2010年04月30日

大阪・本町通りにある「北京ダック」の店

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専用窯の前でじっくり焼き上げる西安市出身の花形料理人(写真右)、焼きあがったダックを目の前で削ぎ切ってくれる

 衣、食、住といわれますが、人間にとって一番大事でしかも厄介なのは「食」だと思います。「中国で和食なんて愚の骨頂。海外に行ったら、その国のものが一番美味しいはずだからその国のものしか食べない」という人もいますが、中国に行ってもたびたび和食の店に足が向かいます。もっとも日本人の料理人がいる店に限りますが。逆に「日本に来た中国人を中国料理店で接待するのは失礼だ」といわれますが、やはり彼らも中国料理が好きなのです。それも中国から来た料理人のいる店が。
手(パー)

 宴会やパーティなどを含め、大阪市内でよく知られた中国料理店は、天満橋の錦城閣、西区肥後橋の徐園、堺筋本町の会賓楼、心斎橋の大成閣などですが、日本滞在が浅い中国人は正直、自分の意志ではあまりこれらの店に行かないそうです。「10年以上も滞在する人は結構味に慣れて構わないかも知れないが、どうしても日本人味の中国料理は口に合わないからだ」と言います。そんな彼らが紹介するのが4年ほど前に、本町通りにオープンした北京ダック専門店の「北京老舗」で、料理人すべてが中国の本店から来ています。

 むかし北京の店にも行ったことがありますが、北京ダックを含め他の料理も本場の中国料理となんら遜色はありません。ごく一部の人を除きスタッフもほとんどが中国人で、西安出身の女性支配人が以前、「大阪出店に際しては、どこのビルも渋って貸してくれなく苦労をした」と話していましたが、今はテレビや雑誌でも取り上げられるなどで超人気。夜は予約を入れないとほぼ無理で、先日も長安の農家をイメージした130ほどの席は完全に埋まっていました。

 さて肝心の北京ダックですが、昔ながらの作り方で40工程かけて写真のように果物の木を使った専用炉の中でじっくりと焼き上げます。どうも北京ダックは「皮を食べる料理。肉は食べられない」とするのは日本だけの独特の誤解で、実際には皮とともに身の部分も美味しく、またコース料理で肉や骨など各部位も利用されています。たとえば骨のがらは「鴨湯」(ヤータン)と呼ばれるスープに、また鴨掌・ヤージャンと呼ばれる水かきはゆでて辛子和えにするなどアヒルの全ての部位を楽しめます。

 この店もバリパリに焼いたアヒルの皮とある程度の身を削ぎ切りにし、小麦粉を焼いて作った「薄餅」(バオビン)という皮に、甜麺醤に浸けた白ネギとキュウリの薬味を共に包んで食べます。ちなみに花形ともいえるアヒルを焼いている料理人も西安の出身だそうで、中国の北京ダック料理選手権で第2位になった人の一番弟子だと、胸を張って以前話していたのを覚えています。気仙沼産のフカヒレの姿煮なども結構いけます。昼はマーボー豆腐が人気です。

 特別、支配人から宣伝料を貰ってもいないのに色々褒めましたが、欠点はひとつ。まともな白酒(パイチュウ)がないことです。先日も散々粘って、奥のほうからやっと一本出てきたのも53度ほどでサイダーのような容器に入った安物。飲めたものではありません(とはいえ空になるまで飲みました)。五粮液とはいかないまでも、せめて剣南春や郎酒、茅台酒などは用意しておいてほしいのです。
わーい(嬉しい顔)

 しかし最近は、中国人でも若い人は白酒を飲まなくなりましたねえ。後で足にきても、60度前後のものを一気に飲みきる爽快感は中国料理ならではの醍醐味があります。そうは言っても、単なる飲んべいかもしれませんが…。
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2010年04月29日

イチョウ、銀杏、公孫樹

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御堂筋のイチョウ(写真右)と靱公園の若葉(同左)

大阪御堂筋には、淀屋橋南詰から難波までの間に約800本のイチョウ並木があります。雨上がりの朝、並木の緑はより色鮮やかに目を楽しませてくれます。イチョウは秋の黄葉もいいですが、この季節の緑もいいですねえ。そういえば靱公園の木々も若葉が薫り始めています。もうすぐ5月です。
かわいい

5月の風がそよぎ、若葉が薫るこの季節を、どうもすっきりして迎えられないのが民主党の幹部連。どちらがナンバー1でどちらが2かは知らないが、首相と党幹事長の双方が政治とカネの問題を抱える中、東京地検特捜部の不起訴処分でホッとしていた幹事長ですが、今度は検察審議会から審査員11人の全員一致で「起訴相当」と議決されました。これによって検察当局は原則3カ月以内に結論を出す必要があり、再捜査後たとえ不起訴となっても、検察審査会があらためて8人以上の賛成で起訴決議をすると、今度は裁判所指定の弁護士が検察官役となり、幹事長を強制的に起訴します。

つまり幹事長は、九分九厘起訴を免れなくなったといえるでしょう。政治家にとっては、有罪か無罪かではなく、起訴されること自体が政治生命を失うに相当するといわれています。ところが同じ検察審査会で、実母からの資金提供を知らなかったとの説明に強い疑問を投げかけられたものの「起訴相当」などの議決だけは免れた首相、さっそく「このまま頑張っていただきたい」と幹事長の続投を支持する始末です。いくら頑張っても、進退論はかまびすしくなるでしょうね。

もたもたする普天間や政治とカネの問題などと比べ、国会はこんなにもスピーディに動けるかと思ったのが殺人など重大・凶悪犯罪の公訴時効廃止です。異例の即日施行には「やれやれ、あと6時間半で時効か」と思っていた、15年前に倉敷の老夫婦を殺害した真犯人はびっくりしたでしょう。

これによって、迷宮事件を毎回時効直前に解決する「おみやさん」などのテレビ番組や名探偵、名刑事小説は成り立たなくなるのでしょうか。よく時効が成立し「ざまあみろ」とほくそ笑む真犯人に、「お前は海外に半年ほどいたではないか。時効は日本国内にいた日時でカウントされるのだぞ」といって、ガチャリと手錠をはめるドラマなどもう見られないはずです。

冗談はともかく、時効に悔しい思いをして泣かされてきた被害者家族の無念を世論が後押ししたのでしょう。現在未解決事件で時効が成立していないものは370件あり、これが当然時効廃止の対象となります。ただ時効廃止即難事件解決にはつながりません。一般的に、発生から3年たつと容疑者の逮捕・起訴は難しくなるとされています。そういった意味でも、冤罪(えんざい)を招くことだけは避けていただきたいと願います。
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2010年04月28日

津和野の美しさとしたたかさ

karou.JPGDSC00334.JPG「鯉、しょうぶ、ナメコ壁」の三点セット(写真右)、しっかりした家老さんがたびたび藩を救う−進物を届けて藩を救った多胡家老の屋敷跡(写真左)

 こういっては失礼ですが、「津和野」が島根県ではなく山口県にあると思っている人は意外と多いと思います。観光は山口や萩とのセットが一般的で、煙をはく列車の「SLやまぐち号」の終着駅は津和野駅。また外人の姿が目立つとはいっても、その多くは米軍岩国の家族です。しかし島根県鹿足郡津和野町です。
電車

 現在の町の人口は9,000人にも届きませんが、山陰の小京都を標榜した「鯉、しょうぶ、ナメコ壁」効果もあって、土日は観光客でいっぱいです。森鴎外や江戸末期から明治初期の啓蒙家・教育家の西周(にし・あまね)、さらには絵本作家の安野光雄さんなどもこの地で誕生しています。「フーテンの寅」では、マドンナの吉永小百合とその町並みが強く印象に残っています。

