、大学、建物などがありますが、ついぞ毛沢東を冠にした公園など聞いたことはありません。毛沢東はあくまで政治家・革命家であって、孫文はさらにそれを超越した思想家の域に達していたのでしょうか。

 今回の中国紀行、のっけから硬い話になりましたが、現実は昼も夜も連日「乾杯、乾杯」の予定です。それだけに、なかなかブログを書く時間がありません。これも南京から上海へ帰る新幹線の車中で書いたものです。5時30分過ぎに上海駅に着いて、ホテルでチェックイン、簡単なシャワーを浴びる間もなく7時前から会合・宴会ですから。まあどのような紀行になるやら・・・。
posted by ウツボおやじ at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月17日

散髪業界にも価格破壊の波が

DSC00680.JPGDSC00677.JPG
るんるん春は早うから 川辺の芦に かにが店出し 床屋でござる ちょっきん ちょっきん ちょっきんなるんるん

 散髪には25日に一回くらいのペースでいきます。1ヵ月を越すと耳に髪の毛が被さるようになり、とてもいやな感じがします。梅雨時や夏は特にそうです。ずっといきつけの散髪屋さんで、「散髪時」になると先方から電話がかかってきます。正直、料金はかなり高く、家人に料金を打ち明けると「そんなに!」と目をむき、家でしたらといわれるかもしれません。以前、東証1部上場の大手企業トップが、家で奥さんにしてもらうと話していましたが、この社長さんにとってはお金の問題ではなく夫婦愛だと思いました。当方の場合は長年に渡っての習慣のようなもので、散髪するよりも雑談に通っているようなものです。

 あの散髪屋の前にあってクルクルと上に巻き上がる標識。「サインポール」といわれるそうですが、赤と青そして白はそれぞれ動脈,静脈、包帯や手術着を意味するとされ、かつて外科医が散髪をしていたことからきたものだと一般的に言われていますが、必ずしもそうではなく、世界的に諸説があるそうです。それはともかく最近、散髪業界でも価格破壊が起きています。駅ナカや駅地下ばかりか街中でも激安ショップが増えています。

 大阪の本町通りを歩いていると「刈るだけ1,000円」「10回で1回サービス」の看板がありました。よく聞くと一切カミソリは使わず、洗髪もしてくれません。まあ早くて手軽ということで「クイック」という200店ほどのチェーン店で、某超大手企業がバックで運営しているそうです。水処理設備がないために衛生面で問題だと保健所がチェックしているそうですが、とにかく安価で早いのが受けて各地で増加しています。また他にも、刈るだけ1,000円ですが、オプションで洗髪や髭剃りなどをしてくれる散髪屋も漸増しているそうで、ここで働く職人さんの中には、月40万〜50万円を稼ぎ出す人も少なくないとか。歩合制ですから、とにかく1日中刈るだけです。

 最近では、スーパー銭湯などにもこの手の散髪屋さんが進出し、繁盛しています。また中には、最低の免許ももっていない中国人など外人も増えています。そうなると困るのが、店を構えて、高額の理容器具を備えたごく普通の散髪屋さんです。これら散髪屋さんは一般的に理容組合という全国組織に入っています。そうでなくても不景気、若者の散髪離れ、「ごく普通の散髪屋で散髪をするのがごく普通」と考えていた団塊サラリーマンの定年などで散髪人口が激減しているところに、激安ショップの増加です。傘下の組合員は激減し、現在全国的に8万店といわれています。1,000円散髪店などに対しては、胸に顔写真が入った組合員証をぶら下げて、お客さんに「安心・安全」をアピールしています。それでも後継者難などもあって、街の普通の散髪屋さんは減る一方だそうです。

 確かに「クイック」などには月5回ほど通える散髪代を毎月払っていますが、冒頭の「あわて床屋」のように耳を切られたウサギさんになっては困りますから、本格的な年金生活が始まるまでは今の散髪屋さんに通うつもりです。はいるんるんちょっきん ちょっきん ちょっきんな〜るんるんえっ?なんですってるんるん貯金 貯金 貯金ない〜(無い)?るんるん誰やそんなこと言うのは。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月16日