 ただ思うのは、こういったコンセプトとは裏腹に歴史的なしたたかさを持つのもこの地の特徴といえます。津和野藩は大阪城落城の際に火中から千姫を救い出したものの、その火傷の醜さから千姫に嫌われて嫁さんにもらい損ねた例の坂崎出羽守が最初でしたが、出羽守の自害改易後は亀井家に引き継がれて明治まで外様大名として生き残ります。

したたかさを発揮したのはこの亀井藩で、4万3千石という小藩にもかかわらず、石州和紙の生産などで実質は15万石くらい豊かさだったそうです。それでいてキリシタンへの弾圧は諸大名の中では一番過酷でその拷問は陰惨を極めたとされ、いまもその暗黒面は津和野教会に残されています。

この地の銘菓「源氏巻」誕生秘話こそ、津和野らしさでしょうか。元禄の世、浅野内匠守の前に勅使接待役を命ぜられた藩主は、内匠守同様に指導を受けた吉良上野介のいじめに怒り上野介を切ろうとします。しかしお家の一大事とばかりに、しっかりした家老が吉良家に進物を届けて事なきを得たそうで、その時の進物、「小判を包んだ形のお菓子」が源氏巻の原型だとされています。事実関係のほどはどうか知りませんが、浅野家の断絶に対し明治まで隆々と続いた亀井家。家老さんの功績は、今も観光スポットとしてしっかり生きています。

全国に4万社以上ある「お稲荷さん」の中で、ここだけは大願成就を渇望して「稲成神社」にしているとか、最初は戦時の食糧として飼われた鯉が、今は丸々太って観光の目玉になっているとか、そのしたたかさは随所に見られます。とはいえ、まあここは清流と自然に育まれた「津わぶきの野の里」の印象で収めておきます。

ふらふら昨夜飲みすぎて、ブログを書き忘れていました。トホホ
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2010年04月27日

「山頭火」と「みすゞ」を生んだ地、山口

sanntouka.jpg新山口駅表玄関にある山頭火像の前に並ぶ3人の団塊親父 

「まったく雲がない笠をぬぎ」―“昭和の芭蕉”と言われた種田山頭火の句です。駅名だけが小郡駅から変わって新山口駅となった、その表玄関前に山頭火は立っています。防府に生まれたことは知っていますが、さすらい旅の俳人の像がどうしてこの場所にと思って調べてみたら、50歳になった昭和7年から6年間ほど、駅からほど近い現小郡市内に「其中庵」(ごちゅうあん)という庵を結び住んでいたわけですねえ。山頭火はここで「其中日記」などを書き、生涯で最も充実した日々を送っていたそうです。冒頭の句は昭和5年ころ、晴天の下で網代笠をとってひと休みしていた時に詠みました。
晴れ

山口県では、岩国の黒松、五橋、萩の長門峡、宇部の男山などと共に、山頭火の名を冠した清酒があります。その大吟醸には「月が酒が からだいっぱいの よろこび」と書かれています。ちなみに山頭火の像の前に立つのは今回、山口で高校のクラス同窓会旅行をした仲間の内の2人で、背の高いU君は地方公務員を30余年務め上げましたがオヤジ同様に根っからの酒好き。旅行中、朝から晩まで大吟醸山頭火を主にお酒を友としていました。性格もどことなく山頭火タイプだけに、大阪に帰る時に記念で並んでもらいました。またもう一人のI君は、長年教鞭をとった後、その語学力を請われて中国・四川省は成都の大学で講師を数年経験した努力家です。その経歴を生かし、日中の語学辞典を編纂中の矢先、再び要請されて9月の新学期から成都に講師として行くそうです。

そういえば山頭火に「歩かないとき淋しい 飲まないとき淋しい つくらないとき淋しい」という句もあります。3人ともまだまだ、そのような人生を送りそうです。

長門市仙崎といえば、歴史的には捕鯨、第二次大戦後の引き揚げ港、観光では日本海上のアルプスと形容される青海島、そして産業では蒲鉾などが有名ですが、忘れてならないのは童謡詩人の金子みすゞ生誕の地でしょう。いうまでもなく明治末期から大正にかけて活躍した童謡詩人で、27歳と若い生涯を終えるまでに512編の詩を残しています。鯨への憧憬は「鯨法会は春のくれ、海に飛魚とれるころ…」という鯨法会(くじらほうえ)で詠まれています。

また昭和60年に東京大学の入試問題に出て、みすゞが注目されるきっかけとなった大漁は鰯をモチーフとしています。
「海やけ小やけだ大漁だ 大ばいわしの大漁だ。 浜はまつりのようだけど 海の中では何万の いわしのとむらいするだろう」

明治維新の立役者や総理大臣を輩出する国として有名な山口県ですが、ある面では、孤独の俳人と薄倖の童謡詩人を生んだ地のイメージが好きです。
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2010年04月26日

卒業後40余年経っても「高校3年生」

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津和野の「鷺舞」モニュメントの前で−あらためてみると「あ〜あ・・・」

「あ〜あ〜あ、あ、あ〜高校三年生、ぼくら離れ離れになろうとも、クラス仲間はいつま〜で〜も〜」。こんな歌が大ヒットした今から40数年前に、岡山県のとある田舎町の高校を卒業したメンバーによるクラス同窓会が24、25の両日開かれました。もともとこのクラスの同窓会は「サッカーのワールドカップの年に」ということで4年に一度開いていましたが、「もう若くはない。4年など悠長に考えていたら、ついには会えなくなってしまう可能性も」との意見を重視し、2年に一度のサイクルで開くこととなりました。2年前は県内北部の温泉郷1泊2日の旅でしたが、今回は同じ1泊2日でも一部島根を含む山口県への旅でした。
バス

 このクラスは男21人、女28人の合計49人と大世帯でしたが、このうち男性1人と女性2人の3人がすでに鬼籍に入り、また音信不通で所在がつかめない人が男女各1人います。そういった中で今回参加したのは、男性が19人の対象者に対し13人と実に68%の出席率です。対して女性は25人の対象者のうち7人でしたが、それでも3割近い出席率でした。卒業後45年近くたっての45%という数字は相当なものかと考えられます。

 ごく一部を除き大半が第一線を退いているとはいえ、のんびりした旅行スケジュールでした。初日朝9時に、チャーターしたバスが倉敷駅前をスタートして5ヵ所の駅で次々と出席者を乗せて行き、一路山陽自動車道に乗ってJRの新山口駅で最後の大阪組を拾うわけです。全員そろったところで、秋吉台や北長門の仙崎、青海島を観光して宿泊地の西長戸のホテルに着いて宴会となります。

 逆に2日目はゆっくりホテルを出て、目と鼻の先の角島を経て、萩、さらには島根の津和野に足を伸ばした後は初日と反対コースです。新山口で新幹線組を降ろし、山陽自動車道で笠岡インターチェンジまで走り、後は地道を通って5ヵ所の駅を経由し、最終の倉敷駅前は午後8時半ごろだったと聞いています。

 このように2日間とも、観光よりバスの中やホテルでのダベリングが主テーマで、これまで歩いてきた道を振り返りつつ現状を報告し、さらには今後への期待や不安をそれぞれ分かち合うのです。やはり共通するのは健康のことであり、また家族のことです。息子や娘の婚期遅れも共通する悩みでした。今回学校を卒業してから初めて出席したという1人を除き、ほとんどが2回以上は同窓会に参加しているために事情はそれぞれ理解しているはずですが、それでも繰り返し、繰り返し確認しあうから不思議なものです。隣に寝たおっさんのすごいいびきで、一睡もできなかったという恨みは若干残りますが・・・。