ワールドカップで初めて、海外で勝ったのですから

DSC00689.JPGDSC00670 (1).JPG関西も東京も入梅しました。しかし不思議といい天気の日も(緑がきれいな大阪御堂筋・写真右と、水もぬるむ東京の目黒川・同左)

 きょうは、のっけからクイズです。実話らしいですが、東大のある教授が本の原稿の締め切りに遅れに遅れ、発行予定日がとうに過ぎているのにようやく原稿を整理している段階です。何だかんだといって、数ヵ月も遅れてようやく完成しました。反省をこめて、先生はあとがきでこう書きました。「やむを得ぬ事情により、出版が遅れたことをお詫びします」と。ところが、出来上がった本を手に取った先生、目をむいて驚きました。さて、本には何とかいてあったのでしょうか。(解答は最後です)
exclamation&question

 いぁあ、それにしても一昨夜は驚きました。まさかといっては怒られそうですが、日本がカメルーンに勝つとは。おそらく願望もこめて「勝つ」と言っていた人を含め、ほとんどの人が勝つとは思っていなかったはずです。オヤジも唯一の勝機は、カメルーン・チームの気まぐれさによる内紛や、主力選手の怪我と考えていました。現実に、監督と主力選手との確執等が報道されています。当日夕も知人たちと酒を飲みながら言い合ったものです。「損保会社が『安心』をテーマにTVでやっているCM。ガリバーのような巨人がキーパーとなって横に寝転ぶやつ。あんな巨人が日本にいたらなあ〜」とか「日本人のほとんどが、ワールドカップをテレビ観戦するのは今夜のカメルーン戦だけだ」など、好き勝手に評論していました。

何しろ世界ランクは、オランダの4位は別格として、カメルーンは19位です。対して日本は45位ですから、はるかに格下です。以前にもブログで書きましたが、36位のデンマークも、次々と欧州の競合を破って南アフリカに来ています。カメルーン戦は、なんとか引き分けて欲しいというのが本音ではなかったでしょうか。それだけに、真夜中の金星に日本の45.2%が酔いました。

日本だけではありません。各国の報道が賛辞を掲載しています。イタリア「退屈な試合が多い中、唯一の番狂わせ」。フランス「日本の堅実さが上回る」。ロシアにいたっては「当ロシア・プレミアルリーグの所属選手(本田のこと)が、得点を挙げ、日本のサムライ・チームを勝利に導いた」と、べたほめです。唯一、デンマークが「今大会最低の試合」と酷評しています。それにしても日本は、ワールドカップで初めて、海外試合で勝ったのですから、まあ賛辞をもらってもいいでしょう。

ただ有頂天になっては困ります。イギリスのブックメーカーが実施する出場32チームの最新オッズを見ても、オランダは10倍、カメルーン101倍、デンマーク151倍に対し日本は何と401倍で、尻から6位です。ちなみに上位は、スペイン5倍、ブラジル6倍、アルゼンチン7.5倍、イングランド9倍、ドイツ15倍、イタリア17倍、フランス21倍など欧州と南アメリカチームが顔をそろえます。逆に尻からは、北朝鮮とニュージーランドが2001倍、ホンジュラス1001倍、アルジェリア501倍、スロベニア401倍です。

ちなみに14日まで10試合が終わった時点でオッズ予想と比較してみると、予想が外れたのは半分の5試合あります。そのうち3試合、81倍のメキシコと151倍の南アフリカ、9倍のイングランドと81倍の米国、21倍のフランスと101倍のウルグアイがそれぞれ引き分けといます。残る2試合は、251倍の韓国が201倍のギリシャを破った試合と今回の日本とカメルーンの試合です。つまりオッズで見る限り、番狂わせを演じたのは米国、ウルグアイ、そして大番狂わせの日本の3カ国といえるでしょう。

さてこうなると現金なものです。夢は早くも予選突破で、19日のオランダは引き分けで、25日も「世界ランク19位のカメルーンに勝ったのだから、36位のデンマークなんぞちょろい」となってしまうのです。さらに、にわかファン、にわか評論家も激増しています。普段はサッカーなど見向きもしない家のカミさんですらテレビにかじりつき大応援、翌日の新聞で「オランダなんてたいしたことはない。デンマーク相手に2点しかとっていない」なんて始末です。まあ「競争するナショナリズム」は由としましょうか。それにしても、しばらく寝不足が続きます。
手(グー)