 当然、次回のことに話題がいきました。当初2年後には中国旅行の話が持ち上がり、念のために参加希望者を募ってみると10人強が手を上げました。しかし結論は、「2年先はどうなるか分からない。思い切って1年後にしよう。それも女性を中心に、今回参加できなかった人が出席しやすいように県内で、昼間1日でやろう」という結論となりました。4年ごとが2年ごとに、さらに毎年と、年齢に比例して開催の間隔は短くなってきました。しかしその辺の結束がまた、長続きし、しかも出席率の高さにつながっているといってもいいでしょうか。
次回からちょっとだけ、山口などの魅力に触れます。
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2010年04月25日

箸休め―日本海と響灘

DSC00294.JPG 山口旅行2日目、朝5時半に露天風呂に入りました。眼下には左手に響灘、右手に日本海が広がり、その境の潮目がくっきりと浮かびます。耳をすますと、聞こえてくるのは潮騒、小鳥の鳴き声、そして漁から返る焼玉エンジンの音だけ。まさに至福のひと時でした。
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確実に春は深まる、されど政治の世界は寒風

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東京は品川区五反田、支社がある目黒川沿いの桜は今が満開です(写真)。週末の東京出張はまだ寒く、コート姿を随分と見かけました。それでも確実に春の深まりを感じます。

 しかし、いっこうに春が来ないのは政治の世界で、与党は相変わらず政治と金、普天間、高速道路料金などで蛇行の日々を繰り返しつつ、一路参議院選挙での陣取り合戦に邁進しています。支持率低下に歯止めをとばかりに、「事業仕分け」の第二幕を演出していますが、もうひとつその効果に疑問符がついており、大向こうをうならせるにはほど遠い舞台となっています。ならばと、桂きん枝といった何のとりえもない落語家かタレントかわからない人を参議院選の候補者に擁立するそうですが、国民を甘く見た反動は必ずや夏の選挙劇に現れてくるはずです。

ただ野党の主軸も、寒風に吹かれて古木からの落ち葉が止まりません。ある新聞の風刺漫画に、「寒い春−ここだけは豊作のようで」として、たちあがれ日本、日本創新党、大阪維新の会、新党改革等々の竹の子が描かれており、「このうちどれが竹に育つかねえ…」と皮肉ってありました。舛添新党とされる新党改革にいたっては、理念など何も一致せず、ただ数と政党助成金という金のために集まっただけといわれても反論できないはずです。

そういえば舛添要一氏のどことなく浮かない表情を見ていると、「新党マキゾエ」という揶揄もあながち間違ってはいないようです。これだけ続々と新党、ほくそ笑むのは自滅寸前の民主党だけ。連立の相手が次々と生まれてくるのですから、こんな美味しい話はありません。

東京である経営者にインタビューしました。「2年前にお会いしたとき、世界的に見てリーマンショックの直接的影響が一番少ないのは日本だけに、経済にもほとんど影響ないといっておられましたが、現実には日本の立ち直りが一番遅れています。なぜでしょうか」と質問すると、件のトップ氏「政治ですよ」とはき捨てました。

「店員さん、このおひな様変ですねえ。ひな壇だけで何もないじゃないの」
「お客様、これでいいんです、ひな壇だけで」
「どうして?」
「国会の解散びなですから」

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2010年04月24日

箸休めー長門のサンセット

TZbg.JPG 土曜、日曜と山口の方に旅に来ています。土曜日に泊まったのは、下関市豊北町つくの温泉海岸。日本海に臨む角島(つくのしま)の対面です。午後7時、サンセットの瞬間です。
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中国の少数民族「チャン族」の女性は皆さん芸術家

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中国の少数民族に「チャン族」という人たちがいます。4000〜5000年前の新石器時代からとされており、相当古い民族です。現存するのは30万人程度で、あの地震で大被害を遭った四川省アバ州、チベット族・チャン族自治区などに分散して棲んでいます。この辺りは風光明媚で、誰もが一度は行ってみたいという四姑娘山や九寨溝があります。
ハートたち(複数ハート)

チャン族の女性は小さい時から刺しゅうの技術を学んでおり、あらかじめ企画や試作をせずに自身の知恵や熟練した技術だけを頼りにして、5色の絹糸や綿糸を自由に使いこなして特色のある絵柄を気ままに刺しゅうするのです。絵柄の多くが日々の仕事や暮らしの中から生み出されており、花や草木、果物、獣、鳥、虫、魚、人物など実に多彩です。

彼女たちが生みだす刺しゅうは、単に美しいだけでなく縁起が良いものとして受け止められています。幸福な生活への憧れに満ちた図柄によるものです。きれいな野の花の群生、花に戯れる蝶、水中を泳ぐ魚等々が多くの人を引き付けます。

アイテムは民族服、スカート、ベルト、エプロン、靴や頭巾、さらには靴下にまで及びます。また刺しゅうにとどまらず、織物も使って艶やかさを演出しており、さらには長持ちするようステッチなどを工夫しています。芸術としてだけではなく、実用も兼ね備えているのが特徴です。

昨日付けで紹介した、中国のアパレル展示会に四川省からやってきて、実演していました。「1枚写真を」と得意のボディランゲージでお願いすると、にっこりとポーズをとってくれました。また主催者からは刺しゅう飾りのある手提げ袋(写真左)をいただきました。九寨溝にはまだ行っていません。一度は行きたいと思っています。
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2010年04月23日

大阪で中国のアパレル展示会

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CFFの会場受付(写真右)と、R&Rホテルで開いた歓迎会(同右)

20日から22日までの3日間、大阪で「第14回中国紡織成衣展」(チャイナファッションフェア・CFF)が開かれました。この展示会は最初大阪だけ年1回の開催でしたが、5年ほど前から春は大阪、秋には東京と毎年2回開かれており、中国の企業が日本で開く繊維・アパレル展示会では最大規模で、しかも一番レベルの高いものとして定評があります。中国の繊維企業にとっては、このCFFに出展することが一流企業として認められる試金石になるわけです。実はこの展示会に対し第1回からお手伝いしている関係で、主催する中国中紡集団という中国の大手商社には「老朋友」(ラオポンヨウ=昔からのお友達)が多く毎晩、日本酒や白酒で「乾杯、乾杯」でした。
イベント

今回の大阪展は出展希望社が多くて会場を広げた関係で、前回より85社増の288社が中国全土から出展しています。中国メーカーにとって日本市場は品質にうるさく、ロットも少なく、価格も厳しくなっていますが、欧米と比べ長年培ってきた信頼関係が一番大きいということでしょうか、日本は最大のお客様です。例えばリーマンショックで昨年の中国からの全世界への繊維輸出は前の年に比べ9.8%も減りましたが、日本向けだけは0.1%とわずかですが増えています。何しろ日本の衣料市場は、数量的に全需要の90%が輸入で、そのうち90%が中国から、つまり日常的に私たちが身に着けたり家庭内で使う繊維製品の80%以上がメイド・イン・チャイナなのです。

中国の繊維企業も、人件費や原材料費の高騰、人民元高、さらには量がまとまる欧米向けの輸出不振で頭を痛めています。それだけに第一番のお客様である日本市場を離すまいと、日本にデザイナーを派遣したり、日本にあった機能素材の開発に余念がありません。実は最初のころは、昼にはブースの中で弁当を食べたり、日本語がさっぱり話せなかったり、お客が行っても椅子に座ったままで対応するなど誠にお粗末で、どちらかといえば日本へ旅行できることが楽しみで出展していた感がありました。ところが、回を重ねるごとに長足の進歩を遂げ、製品の高度化はもとより、どこのブースでも日本語が話せる担当者を置くとともに、お客様が行くと立ち上がって「いらっしゃいませ」と流ちょうな日本語で応対します。まさに「継続は力なり」で、手塩に掛けて育てた子供が立派に成長したようで、嬉しくなります。