さて冒頭クイズの解答です。なんと「やむを得ぬ情事により出版が遅れたことをお詫び致します」となっていたのです。余裕のないスケジュールで仕事をしていると、あちこちでつまらないミスをします。その修正に追われていると、ますます時間が足りなくなる悪循環です。オヤジ自身、「どうしてこんなに時間が足りないんだ」と、ため息の出る毎日です。お互いに仕事は3日もためないようにしたいものです。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月15日

四方夏己のIT講座―クラウドについてB「生き残るには根拠がある・空中戦その2」

image[3].jpg
 四方さんの寄稿です。前回の5月28日付けでは、「雲(クラウド)という言葉には、かなり曖昧な響きがある。雲にロマンを追い求めるむきにはそれで良いが、雲を利用する者にとってこの曖昧さは危険である。まず変化する雲の形を読むこと。これが空中戦を生き抜いた強者の教えである」とまとめています。

雲の形を読んだあとはいよいよ空中戦に入るわけだが、空中戦の前提となるのが「全体を一瞬で把握する」能力だといえる。全体を一瞬で把握するとは、眼前の状況をグラフィックにそのまま眼に焼き付けるということだ。戦闘機パイロットの適性検査でも、ある絵を瞬間的に見せ、後からその絵に描かれた内容を問うという検査があったらしい。見るのはほんの一瞬だけなので、普通の人は印象に残った事柄だけを覚えている。しかし「絵として全体を脳裏に焼き付けておけば、細かい内容はあとからいくらでも思い出せる」というのが、かつての空の勇者の言である。戦闘に入る前の敵味方の状況を瞬時に把握できなくては、正確な判断は下せない。運を天に任せているようでは、命がいくつあっても足りない。

 この「全体を一瞬で把握する」能力は、先天的な要素が大きいが、訓練によってさらなる向上が可能だ。航空兵達もこの能力を高めるための訓練を日々怠らなかったとのことで、生き残るために必要な能力を常に鍛えることが彼等の日常であった。食うか食われるかの熾烈な銃撃戦の中においては、全体の状況など考えている余裕などないようにも思うが、ところがさにあらず、頭の片隅に全体像があるかないかで戦況は大きく変わる。あまり語られることはないが、全体像の把握が苦手なパイロットは同士討ちも少なくなかったらしい。

 さて雲や風の状況を判断し、敵味方の編隊の全体状況を瞬時に把握して空中戦に入った後は、パイロットの腕と運に頼るしかないが、唯一忘れてはならない基本中の基本が「攻撃する前に必ず後ろを確認する」ということだ。空中戦で最も恐れるべきは後方からの攻撃だが、前方の敵に集中するあまり、人はややもすると後方がおろそかになる。実際の空中戦で撃ち落とされるのは、ほとんど背後からの攻撃であり、バックミラーなど役に立たない戦闘機では、前方を見る前には必ず後ろを見る習慣を徹底して身につけなければならない。

 「まず後ろを見て、左右を確認してから、前を見る」ことが大切で、その逆ではあり得ない。空中戦における当時の戦闘機の速度を1秒間に約100bとして、お互いに向かい合う場合には双方の速度が加算されるので200bの距離が1秒でゼロになる。後ろを確認してから前を向くまで1秒かかるとして、前方の敵との距離が200bの距離になってから後ろを振り返っていては間に合わない。少なくとも400bの地点では後ろを確認していないと対処できない。

 説明されてみれば極めて当然のように聞こえるが、これは習慣として徹底的に身に沁み込ませてはじめて緊急時に実践できるという。生死が隣り合わせた極度の緊張の中では、頭で学んだことなどすべて忘れる。その忘れた時が敵にとっては絶好のチャンスとなり、歴戦のパイロットは敵が興奮のあまり後方確認を怠った瞬間を狙うという。運不運はあるものの、撃ち落とされるパイロットの殆どがやられるべくしてやられている、というのが空の勇者の述懐である。(四方夏己)

わーい(嬉しい顔)