こうなると来場する日本のバイヤーの表情も変化し、単なる物見遊山から、ビジネスを本気で思うようになるから不思議です。入場者は初日と2日目で目標の35,000人を超え、最終的には5,000人超となるでしょう。何よりも会場内やブースでの滞留時間が長くなっており、それだけ商談が進んでいるということでしょう。今回は初めてTBSなどテレビ局が2局取材に訪れるなど、一般メディアも注目しています。何しろ大阪に700人近い中国人が訪れるのですからホテルや百貨店なども歓迎です。今秋9月1〜3日には、15回展が東京・池袋で開催される予定です。

ところで2日目の夜、中之島リーガロイヤルホテルで主催者に対しウエルカム・パーティを開きましたが、皆さんことのほか御満足で、一体全体何本のワインを飲んだことでしょうか。実は写真の左真ん中に座る訪日団の団長で中紡集団の王文徳副総裁に、日本側出席者の一人が「実はこの部屋のその席は、25年前に当時中国電子工業部長として来日した胡錦濤国家主席が座られた席ですよ」と説明。調子にのって「主席にあやかり、ぜひ総裁にご就任を」と言ってしまいました。ご本人は心地良いワインの酔いも手伝い、真っ赤に顔を染めるひと幕もありました。
新幹線

今日は朝から東京で、明日、明後日は山口です。毎日何をしていることやら…。



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2010年04月22日

「えっ、これが扇風機?」家電芸人も真っ青

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写真を見て、「扇風機」と答える人はほとんどいないと思います。あの家電芸人達でも最初はびっくりしたはずです。何しろ羽根がないのですから。
 しかし正真正銘の扇風機で、ダイソンが開発し昨年秋から発売されている『Air Multiplier』(エアマルチプライアー)という商品です。
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リングの中に周囲の空気を取り込み、それが加速されて15倍の風力が生み出される仕組みになっています。従来の扇風機のように高速回転する羽根がないため、断片的で不快な風ではなくスムーズで満遍無く風が送られると同社は説明しています。また羽根がないために安全で、小さな子供がいる家庭では喜ばれるはずです。もちろん羽根についた埃などを掃除するといった手入れも簡単になるはずです。

イギリスの小さな町にある同社は、例のサイクロン式掃除機を初めて開発・製造した会社として有名です。ジェームズ・ダイソンという発明家のオーナーは、こう言っています。
「いつも、あらゆる製品をバラバラに分解しては、『何故こうなるのか?』と自問自答しながら、モノの仕組みや構造に強い興味を持っていた。『そうなるように出来ているから』という類の答えに、私は決して納得することがありませんでした」。

 以前取材したカシオ計算機の樫尾彰常務が、新しい価値を生み出すには発想の転換が必要だとして、「最近はお客様の驚きが少なくなってきているようです。もっとお客様をびっくりさせる商品を生み出せるよう、常に新たな発想で開発に取り組み、新たなニーズを創造していかなければならない」と話しておられました。

 確かに最近びっくりした商品は、ipadや3Dテレビなど限られています。メーカーにとってはやはり、ジェームズ・ダイソンのように安易な納得、妥協はタブーなのでしょうね。もっともこのような発想はメーカーに限らず、新鮮な色柄やデザインが求められる繊維・アパレル分野やサービス産業におけるビジネス・モデルなどでも不可欠な要素といえるでしょう。

 日中はボツボツ暑くなってきました。この夏はひとつ『Air Multiplier』のさわやかな風を試してみますか。
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2010年04月21日

団塊が幸福に暮らすための「5K」とは

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中国も完全な高齢化社会。この人たちは友達なのかそれとも姉妹なのか(上海の公園で)

 現役を離れ、悠々自適で暮らす60〜70歳の知人4人で話す中、これからのんびりと暮していく上で、何が重要だろうかということに話題が及びました。以下、「5K」の結論がでました。
手(パー)

 まず「健康」。これは誰もが一致する、何物にも代えがたいものです。2つ目が「家族」で、やはり親、兄弟、連れ合いなどが徐々に亡くなる中で一番頼れるのが家族といえます。特に連れ合いとは、いつまでも“偕老同穴”の契りで仲良く暮らしたいものです。そして3つ目は「カネ」。“地獄の沙汰も金次第”です、年金に頼る以外もう収入はありません。

 ここまでは意見が一致しましたが、残りがなかなかまとまりません。そのうち「俺たちじゃないか」と誰かがいい、そうか仲間、友人との「交友」を忘れてはならないとまとまりました。健康、家族、交友、カネときて、最後のKは何か。「ボケても困るからなあ」との意見から学習や向上心などが出ましたが、やはり「好奇心」、これを失ったらもう人間ではないとの結論になりました。いかがでしょう、いささかこじつけの感もありますが、この5Kがある限り「幸福」な老後がおくれるでしょうか。

 あるサモア人が、忙しそうに立ち働く日本人商社マンに尋ねました。
「あなたたちは、いつも汗水たらしてせっせと動き回っているけれど、なぜそんなに働きつづけるのかね」
日本人が答えました。「決まっているよ。うんと働いて、昇進して、給料をたくさんもらえるようになるためさ」
「ふーむ、で、給料をたくさんとってどうするんだい」
「せっせと金をためておくよ」
「金をためてどうする」
「いずれきれいな海辺か、緑ゆたかな高原に別荘を建てる」
「別荘を建ててどうする」
「そうだね、そこでゆっくり昼寝でもするさ」
「なんだ、そんなことか」とサモア人は笑った。
「おれたちは、いまもここで、もうゆっくりと昼寝をしているがね」

日本が、高度経済成長に向かって船出したばかりの話です。「ぼんやりの時間」という本を読むと、「常に時間に追われ、効率を追い求める生き方が、現代人の心を破壊しつつある。今こそ、ぼんやりと過ごす時間の価値が見直されてよいのではないか」と記してありました。

たしかに、ぼんやりと散歩している時、信じられないほど「やすらぎ」をもたらしてくれることがあります。かつての日本の高度経済成長期を上回る形で驀進する上海から帰って、靱公園を散歩している時にふとそう感じました。
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2010年04月20日

上海のゴルフ事情

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「まっすぐに草立ち上がる穀雨かな」
 きょう20日は、24節気の中で春の最後の節気となる「穀雨」です。穀物の芽に注がれる雨が百穀を育むという意味で、種まきにとって一番いい時期とされています。そういえばきょうは全国的に雨模様です。
位置情報

 さて昨日付けに続き、今回の上海出張の目的です。ひとつは「楽々150元会」への出席です。オヤジが関与している繊維関係の新聞社が主催して毎月1回、上海に駐在する日本の紡績関係者が情報交換や懇親を目的に集まる会です。上海には日本人商工会や各出身大学のOB会、県人会、さらには会員制の朝食会など結構多くの会がありますが、会社の交際費などに頼らずあくまで自腹で賄うという目的で「楽々150元(邦貨約2000円)」と呼称しました。もっとも最近は物価高騰により、食べ放題飲み放題150元の日本料理店は少なくなり、200元(3000円近く)が増えているため、「楽々200元会」に変更する必要が出てきました。