《小噺2話》
パトカーの警官「20キロもオーバーです。はい、免許証出して」
若者の運転手「ちょっと、勘弁してくださいよ。スピード違反の車なんていっぱいいるのに、どうして俺だけ捕まるんですか?不公平じゃないですか。ほら、今だってスピード違反している車が、たくさん走っていますよ」
警官「あのねえ兄さん、釣りをする人が川にいる全部の魚を釣ろうとしていると思いますか?運の悪い魚が少々釣れれば、それで十分なんです」

管制官「こちら管制部より。××便、××便、現在のそちらの高さと位置を報告せよ」
ボケた機長「こちら××便。現在、高さ約1b75a、位置は機長席です。どうぞ」
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月14日

賃金コストなど急変する中国の生産現場

sha18[1].jpgsha14[1].jpg
 万博で賑わう上海など沿岸部では、労働コストの急騰が深刻


 低賃金労働者によって支えられてきた「中国式生産」が、急速に変わりつつあります。電子機器や自動車の製造現場での賃上げが異常な形で進んでいる一方で、繊維・縫製工場では人手不足が顕在化しています。中国政府は2011年から始まる次の5カ年計画で、多発する労働争議対策も加味して、労働者の賃金を現行の2倍に引き上げる「所得倍増計画」を盛り込む計画です。これが実現すれば賃上げは一段と進み、また人民元高も避けることができません。低コスト大量生産という「中国式生産」は、いま大きな曲がり角に差し掛かっているといえます。
ふらふら

中国の電子機器製造現場での異常な賃上げの発端となったのが、広東省深セン(「土」篇に「川」)市にある富士康科技集団(フォックスコン)での連続飛び降り自殺事件です。同社は世界最大のEMS(Electronics Manufacturing Serviceの略で電子機器の受託製造サービス)企業である台湾の鴻海(ホンハイ)精密会社の中国子会社で、話題の米アップル社製「@Pad」などを一手に引き受けているのを始め、ソニーやデルなど世界中の大手企業の電子機器を生産しています。今年度の売上高が7兆円を超すホンハイ・グループの主力拠点です。合計45万人が働くその巨大工場群で、今年に入ってから5月末までに13人の従業員が宿舎などで飛び降り自殺を試み、うちすでに10人が死亡しています。これが中国メディアで連日、大きく報道されたのです。

ホンハイのオーナー郭台銘会長が現地に駆けつけ、「当社は血汗工場(劣悪な労働環境の工場)ではない。規模が大きいためだ」とメディアに弁明しましたが、その後も自殺の連鎖反応は止まっていません。中国や欧米のメディアは自殺の原因を同社の過酷な労働環境と指摘しますが、フォックスコンは福利厚生施設などでは広東省ではトップクラスです。ただ、私語厳禁など軍隊式管理も有名で、それが精神的ストレスになったとの見方があります。

欧米企業は製造委託先の労働環境や法令順守には極めて厳しく、アップルなども調査に入っているだけに、ホンハイは賃上げなどによる労働条件の改善に矢継ぎ早に取り組んでいます。具体的には、5月27日に中国の現場従業員の基本給を20%引き上げる方針を表明、6月1日に賃上げ幅を30%以上に拡大したと公表、さらに1週間後には10月1日から大部分の従業員の基本給を67%引き上げると発表しました。同時に残業時間を1日最大3時間に短縮するとしています。当然賃上げによるコスト上昇は生産受託料に転嫁せざるを得ません。

このような賃上げなどを含む労使紛争は、フォックスコンだけではありません。ホンダは、同じく広東省にある2つの自動車工場の操業を一時的に停止しました。中国にある子会社の部品工場で、賃上げを求めて従業員がストライキに入ったためで、部品不足で完成車工場が稼動できなくなったためです。ホンダは賃金を2割引き上げると提案しましたが、通常稼動までにはかなり難航しました。さらに北京の韓国系自動車部品メーカーや広東省にある台湾系の携帯電話部品メーカーなど、それぞれ賃上げを求めたストライキが起こっています。このような中国での労働争議は、2009年には6万件と、06年の2倍に増えています。中国へ委託比率を高めてきた日本の電機メーカーなどは、対岸の火事ではないと深刻に受け止めています。

争議多発の背景には、沿岸部などの豊かな地域に出稼ぎに来る労働者の気質変化もあります。従来は収入が増える残業を喜んでいましたが、最近は敬遠する労働者が増え、賃金だけでは労働者のモチベーションを引き出しにくくなっています。政府の相次ぐ景気刺激策で内陸部が成長し、沿岸部に出稼ぎに行かなくても故郷の近隣で職を探すことが容易になったことも要因です。沿海部への出稼ぎは、一家の生計を支える意味合いは薄まり、むしろ都市生活への憧れなどが選択の優先順位にされつつあります。この影響をモロに受けているのが、電子機器や自動車などに比べ相対的に賃金が低く単純作業の多い縫製など繊維産業です。かといってデフレの象徴とされるアパレル分野では大幅な賃上げはできず、結局人手不足と賃上げのダブルパンチに泣かされているのです。

労働争議多発の根底には、中国経済の改革開放や一人っ子政策のもとで以前よりは豊かに育った世代が労働市場の中心になり始めたことがあります。勤労意欲を含め労働への価値観が変わりつつあるのです。2008年に解雇の条件を厳しくする労働法が改正されたのも影響しています。このような労働争議多発を受けた賃上げの動きを、政治的に後押しするのが冒頭に紹介した政府の「所得倍増」計画です。中国の08年の年間平均賃金は2万9229元(約39万円)とされており、この平均賃金を「毎年15%以上のペースで増やせば5年後で2倍になる」という所得倍増計画です。日本でも1960年代に池田内閣が掲げて日本の高度成長をリードしましたが、これを中国政府としては意識しているそうです。

そしてこのような賃金コストのアップを、さらに後押しするのが人民元の切り上げであることは衆目が一致するところです。少なくとも数年先に切り上げが避けられないことは、中国の企業自体が認識し、すでにその対策に乗り出しているところも少なくありません。日本が1ドル=360円時代からほぼ4分の1の90〜100円に移行するには25年の月日がありました。しかし発展スピードが速い中国ですから、場合によっては日本より5倍の速さで元高が進む可能性があります。先日も日本のあるアパレルと話しました。「ニットのセーターを中国で作るとして、現在1枚当たりに占める人件費は約180円。それが元の切り上げ要因だけでも5年後には4倍の720円になる可能性も。相次ぐ賃金アップ分などを勘案すると、到底中国で生産はできない」という結論に達しました。
飛行機

ただ中国は生産拠点ばかりではなく、販売拠点としての地位が一段と高まっており、日本企業にとって引き続き成長のためのけん引役であることは間違いのないところです。中国の変化を常にウオッチし、事業の安定に向けて細心の注意で取り組むことが肝要かと考えます。今週は水曜日から1週間ほど、上海、南京などで勉強してくる予定です。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月13日

人間・王貞治が語る「国籍」「長嶋茂雄」を読んで思うこと

250px-WBC2006_Sadaharu_Oh[1].jpg
2006年WBCで世界の頂点に立つ

 王貞治、日本で初めて国民栄誉賞を受賞した「世界のホームラン王」です。さしもの王さんも、この5月に古希を迎えました。一昨年の秋にユニホームを脱いで、今は福岡ソフトバンクの取締役会長などいろんな要職についており、東奔西走の毎日だそうです。その王さんのインタビューがある月刊誌に載っていました。「世界の王」を紹介した記事や映像は何度も見ましたが、「人間・王」の紹介はあまり目にしたことはありません。とりわけ以前から気になっていた国籍について、そして長嶋茂雄との関係はどうだったのか、この2点について王さんは、あっけらかんと語っていました。
野球

 王さんの父親は中国の浙江省にある貧しい農村で生まれ、昭和の早い時期に来日して東京墨田区で中華料理店を営んでいました。のちに父親は、長男には医者になれといい、次男の王さんには電気技師になれと説いていたそうです。つまり生まれた村には医者もいなければ、電気も通っていなかったからです。長男の兄は親の願望通り医者になりましたが、弟はプロ野球選手でした。母親は富山県出身で、東京へ奉公にきて中国人の父親と世帯を持ちます。苦労はあってもさばけた性格で、昔から酒を飲みタバコも吸っていたそうです。酒などそれほど飲まない父親がかなり前に他界したのに対し、父親と同年生まれの母親は、現在109歳の超高齢で元気にお暮らしとのことです。
 