 この会社が上海にオフィス・支局を開設した6年前からほぼ毎月開いているため、すでに60回を超します。えらいのは、ただ飲むだけでなく、毎回商社やアパレルなどの講師を呼んだり、他社の工場を見学するなど1時間ほど勉強してその後に食事会を開きます。まさに継続は力なのでしょう、紡績関係者だけにとどまらず商社やテキスタイル会社、アパレル、付属品会社など各方面に広がり、今回開いた会には20人近くが集まっていました。ただ今回は、勉強会は開かず先に紹介した日系大手商社中国トップの新任挨拶やオヤジの久方ぶりの訪中懇親会となりました。あらためて出席者全員に近況報告していただきましたが、まさに「呉越同舟」で楽しい会です。

 2つ目の目的は、ゴルフ会です。まあ提唱者ということでほぼ年2回開催しており、今回が7回目でした。駐在員の人にとって、土日はやはりゴルフが楽しみです。どうでしょう、中国人プレーヤーも急増し、上海および近郊の江蘇省昆山や蘇州を加えると、まともなゴルフ場だけでも30〜40ヵ所を数えます。昨年は石川、池田も参加し、タイガーウッズなどアメリカツアーの面々が年に1回集まる松江区の上海ヨ(余が突き抜けない字)山国際ゴルフのような高級なコースは会員同伴で、かつて2回行きましたが、通常日本人はあまり使いません。上海のゴルフ場は広い敷地で、戦略的なコースを作るアメリカンタイプが主流で、設備レベルも日本と大差ありません。

ただ多くの沼が配されているのはいやですねえ。ボールが沼に入って本人はカッカとしているのに、腰までの長靴を履いて手には網の付いた長い棒を持つゴルフ場近隣のおっちゃん、おばさんが突然現れ、にたっとしてそれを拾うのです。そのロストボールをきれいに洗い、ビニール袋に入れてゴルフ場入口でゆで卵のようにして売るわけです。まあこれも中国ならではのビジネスでしょう。キャッディなどはよく教育されており、最近のいい加減な日本のキャディより上といってもいいでしょうか。ただ日本人プレーヤーは一部のゴルフ場に集中する傾向にあり、全体から見れば1割以下の少数派です。

 その日本人がよく利用するのは、嘉定区の上海ゴルフクラブ、青浦区の上海ゴルフ&カントリークラブ、昆山市の上海ウエストゴルフクラブの3カ所で、いずれも日本語が通じます。ゲストのプレーフィは土日1000〜1500元(13,000〜20,000円)ですから、日本と同レベルです。

今回は昆山市の上海ウエストでやりました。観光地として有名な周荘の横です。車で一時間半、11時にスタートしても日本のように1時間強の昼休憩がなくすべてスループレーですから3時近くには風呂に入れます。若干、風に苦しみましたが寒くなく暑くない絶好のコンディションで楽しみました。優勝は某商社の方で二連覇。青天井のダブルペリアにしたこともあり、ブラインドホールをうまく活用した人が上位に入りました。えっ、オヤジはどうだったかですか?まあ、100をぎりぎり切る主催者らしい上品なゴルフで、もちろん表彰はされず、するほうに終始しました。沼はいやですが、OBがないのがいいですねえ。海棠の花が満開でした。
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2010年04月19日

世界史上例をみない上海のダイナミックな変貌

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ホテルから虹橋地区を見る。右の高い建物が多くの日本企業が集まる上海国際貿易中心、左の横に広いビルが上海世貿商城(写真右)、四六時中掃除をして回る(同中)ために、公園などはピカピカしている(同左)

駆け足でしたが昨年9月4日以来、久しぶりに上海に行ってきました。10数日後に開幕する万博ムードもあって、上海は異様なまでに盛り上がっています。以前は2〜3ヵ月に一度のペースで上海中心に中国へ行っていましたが、その時でも時々刻々の変化を感じていました。しかし今回のように7カ月も間を空けると、まさに様変わりといっても過言ではありません。

 日本企業が集まる虹橋区の定宿ホテル近くに、いつの間にか地下鉄10号線の駅ができていました。まだ虹橋空港や上海動物園方面は未開通ですが、その途中から豫園や上海最大の繁華街・南京東路を経て外高橋地区の新江湾城までは万博開幕に合わせた突貫工事で開通、試運転が行われていました。ちなみに、このホテルに近い駅前には巨大な商業ビルが建設される予定で、高島屋が中国初進出するとされています。まあこれなどは、ほんの一例です。

中国に4月から赴任したある大手商社の役員氏が、「世界史をひも解いても、今の上海ほどダイナミックにしかもスピード感をもって変貌している都市はなかったはずだ」と説明していました。それだけに、いま上海に駐在してビジネスに携われることに「誇りと喜びを感じる」とも付け加えます。

 さて万博ですが、まだ工事中の館が結構あり、この辺は中国らしいといえば中国らしさです。しかし何よりも開幕間近を思わせるのは、道路や公園、さらにはホテルや公共施設がピカピカに磨かれていることです。「心を込めてしっかり掃除して、世界からお客様に来ていただく」という、これも中国ならではの精神でしょうか。北京オリンピックの際、公衆トイレの中に寝泊りして24時間対応で掃除をする夫婦の姿が紹介されていましたが、とにかく徹底するのが中国です。写真のように多くの人が雇われて、四六時中掃除をするわけですから、うかうかとポイ捨てなどできません。

また開幕に先立って、「万博タクシー」なるものも登場しています。フォルクスワーゲンのワゴンタイプとGMのセダンタイプで、英語や日本語など外国語が通じ、無違反で清楚で明るいタイプの三ツ星運転手が乗車します。たくさん買い物しても大丈夫なように、荷物が置けるスペースも台も広々としています。それでいて料金は一般のタクシー並ですから、乗ってみてやろうと長時間待ちましたが駄目でした。

どことなく一般の車両もきれいになっているようで、場合によっては件の役員氏も言っていたように、中国自動車市場は年間1000万台どころか、1500万台超になるかもしれません。
ふらふら

ただ、だからですが、空はいつもどんよりと曇っており、かつて「東京の空、灰色の空、本当の空が見たい」と泣いた高村智恵子のように、上海の人は本当の空を見たことがないと思います。駐在員が異口同音に発するのが「日本に帰ったことを実感するのは青い空を見たとき」。上海が世界史上例を見ない大発展の蔭で、このような副産物を抱え込んでしまったのもまた事実です。
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2010年04月18日

四方夏己のIT講座@「クラウドとは雲のことらしい」

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ITジャーナリスト四方夏己さんに、いまIT業界で話題となっているクラウドコンピューティングについて数回の連載で解説していただきます。「クラウド」とは雲のことで、それこそ雲をつかむような話なのかどうかは分かりませんが、間違いなくIT社会に大きな変革をもたらす流れとされています。
曇り

 ITの世界で今をときめくクラウドとは、なかなかに意味の深い言葉である。第一に、何を指すのかが定かではない。唯一つ確かなのは、クラウドとは crowd(群衆)ではなく cloud(雲)であることらしい。英語の発音としては「r」と「l」の違いであり、日本人が苦手とするこの発音の違いで意味が全く違うので注意すべし、などと親切な情報がネット上に氾濫している。雲の彼方から多数のユーザーに対してネットワーク経由でサービスが提供されるという意味なら、群衆でも雲でもどちらでも良いような気もするが、ともかくクラウドとは cloud を指すのだそうだ。

 さて、雲の彼方から何かが提供されるというその何かについては、およそITで必要なあらゆるサービスが含まれており、これがクラウドの最大のアピールポイントとされる。ユーザーが必要な時だけ必要なコンピュータプログラムやサービスをネット経由で使えるという「ASP」という言葉が10年ほど前に流行り、これがいまひとつ普及しない中で「SaaS」という言葉に置き換えられ、そして今度はクラウドとなった。要するに、アウトソーシング、ASP、SaaSなどネットを経由するITサービスのすべてを包含した言葉がクラウドだということで、何でも含まれるが故に捉えどころのないクラウドという表現は、なるほどという気がしないでもない。