 父親の教育や環境に恵まれて育ったことが、あの柔和な人間・王の源泉となっているようです。中国などから来日した人の中には、ふたとおりの生き方があります。敵対的に生きる人に対し、父親は日本に生かしてもらっているのだから、日本人とは仲良くやるとの考えに基づいて「温和というか、トラブルを起こさないようにしながら生きるというラインで育ってきた」と王さんは語ります。恵まれたという点では、たとえば1945年の東京大空襲で行方不明者を加え10万人以上の犠牲者が出た中、王さんの家は焼かれましたが両親と子供4人の家族6人はだれひとり犠牲になっていません。また父親の中華料理店は安くて旨いとの評判で、戦前戦後一度もひもじい思いをしたことはなかったとしています。

 戦前は母親の日本籍でしたが戦後、母親と子供4人は台湾籍を取得します。その国籍問題に絡む事件は、王さんが早稲田実業高校2年生の秋に起きました。春のセンバツで優勝投手となったものの、夏は準々決勝で苦杯をなめました。その雪辱を秋の静岡国体ではらそうと思っていましたが、チームは出場できても「出場者は日本人に限られる」との国体基準で台湾国籍の王さんは資格がありません。そのとき、1957年9月4日の読売新聞は「王選手は出られないと聞いて、グローブをグランドにたたきつけた」と報じています。また40歳時に綴った自著の『回想』でも、「今までの40年の人生で、私が一番傷ついたのは、この時だ」と記していました。

ところが今回のインタビューでは、新聞記事も『回想』文も完全に本人は否定しています。「甲子園に出られないならともかく、国体ですからぜーんぜんショックではなかった。チームメートから誘われて、国体の入場式にはみんなに囲まれて行進したぐらいですから。『回想』にも確かにそう書いていますが、(一番傷ついたなど)そういう風には思わなかった」と振り返ります。本人もある程度風化しているかもしれないとし、また高校生時の生身の感情は今では分かるよしもありません。ただこの新聞記事や『回想』に記された一文の影響は大きく、その後メディアも周囲の日本人も、王さんの国籍に触れることを避け、タブー視するようになるのです。その王さんに、756号の世界新記録となるホームランを打った20年後の1977年9月5日、まさか日本初の国民栄誉賞が贈られるとは。本人はもちろん、誰も想像できなかったと思います。また2006年3月には日の丸を胸に、日本代表監督となってWBCで世界の頂点に立ったのです。

もっとも国籍問題に関しては、これまで語られなかったことが明らかにされています。戦時中、父親がスパイ容疑で地元警察署に連行され、指の間に鉛筆を挟まれて強くねじられるなどの拷問も受けたそうです。無論、スパイなど根も葉もないことですが、そのせいで父親は帰化を果たせなかったのです。また本人もプロ選手時代、米国ベロビーチのキャンプに際して、台湾領事館でパスポートを出してもらったり、1963年に長嶋、稲尾、野村と4人で欧州旅行した際に、当時親中国の旗幟を鮮明にした英国へはビザが下りず、結局ひとりだけパリのホテルにとどまったなどの経験を持ちます。

それでも中国との国交開始で台湾と断絶した際も、日本への帰化は考えなかったそうです。「国体の話じゃないけれど、僕が中国人だということは世間に知られている」「(国交断絶で)仲間はみんな日本人になりましたが、パスポートがあればどこへもいける時代、帰化はまったく考えなかった」「あまり傷つくタイプではない。本人はそうは思っていないが、他人から見るとなんか楽天的なのでしょう」などと笑いながら、あっけらかんと語ります。インタビュアーはこの雑誌で私情を挟んではいませんが、やはりそこには王さんの中国人としてのプライド、かつての屈辱があるように思えてなりません。監督時代を含め「王は頑固だ」といわれ続けましたが、確かにその頑固さも培われたのでしょうか。

さてもうひとつ、長嶋との関係です。王さんの50年に及ぶプロ野球人生で避けて通れない問題です。これに関して、王さんは「長嶋さんとは、一対一で酒を酌み交わしたことは一度もない」「長嶋さんとは学年で5年違い、ずいぶん上の感じ」「相手は大学を出てプロ入りしたのに対し、自分は高卒で巨人入り。打者としても左打者と右打者でタイプが異なる」「だから共通点がない」「でも揉め事は一切ない。議論したことさえ、一度もない」など、淡々と語っています。 

さらに「長嶋さんは入団一年目からのスーパースター。僕は新人のころから『王、王、三振王』と呼ばれ、スターの仲間入りをしたのは一本足打法に転じた4年目から」「日本の野球界を一人で背負って立つスター街道まっしぐらの人に対し、コツコツ、コツコツの技術屋」「もちろん自分の技術には自負を持っていたが、長嶋さんに勝とうだとか、僕のほうが上だとか、そういう考えは一切なかった。またあの人は、そういうことを相手に思わせない人です」。まさに達観の境地で、優れた選球眼よろしく、常に客観的に見ています。

最後のくだりが面白いですね。両者とも晩節は夫人に先立たれ、本人は病に倒れます。王さんは胃を全摘手術し、胆嚢の摘出手術も受けています。長嶋も脳梗塞でした。「僕の場合は暴飲暴食で胃がんとなったが、自分でまいた種。しかし長嶋さんは、酒をあまり飲まず、普段から体にはずいぶん気をつけていた」「ああいう形で倒れたのは、日本人にとって大ショックだったでしょう。長嶋さんというのは、健康優良児です。要するに太陽みたいなもので」と、爆笑です。

ゴルフをやってもちゃんと歩いて回れるようになり、胃の手術から4年経ってだいぶ戻ってきたそうです。いま、「グローバルワールドチャンピオンシップ」という、クラブチームによる世界一決定戦の実現に向け、仕掛け人の一人になっています。「世界の王」が、自らも苦しんだであろう国境と国境の枠から解き放たれて、正真正銘の「世界の王」になりつつあると、インタビュアーは締めくくっています。
ゴルフ

今日はまた、ずいぶんな長文になりました。まあ日曜日だからいいでしょう。私も昨日、王さんのようにゴルフを歩いて回りました。暑かったです。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月12日

「大阪の橋今昔」F渡辺橋―渡辺津がその由来

BridgeOfNakanoshima[1].pngQPNSn.jpgnTg[.jpgn瓰].jpg
渡辺橋上から北の堂島方面(写真右)、東の堂島川(同下)をみる。明治21年に鉄橋となった。

四ツ橋筋を前回の肥後橋の北側で繋ぐ、つまり堂島川に架かって中之島と堂島を結ぶのが渡辺橋です。渡辺橋の名は鎌倉時代以前からいろんな文献にも記載されており、当時の橋は現在の橋とは異なる位置にあったとされますが、正確なその位置ははっきりしません。現在地に渡辺橋が最初に架けられたのは江戸時代とされており、堂島開発の一環として架けられた5つの橋(大江橋、渡辺橋、田蓑橋、堀江橋、船津橋)のうちのひとつです。上の橋図でも分かる通り、堂島川、土佐堀川には実に多くの橋が架かっているのです。

渡辺橋の名称は、古代大阪の渡辺津(わたなべのつ)からとされています。渡辺津は旧淀川河口近くまで広がる瀬戸内海沿岸で最大級の港湾で、現在の旧淀川にかかる天満橋から天神橋の間くらいが中心でした。北船場一帯が入江となりそこから上町台地の北西一帯まで街が栄えていたといわれますから、相当広い地域となります。
ところで渡辺津の中心、今の天満橋からほど近い旧八軒家浜に「小楠公義戦の碑」が建てられています。小楠公とは楠木正成の長男で正行のことです。1347年11月に南朝の武将として足利軍と対峙した際、敵の援軍として住吉に出張った山名軍を破って京都まで敗走させましたが、この合戦の時に渡辺橋でおぼれる多数の敵兵を救い、手当てをして衣服を与えて敵陣に送り返したという話が残っています。これが義戦と称えられ、またこのことに恩を感じて楠木勢として参戦した者が多かったと伝えられています。