 あらゆるITサービスが、ネット経由で提供されることの意味はとても大きい。すでに提供されているクラウド系サービスを個々に見ると、コストパフォーマンス、信頼性、拡張性その他、なるほど自信を持ってアピールするだけのことはある。バックアップストレージひとつを例にとっても、社外に置いてこそ意味があるとの指摘は説得力がある。しかし問題は、これらの外部サービスすべてをユーザーが選択して管理していけるのかという点にある。個々のサービスはまことに使いやすくて管理が簡単でも、これらが数多くなると話は違ってくる。日進月歩のITの世界の中でも変化の速いネットサービス分野において、ユーザーが自身で数多くのサービスを選択し導入し運用していくことはなかなか難しい。
 
そこでITベンダーの出番となる。数多くのサービスの中から企業にとっての最適を選択しこれらをトータルに管理していくことは、ITのプロたるベンダーを利用する方がてっとり早いし、責任の所在もわかりやすい。最近のITベンダーがクラウドに邁進するのも、他に商材がないということ以上に、クラウドによってユーザーITをトータルに受注できることへの大きな期待があるように見える。クラウド用の新たなハードやソフトを販売できるという目先の売上げも確かに大きな魅力だが、それ以上にユーザーを囲い込めるという深慮遠謀を感じる。

 これはもちろん悪いことではない。しかしクラウド化は、ユーザーの知らぬ間にベンダー依存を脱しながら自己責任でコストパフォーマンスを追い求めてきた従来のITビジネスの流れとは異なった方向に進む可能性がある。雲の上の細かい事情をユーザーがすべて把握することなど不可能に近いので、細かい事情を知らずにユーザーがこれらを上手に活用するためには、何らかの仕組みや工夫が必要になる。これをどうするかが、クラウドを活用する上での基本的な課題であるように見える。(夏己)
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2010年04月17日

「おなら」のはなし三連発

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「レンギョウ」でしょうか?きょうの話題が話題です。せめて写真だけは上品にと思い…

<とんと昔、あったげな。あるところに金持ちのとっつあんがいたそうな。その屋敷の後ろに大きな竹林があって、見事な竹が育っていたと。ある日、その竹をスポン、スポンと、切っている音がした。とっつあんは「誰かいな。竹切りが来ちょうわな」といって、断りもなく竹を切っているやつを懲らしめてやれと、思ったと。

「だい(誰)だ!うちの竹切るやつは?」とっつあんがそういうと、声がした。
「へい、へい。いつもいつもの、へふり(しょうもない)爺いでござんす」
「そうか、へふり爺か、そんならここへ来て、へふってみい」
するとじいさんが出てきて着物をたくしあげて、尻を叩きながら、
「粟ブンブン、米ブンブン、黄金のマサカリ、ブンブラブンのブ〜ン!」
といいながら、ボンとへをふったと。とっつあんが驚いて、
「これは見事じゃ。もうひとつ、へ、ふいてみい」するとまた、「ブンブラブンのブ〜ン」と上手にへをふった。
「う〜ん、おまえ、がいに(とても)上手にへ、ふるなあ」
へふり爺さんは、とっつあんから褒美をもらったと>

 先日紹介した「ゲゲゲの女房」に出てくる話で、島根県安来地方の昔話だそうです。この話、「はなさか爺さん」と似ているところがあって、次に隣の爺さんが自分も褒美をもらおうと思って、同じことをするのですが、こちらはへのかわりに、実弾を出してしまい大失敗をするというオチがついています。

 いずれにしても、へ、おならにまつわる話は昔からいろいろと言い伝えられてきました。オヤジの田舎でも小さいころに、こんな話しを聞かされていました。
<その昔、握りへ太郎というお爺さんがいました。とにかく一発かまして、それをぐっと握ると、長時間くさい臭いを保つことができるという、異能な才能の持ち主です。殿様がその話を聞いて、1里先の大木との間を往復してきたら褒美をとらすとの言明です。ただし途中で握りかえることができないように、ずっと家来に同伴するよう命じました。

お城の門で強烈な一発をかました太郎爺、さっと握るやいなや走り出しました。途中で何度も伴奏するお侍が、「太郎どうじゃ」と呼びかけると、自信満々に爺さんは「嗅いでみろ」と侍の鼻先に手を差し出します。侍は強烈な臭いにへいこらしながらも、「うんうん大丈夫」と、うなずくのです。そして見事に大木を一周して、殿様が待つお城に凱旋。しっかりと殿様の前で手を開き、香ばしい臭いを献上するのです。顔をしかめながらも殿様、「見事、見事」として太郎爺に一代限りの「握りへ名人」の呼称とご褒美を与えたとのことです>

これにも当然オチがあります。太郎爺は死の間際に枕元に息子をただ一人呼んで、こう言ったそうです。「誰にも言ってはならんぞ。実はあの日、実弾が出ていたのじゃ。だれが往復2里も、握りへができるか。お城を出るときは右手で実弾を握り、殿様の前では瞬間的に左手にそれを移しただけよ。みんな、顔をしかめていた隙に移し変えたのよ」と言い残し、あの世に旅立ったそうです。

もうひとつ「へ」の話です。テンポよく読み返してください。
へには、プー、スー、ピーの三種類あり。
プーは音高く臭い低き
スーは音低く臭い高き
ピーは黄金付着のおそれあり
ダッシュ(走り出すさま)

はい、「へ」のはなし三連発でした。きょうから上海です。
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2010年04月16日

井上ひさしを悼む「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」

?.JPG井上ひさし氏の本

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと」。9日に亡くなった井上ひさしさんの、言ってみれば座右の銘でしょうか。とりわけ「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」という表現は長年、もの書きの一端にいるものにとっては至言といえます。

 各新聞などに評伝などが書かれており、いまさら説明する必要はないと思いますが、その分厚い眼鏡と出っ歯、朴訥として憎めない発言や表情などをトレードマークに、戯曲、小説、評論と実に幅広い分野で多くの足跡を残しました。訃報を聞き、どの程度井上作品を読んでいたか調べてみましたが、手っ取り早く本箱から抜き出したのが40冊ほど。まだいろんなところに放り込んでいるのを含め、手元に残る書籍は50〜60冊でしょうか。意外と読んでいません。生まれ故郷の山形県は置賜盆地の真っ只中にある川西町に13万冊の蔵書を寄贈して、町は「遅筆堂文庫」という図書館を作ったことはつとに有名ですが、この勉強家の故人に「君は勉強していないな」と笑われそうです。

 作品の幅広さは、「ひょっこりひょうたんじま」「忍者ハットリくん」「ひみつのアッコちゃん」「ムーミン」など子供向け人気作品の台本や主題歌作詞に始まり、直木賞をとった「手鎖心中」や「吉里吉里人」などの小説、さらには「藪原検校」「頭痛肩こり樋口一葉」などの戯曲、さらには各種批評等々、いずれも「笑いの底に不条理な現実に対する黒い怒りが潜んでいた」(演劇評論家の扇田昭彦氏)といえます。

とはいえ、若いころは自叙伝に近い「モッキンポット師の後始末」や「モッキンポット師ふたたび」、少年野球の「ナイン」や「野球盲導犬チビの告白」などで気楽に楽しませてもらいました。一方で勉強になったのは、正しい日本語の追求で、「自家製文章読本」「本の枕草子」「ニホン語日記」「国語元年」(戯曲)などは、たびたび読み返します。

本を読み返すということとも関連して井上さんは、「本の運命」の中でこう書いています。「よく本棚が死んでいるという言い方をします。本棚の本が動かなくなって、ということは持ち主が本を読む情熱を失い、埃が積もっていって、何年も手を触れなくなってしまう。これはたまらなく寂しい景色です。やはり絶えず手にとって、入れ替えている本棚は、お化粧している女性のように活き活きしている。『よお、君はあいかわらず良い本でいるね』と言ってあげると、とたんに本がぱっと輝く。本というのは絶えず触ってあげなくてはダメなのです」。この考えが13万冊の蔵書を町に寄贈する根拠となったのでしょう。

五木寛之氏は追悼の言葉の中で「平和を守る戦後民主主義の希望の星でもありました」としています。また「笑い、あるいは喜劇という方法を使って日本の社会と歴史と人間に正面から向き合う書き手」(扇田昭彦氏)であり、まさに言葉で世の中や時代と真剣勝負したとの表現も過言ではないでしょう。また一人のリベラルな伝道師を失ってしまいました。
黒ハート

わずか1万冊ほどの我が家の蔵書ですが、きょうからはそれこそ「本は女性のように扱うべし」の気持ちで、優しく触ってあげたいと思っています。
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2010年04月15日

「クレープ」って何を想像しますか、実は伝統ある織物なのです

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川島織布の川島好行さん。大阪の展示会で自社のイチ押し商品を前に

 「クレープ」といって繊維テキスタイルを想像する人は、いまや100人中1人いるかいないかでしょうね。繊維業界にあっても、50歳代以下はほとんどの人がフランス菓子の薄いパンケーキと答えるはずです。ヤフーで「クレープ」を検索してみると、実に2170万件の例がありました。グーグルでも280万件です。ヤフーの各種辞典では「強撚糸(きょうねんし)を使った縮緬(ちりめん)や、縮(ちぢみ)などの総称」など、繊維テキスタイルであることをはっきり説明しているだけに、ひょっとしたらと思って検索してみました。さっぱり当たりはありません。途中で「クレープ生地」とあるから、おおこれはとサーフィンしていくと何のことはない、パンケーキも「生地作り」が基本なのですね。結局1000数件目で止めてしまいました。
レストラン

 「クレープ」とは元来、ヨコ糸に強い撚りをかけた糸を使って織る織物で、ちぢみ、楊柳などとも呼ばれ、また絹素材の場合は「ちりめん」の名が一般的です。生地の面に“シボ”感が出るために吸汗・速乾に優れ、さらっとした肌触りも生きて高温多湿の日本の夏には最適の素材といえます。このため直接肌に接する肌着、パジャマ、ベビーウエア、布団カバーなどに使われています。実はパンケーキの「クレープ」も、1600年ころに貧しい仏・ブルゴーニュ地方で生まれたもので、焼いた際に表面化する“こげめ”模様が、シルクのちりめんを連想させるとしてクレープと呼ばれるようになったそうで、名前の発祥はやはり繊維でした。

 団塊世代のわれわれオヤジなんぞは、夏に身につける綿クレープのステテコとU首、V首、さらには前ボタンの肌着の味を忘れることはできません。昭和40〜50年代まで、日本のお父さんの夏の下着はこのクレープがごく一般的でした。お母さんもクレープのシュミーズ・スリップを身につけていました。しかしそれをダメにしたのが、植木等だといわれています。例のステテコと肌着、腹巻スタイルで帽子をかぶって「お呼びでない?……お呼びでないね。こりゃまた失礼いたしました!」なんてやるものですから、「クレープのステテコ=ダサい」になってしまったというのがその理由です。その真意はともかく、家庭でも店頭でもクレープ肌着の地位は低下していったのです。

 ところで、日本にあってその綿クレープ織物を生産するのが滋賀県にある高島産地です。琵琶湖の西北に広がり今は高島市となっていますが、かつての高島郡新旭町と安曇川町が中心です。JR湖西線の近江今津の大阪寄り2駅が安曇川駅と新旭駅で、その湖西線と国道161号線を跨いで比良山系から琵琶湖畔までの、実にのどかで風光明美な産地です。日本海側の気候のため冬は寒く雪も結構多く、秋は高島しぐれという降雨にも泣かされます。1974年に湖西線が開通した時、「湖西線開通記念・高島織物産地」という特集を新聞で掲載した記憶があります。湖西線が開通するまでは浜大津から161号線をバスで高島に行きました。今でも北陸に出かける際、車窓から高島産地をみるたびに自転車で雪の中を駆け回った若い記者時代を思い出します。

 高島産地の織物生産は江戸末期1780年ころ、農家の冬期の副業として始まったそうです。その後「高島ちぢみ」として人気を呼び、かつては撚糸業者だけでも20社近く、織物生産の機屋は60数社、さらに整理加工業者(今でも高島晒協業組合として操業)や周辺企業が多数ありました。しかし今では撚糸業者は数社で、実際に稼働している機屋は15社ほどに減っています。ひとつには、中国からのクレープ肌着の大量輸入も影響しています。もっとも同産地には、自動車用など産業資材や帆布などの厚地織物を生産する機屋もあり、クレープなどの軽布機屋に対し重布機屋と呼ばれ現在30社ほどが稼働しています。

 軽布、重布両機屋の集まりである高島織物工業組合では、クレープ素材が春夏シーズンを快適に暮らせるコットン素材として位置づけ、レディースやメンズのアウター用として開発に取り組んでおり、このほど東京と大阪で展示会を開きました。この展示会では出展各社が自社のイチ押しテキスタイルを二次製品化して出品するとともに、女子大生がデザインした彼氏に履かせたいステテコ「彼テコ」を展示するなど、来場バイヤーに強くアピールしていました。

 同織物組合の理事長を務める川島諦氏の川島織布もそのうちの1社。同社は大正4年に創業を始めてから95年余、クレープと工業資材を手掛けてきましたが、現在はエアジェットという新鋭織機27台で高級クレープ肌着、同じクレープ素材によるインナーウエアやアウターウエア向けテキスタイルを生産しています。同社の川島好行さんは以前、医療関係のお仕事に携わっておられましたが、10年ほど前に川島家の入婿となり織布業に毎日汗を流しています。「やはりモノを作るというメーカーの楽しさは格別です。クレープでベビー用品を開発し、実際にそれが製品化されて店頭に並びました。近くのショップに、わざわざ買いに行きましたが、自分で作ったモノが実際にお客様の手元に届く。これは何物に代えがたい喜びです」と目を輝かせていました。

 繊維産業に限らず、日本におけるモノつくり現場は停滞の一途をたどっています。しかし川島好行さんのように、地味ではあってもメーカーとしての喜びを感じて地場産業の継続に邁進する人たちがいる限り、まだまだ日本の製造業は生き残れると思うのです。
ブティック

 レストランやカフェなどで美味しい「クレープ」をいただく時、ちょっとだけシャリ感があって肌に優しいクレープテキスタイルを思い浮かべていただければ幸いです。
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2010年04月14日

ウソのような本当の話

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 先日の大井競馬場、248,800倍で何と2,488万円の配当金が出たそうです。もちろん競馬史上最高で、当たったのは一人だけ。つまり100円券1枚の配当が2488万円だったのです。200枚強の年賀はがきでも毎年切ってシートが2〜3枚、いわんやたまに買う年末ジャンボなどの宝くじでもついぞ当たったことがないだけに、この248,800分の1という確率はさっぱり見当がつきません。
ATM

 しかし世界では、もっとたまげたことが起こるのです。アメリカで、あるおじさんが銀行のATMで50万円ほどの貯金から2万円ほどの生活費を下ろすことになりました。とりあえず現金残高を調べようと暗証番号等を入力したところ、驚いたも何も、そのおじさんは腰を抜かしてしまいました。何と残高には「888億8888万ドル」の表示が出ていたのです。日本円にして8兆8888億円強です。