現在地に移った渡辺橋は明治18年(1885)に洪水で流失し、3年後の同21年(1888)にイギリスから輸入された鉄橋に架け替えられました。さらに市電建設や都市計画で2度架け替えられました。現在の渡辺橋は地下鉄四つ橋線の建設と高潮対策で昭和41年(1966)に架けられたものです。もっとも今は、橋名よりも平成20年(2008)の10月に開通した京阪中之島線渡辺橋駅の方が有名です。とりわけ駅地下のグルメスポットは、多彩なエキナカショップがあって昼食時も夕方も若い人たちで賑わっています。

渡辺橋は、ただ通行するだけの橋になっているのです。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月11日

アジアの歌姫こと「トウ麗君」とは

tyuugokutaisou.jpg
中国の人々は毎朝、このような体操で一日をスタートします

「天安門事件」21年目に当たるこの6月4日に、台湾に住んでいるリーダーの一人が日本にある中国大使館に突入しようとして逮捕されました。天安門事件からもう21年にもなるわけですが、この事件を思う時、どういうわけかテレサ・テンのるんるんもしもあなたと 逢えずにいたら 私は何をしてたでしょうかるんるんという「時の流れに身を任せ」のメロディーが浮かぶのです。彼女が天安門事件の際に、香港で行われた民主化デモ弾圧に対する抗議集会に出で歌声を披露するなど、中国の民主化を求める姿勢を打ち出していたことを本で読んだり、テレビで見ていたからだと思います。
カラオケ

「アジアの歌姫」として一世を風靡したテレサ・テンが亡くなって、今年5月で15年目を迎えました。彼女の歌は、地元台湾はもちろんのこと、香港、ベトナム、タイなど東アジア中心に絶大な人気を呼んでいましたが、じつは一番よく聞かれていたのは中国本土だったのです。当時中国で有名な話があります。「昼は老トウの言うことを聞き、夜は小トウを聴く」(トウは左が「登」、右が「おおざと」)。老トウとはいうまでもなく中国の改革開放路線の指導者「トウ小平」であり、小トウとは「トウ麗君」、つまりテレサ・テンの本名です。中国政府が、台湾籍であって天安門などに抗議する彼女の歌をいくら禁止しても、中国の多くの青年たちが、海賊版のカセットテープなどでひそかに「聴き」継いでいたのです。

没後15周年にあたっては、墓がある台北市郊外での追悼イベントなどが開かれたそうです。その一環で「テレサ・テン没後15周年記念シンポジウム」が開催され、以前にもこのブログで紹介したことがある大阪生まれで現在中国音楽界の超力者の谷建芬氏や北京師範大学教授らが、当時禁止されていたテレサ・テンの歌が多くの中国人の間でひそかに受け継がれてきたことなどが告白されたそうです。

彼女自身も、中国本土でのコンサート開催を熱望していたそうで、いまテレサ・テンの夢が叶わなかったような残念なことが今後あってはならないとして、本土と台湾双方の芸能活動改善の取り組みが進んでいます。彼女が本土コンサートを切望したのは、なによりもルーツによるものです。彼女は中国・河北省出身の父と同山東省の母を持つ「外省人」として台湾で生まれ育ちました。小さいころから貧しい家計を支えるために歌謡コンクールなどの賞を総なめにして瞬く間に脚光を浴び、台湾で歌手デビュー。その後香港、そして日本などで大活躍しました。日本で「空港」「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」など女性のせつない心を歌っていてはいても、どこか心の底には故郷・中国本土への哀愁があったはずです。それだけにまた、政治問題にも強い関心を持たざるを得なかったのでしょう。
飛行機

ここ連日、台湾のメディアは「台湾娘が日本の内閣に入閣!」とか「台湾の誇り、頑張って」など、台湾人の貿易商を父に持つ蓮肪大臣の誕生を大きく取り上げているそうです。蓮肪行政刷相、現在42歳。トウ麗君が、療養のため滞在中のタイ・チェンマイ市内のホテルで気管支ぜんそくの発作を発症して帰らぬ人となった1995年5月、享年42歳でした。るんるん何も知らずにあなたは言ったわ たまには一人の旅もいいよるんるんと何故か「空港」を口ずさむのです。
posted by ウツボおやじ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記