 現在世界一の金持ちはソフトバンクのビルゲイツ氏で5兆円強、2位のアメリカの株式投資家ウオーレン・バフェットが5兆円など、いやいやサウジアラビアの王族一族はその4〜5倍の30兆円ほど持つなどと喧伝されていますが、妥当なところでビルゲイツあたりの5兆円強が個人としては世界一だと思うのです。ところが件のおじさん、それをはるかに上回る8兆円強が残高に記帳されたのですから、心臓がパクパクしたでしょうね。これ本当の話です。

 そこで閑話休題。皆さんだったらどうしますか。銀行の窓口に飛んで行きますか。それとも100万円、いや1,000万円、それとも1億円ほどこっそり引き出しますか。親父だったら「ウーン」、とりあえず貯金の全額を下ろすでしょうか。

 このおじさん正直ですねえ。おったまげて、銀行の窓口にすっ飛んで行ったそうです。ところがさすがアメリカです。銀行の窓口は「本日は土曜日のため担当者不在で詳細不明につき、そのまま休み明けまで置いておくように」との返事。おじさんは生活費が引き出せず、「困った、困った」といって月曜日を迎えます。

 待ちに待った月曜日、結論はこうです。全てコンピュータで管理する日本の銀行では考えられないことなのですが、依然手作業で入出力などをやっているアメリカのその銀行、何かのミスでキーボードが88888…と打ってしまった結果だと判明しました。窓口で「そういうことですから」の説明だけでジ・エンドとなってそのおじさん、本当にお気の毒。

 ただ、もし黙っておじさんが土曜日に多額の金を引き出していたら「窃盗罪」に問われるし、また窓口で引き出していたら「詐欺罪」になるそうです。
 皆さん、もしこんなことに遭遇したらくれぐれもご注意ください。まあ日本ではないでしょうが。

■アメリカの小話です  
  ジャック少年はどうしても欲しいおもちゃがあり、神様に100ドルくれるように手紙をポストに投函しました。神様宛の手紙を受け取った郵便局は気を利かせて、その手紙を大統領に送ったのです。
 大統領補佐官はその無邪気な手紙が大統領を喜ばせるだろうと、多くの大統領宛の手紙の束にそれをもぐり込ませました。それを読んだ大統領は、微笑ましく思い、ジャックに5ドルだけ贈ってやりました。小さな少年に100ドルは大金過ぎると考えたからです。
  それを受け取ったジャック少年は大喜びして、早速礼状を書きました。「神様、ありがとうございました。あなた様は政府を通じてお金をお送り下さいましたが、いつものことながら、あのカスどもが95ドルも税金を差し引いてしまいました。どうか天罰を下してください」

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2010年04月13日

「人生は、終わりよければ、すべてよし!!」

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NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」の原作本
 
時々見るNHKの朝ドラですが、21世紀に入ってから新作が放送される都度、平均視聴率がワースト記録を更新しているそうです。この3月まで放送された「ウエルかめ」は関東で13.3%、関西に至っては10%割れ寸前の10.6%だったそうです。52.6%と毎朝2人に1人がチャンネルを回して涙した例の「おしん」のような化け物視聴率は例外としても、NHKとしては頭が痛い問題だと思います。もっともBSでも一番に見ることができ、しかも朝8時台に民放がワイドショーを繰り上げて放送し始めたこと、さらに主婦層の多くが外で働き始めたことなども朝ドラ低視聴率の要因となっているのでしょう。
TV

 そういった中で4月から始まった「ゲゲゲの女房」は面白そうで、久しぶりにヒットする予感がします。立ち上がりの視聴率は低調だそうですが、物語のシチュエーションがピッタリきます。言うまでもなく「ゲゲゲの鬼太郎」などで有名な隻腕の漫画家、水木しげる夫人の武良布枝さんが夫婦の半生を綴ったエッセイを脚本化したものです。

 物語は全体として日本が貧しかった時代の暮らしぶりが基本となり、戦前の田舎の暮らし、戦時中の悲惨さ、戦前戦後における家父長制とその中で生きる女性の幸せなどが、原作を読む限りしっかり描かれています。とりわけ物語の中心となる1960年から70年ごろまでの東京は調布界隈での赤貧生活は、例の「夕焼けの詩・三丁目の夕日」を彷彿させます。

 「♪アラエッサッサー、安〜来〜千軒〜名の出たところ〜♪」の安来節で有名な島根県安来市、それも中心地から6キロほど離れた田舎で昭和7年に生まれた女性が主人公です。背は当時の女性では大柄とも言える165センチでしたが、万事に目立たない引っ込み思案の性格。水木しげるが大成して雑誌の編集者に「奥さんはどういう人か」と聞かれた際に「『生まれてきたから生きている』というような人間です」と答えた、そのような人でした。

 一方の水木しげるは、太平洋戦争の最大の激戦地ニューギニアで片腕を失いながらも奇跡的に生き残り、帰国後は絵描きを目指して勉強するなどして、2人が結婚した当時は貸本漫画をしていました。隻腕で漫画を描くことが如何に大変なことか。通常左手で原稿を押さえて描くのですが、それができないために左肩で押さえ前かがみになって描く。しかも夏など扇風機や冷房装置がない中、汗で原稿を濡らすわけにはいかないから、頭にタオルを巻いて汗止めにする。そのスタイルで朝までコリコリと描く様は、まさに鬼気迫るものがあります。単純に根性というより、この人そのものが妖怪に思えてきます。それを見事に原作は描写していますが、ドラマではどう演出するか見ものです。

 共に婚期が遅れた39歳と29歳の2人が、1961年1月に見合いしてからわずか5日後に結婚式を挙げ、東京暮らしを始めるのです。今週あたりがちょうど見合い、そして結婚となる予定ですからそれ以上の詳しい説明は避けます。

 ただ、あらゆるものを質屋に入れても生活できない状況下で、ある日税務署の人が「申告所得が少なすぎる。他に収入があるのではないか」と、まるで水木しげるが不正をしていると決め付けます。「正直に申告しています。これだけしか所得がないのです」「ないといってたって、生きている以上は食べているはずですよ」「なんとか」「だからこれじゃ、あんたたち家族が食べられる所得じゃないでしょう」「それでやっているのです」「だから他に収入があるのではないかって、聞いているんだ」
 そんな収入しかないから餓死しないように四苦八苦している。それを言っても伝わりません。
 やがて水木は黙り込んでしまいました。顔が真っ赤に紅潮していました。大きく息を吸い込むと、肩を怒らせて一喝しました。「われわれの生活がキサマらにわかるか!」水木はすかさず、3センチにもなる質屋の赤札の束を税務署員の前に突き出したのです。

まあこのような赤貧を洗うがごとき生活を通して、強烈な個性を持った夫を支えてきたのですが、作者本人は「私は古い日本の女性の生き方をそのまま通してきたように思う。現代の女性には理解できないかもしれませんが、『すべてを受け入れるだけの人生』でした」とあとがきで語っている。その上で、「惨めだったこと、寂しかったこと、今も納得できない理不尽なことが、数えあげればキリがないほどあります」とした上で、本のサブタイトルにもなっている「終わりよければ、すべてよし」なのですとまとめる。
いす

ライターの島崎今日子は、「ゲゲゲの女房」はまさに時代劇であると評しています。この時代の結婚、暮らし、女性の幸せなどすべてがドラマとして成り立つだけのものを持っており、そういった意味でもまさに時代劇そのものといえるでしょう。
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